走馬燈のその先
破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)。
第五次聖杯戦争においてキャスターが使用した宝具。攻撃力は見た目通りナイフ程度しかないが、「全ての魔術を初期化する」という反則じみた効果を有する。まさに裏切りの魔女に相応しい宝具と言えるだろう。
…さて。何故唐突にこんな話になるのかといえば、理由は簡単である。
「ランサーを殺される訳にはいかない」
ノアは公園に設置された滑り台の上でそう息巻いた。
「ランサーが死ねば、その魂は聖杯の器であるアイリスフィール・フォン・アインツベルンにとらえられることになるだろ。それは駄目だ。あの人にはまだ「人としての機能」を失ってもらったら困る」
「人としての機能」はサーヴァント七騎分の魂を体に収めるうえで不必要な部分として、徐々に失われていく。おそらく彼女が今体感しているであろう筋力の喪失などはその一端にすぎない。
それは困る。彼女にはまだまだ健在でいてもらわなければ。少なくとも明後日の夜まで。ライダーに化けたバーサーカーから、何も勝てという訳ではない。逃げ切れるだけの力を維持していて欲しいのだ。
そのためにも、ここでランサーを失う訳にはいかない。いや、ここから先「どのサーヴァントも失う訳にはいかない」のだ。時が満ちるまでは耐久勝負だと言えよう。それも、とびっきりノアが不利な。
そんな訳で、破戒すべき全ての符の出番なのである。
冒頭で述べた様に、この宝具の効果は「魔術の初期化」。それはつまり、サーヴァントとマスターの契約すら白紙に戻すということに他ならない。
ランサーはセイバーとの戦いの折、ケイネスに令呪を持って自害を命令される。それが彼の敗退の理由。ならば、令呪を使えない状態にしてしまえばいいのだ。そのためにはケイネスを衛宮切嗣から守るか、それとも契約を破棄させるか。ノアが選んだのは、より成功率が高く、自身の安全を確保できる策だった。
「だからアーチャー、よろしく」
「丸投げか」
致し方ない。遠くから弓で狙ってもよいのだが、はじかれるのは目に見えていた。それは白兵戦でもそうなのだろうが、チャンスが増えると言う点においてはそちらの方うがましだ。なお、ノアは遠くで待機することにした。何故って、衛宮切嗣に近づきたくないからである。
「頑張ってくれ」
ランサー陣営の居所はすでに掴んでいる。鷹の目スキルは伊達ではない。
ノアは笑顔でアーチャーを見送った
………のを、わずか五分で後悔した。
日の光を溶かし込んだかのような金の髪、血の如く赤い瞳。この寒い中惜しげも無く晒された首筋に蛇柄のズボン。
そこにいたのは、まぎれも無く、英雄王だ。
「なっ…」
何故ここに。この寂れた夜中の公園と豪華絢爛という文字がこれ以上ないほど似合う英雄王という組み合わせは奇妙というか、奇怪というか。ともかく落ち着かない雰囲気を醸し出していた。
「雑種」
王の言葉は、相変わらず胸の深い所を突く。遥か昔、古代にはこんな王が実在していたと言うのだから驚きだ。そりゃあとんでもない王であっただろう。
「貴様の生き汚さ、その理由を問おう」
「理由…?」
そうだ、そういえばあのアサシン襲撃の夜、彼は何か言っていた。何か言いながらノアを助けたのだ。
「そうだ。なに、我は理由に善し悪しなどつけぬ。気楽に応えるがよい」
随分と勝手なことを言う。そもそも、ギルガメッシュにその「理由」を話す所以がない。助けられたことには感謝しているが、それとこれとは話が別だ。
しかし、ここで彼の機嫌を損ねる訳にはいかない。彼の天敵たるノアのサーヴァント・アーチャーは今この場にいないのだ。怒らせれば即、死へと繋がる。
「俺の、死にたくない、理由」
思い起こせば。何故自分は死にたくないのか、ノアはとんと思い出せなかった。いや、死にたくないと思うのは生物として当然の感覚だ。犬や猫でも死にたくないと思うし、人間になればそこにもっと複雑な感情が入り混じってくるのだろうが、それでも本能は変えられない。
ノアの記憶には空白がある。死に至るほんの直前、言われた言葉がどうしても思い出せないのだ。
決して忘れてはならない筈の言葉だったのに。
/
ノア・ベルベットがまだ××××だったころ。
××××はその時代にはごくありきたりな家に住む、ごく平凡な青年だった。
両親と、それから年の離れた弟。ありふれた核家族。その歯車が狂ったのはいつのことだっただろうか。
××××はプログラマーを志す学生だった。成績はごく一般的だが記憶力がいいのが自慢だ。友人は決して多いとは言えなかったが、それでも充実した毎日を送っていた。学生らしく勉学と勤労に励み、休日は家で弟と共にアニメを見たりした。
いつものようにパソコンに向かっていた××××は、ふとしたきっかけで別世界でいう所の「霊子ハッカー」としての才能を開花させる。何せ本の中の技術だ。彼は相当驚いた。この才能を使えば、おそらく世界中どこのネットワークに打って入りこめるだろう。何せそういうものがあるなどとは一切想定されていないのだから。もちろん××××にそんな気は無かったが。
これが問題だったのだ。
この才能は間違いなく、この世界に存在してはいけないものだった。どのような因果でそれが××××の身に現れたのか分からない。だが、これは間違いなく「有りえてはいけないもの」だった。
だから。
そう、だから彼が現れた。
赤い外套を身に纏う、白髪の男。異世界における抑止力の一人。
エミヤシロウ。男はそういう名前だった。
そこにはかつての少年らしさなど見受けられない。成熟した男性の体で、瞳で、声で。
「××××の命を差し出せば一家皆殺しはやめてやろう」
そう言った。
まぁ、全く意味が分からない。年の離れた弟は唐突かつ無粋な侵入者に激高して、次の瞬間首が飛んだ。
時が止まったとか、そういうレベルではない。首が飛んでいくのはスローモーションのようで、血が吹き出るのも随分とゆっくり見えた。力を失った「弟だったもの」がごとりと床に転がる。弟だったものはピクリとも動かない。
何が起こったのか分からない。父が男を怒鳴りつけて、またたきのうちに首から上が無くなった。ここで母が悲鳴を上げた。
思考が追いつかない。何が起きているのか理解できない。
お前のせいだと、母は××××に馬乗りになった。産まなければよかった、お前のせいだ。お前のせい、お前の。お前 の 。
頭上から生温かい何かが降り注ぐ。母だったものはぐらりとバランスを崩して倒れ込んだ。首から上が無い。何処かに飛んで行ってしまったのだろうか。もうタガが外れていた。何を考えていいのかすらわからない。
男は血みどろの双剣を携えて、赤い服をさらに赤くしてそこに立っていた。それはお互い様だ。××××も母だったものの血にまみれて真っ赤だった。
「ああ、確かにお前のせいだとも」
男は静かに言う。
「お前はこの世界に持ち込まれるべきではないものを持ち込んだせいだ。そう、全てはお前の好奇心の責任。お前のせい。何一つ間違っていないとも。そうだ、お前は生まれるべきでは無かった」
刻々と、そこ言葉は××××の心を削っていった。
何を答えていいか分からない。
どう応えるべきか分からない。
「さらばだ。××××。次があるとすれば」
振りあげられた双剣に見覚えがあった。画面の向こう側でみたその夫婦剣。
「 」
このとき、果たしてエミヤは何を言っていたのか。
ここから先の記憶は無く、次の瞬間××××はノア・ベルベットになっているのだ。
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