最強の幻想

相手を固有結界内に引き摺りこむには、ある程度対象に近づかなければならない。そうでなければ結界の起点を対象のすぐ近くに置く必要性がある。
生憎、川の中央に陣取るあの怪魔に近づく術は持ち合わせていない。ノアは唸った。早々に結界を展開させなければならないというのに、こんなところで躓いている暇などない。

ともかくアイリスフィール達に接触することは必要だろう。今回重要なのは衛宮切嗣の作戦とセイバーの『約束された勝利の剣』だ。

アーチャーの場合、結界に起点はない。おそらく彼自身と詠唱が起点となっているのだろう。ならば、出来る限り彼とあの怪魔を接近させなければ。ノアは己の手の甲をちらりと見やる。令呪はまだ一画たりとも消費されていない。

覚悟は決まっている。あとはそれを口にするだけだ。

「令呪を持って命じる。…アーチャー、あの出来得る限りあの怪魔の近くに、飛べ」

瞬間的にアーチャーがかき消える。
令呪は強大な魔力の塊であり、令呪の魔力にプラスしてマスターとサーヴァントの魔力が及ぶ限りどんな奇蹟でも実行可能になるマスターに与えられたサーヴァントに対する三つの絶対命令権。それを使えば、サーヴァントが瞬間移動する事も可能になるのだ。

「――――体は、剣で出来ている」

ぽつり、口をついて出た言葉。それとほぼ時を同じくして、巨大な怪魔の姿が消えた。

「死ぬなよ、エミヤ」







***************






体は剣で出来ている。

血潮は鉄で 心は硝子。

幾たびの戦場を越えて不敗。

ただの一度も敗走はなく、

ただの一度も理解されない。

彼の者は常に独り 剣の丘で勝利に酔う。

故に、生涯に意味はなく。

その体は、きっと剣で出来ていた。






***************




「何故…!!」

セイバーは瞠目した。彼の征服王の固有結界が、こうも早く破られる筈がない。魔力不足か、否、数分の時間を稼ぐと言った彼の言葉に偽りはなかった筈なのだ。予想外の事態が起きたか…考えている暇はない。巨大な怪魔は水面に降り立つや否や、再び行動を開始したのだ。
まだ何も準備などできていない。このままでは川沿いの民家に被害が及ぶ。それだけは避けなければ。

不意に、彼女の眼に赤が飛び込んできた。

空間を転移したかのごとく、唐突に表れたそれは、一瞬だけこちらに目を向けたかと思うと次の瞬間怪魔と共に消えうせた。

「…あれは…」

「赤いアーチャー…?」

異端を自称する彼の能力は確かに不明だ。まさか、彼も固有結界の使い手であろうとは。しかし彼のマスターは今生死不明の状態である。仮に生きていたとしても、固有結界を維持するほどの魔力供給は厳しいのではなかろうか。

「騎士王!すまんな、今日は妙に…魔力の消耗が激しい」

満身創痍のライダーが戦車で川岸へと戻ってきた。その傷の具合に、あの怪魔の底知れぬ恐ろしさが現れている。

「構わない。…だが、あの赤いアーチャー」

「おお、あいつか」

「…固有結界内で倒してくれればそれに越したことはないが…それでも無理だと言うのなら…やはり時間稼ぎにしかならないか」

「こっちの作戦も何も、伝えていないものね」

アイリスフィールが悲痛な面持ちで呟く。自体は再び振り出しだ。好転はしている。しかしそれだけだ。

「せめて…マスターの方がいてくれればな…こちらの作戦も伝えられた」

ノア・ベルベッド。得体の知れないアーチャーのマスター。
昨日アサシンに穿たれたあの傷は相当深かった筈だ。あのアーチャーがすぐに連れ帰ったためにその後どうなっているかは一切分からないが、とてもここにきているとは思えない。
そんな時。

「よんだ?」

少年の声がした。聞き覚えのある声だ。

「なっ」

そこには、昨日大きな怪我を負った筈の異端のマスターが何でもなさそうに立っていた。
彼は至ってマイペースに、セイバーの前を通り過ぎるとライダーに向き直る。

「すいません、イスカンダルさん。たぶん、固有結界に魔力がいつもより多くかかったのはうちのアーチャーが近くにいたからだと思います」

「ほう?」

何も合点がいかない説明だ。ライダーもそのマスターも首をかしげている。アイリスフィールでさえ不思議そうにしているのだ、魔術師の中で常識的な意見では無かったのだろう。

「今、あまり話しこんでいる暇はないのではないか?」

ランサーが口を開く。それはもっともだ。あの怪魔を取りこむほどの固有結界、ライダーでさえ数分持つ程度だと言っていたのだ。話をつけるなら早々に、こちらの予定もあるのだ。

「いや、時間はあるさ」

ノアは至ってのんきにそんな事を言った。

「色々考えたけど、やっぱうちのアーチャーの正体言っちゃっても、別にかまわないと思うんだよね。だって、絶対知らないし」

「何を…」

「あいつ、抑止力なんだ」

抑止力。なんの?決まっている、世界の、だ。

固有結界に莫大な魔力がかかるのは、一重に世界の一部を破壊しているからに他ならない。その破壊を止めさせるべく、世界から修正がかかる。しかし、発動しているのが抑止力の一部であるならば、その魔力消費はごくわずかで済むだろう。なるほど、時間があると言ったのはこのためか。

「抑止力が近くにいるなら…普段発動する固有結界より修正の力が大きくかかるのもまた然り。まぁそれはそうとして、そっちの作戦は?無い訳じゃないんでしょ?」

「え、ええ…」

アイリスフィールが先ほどの切嗣からの電話の内容をかいつまんで話す。それをさっくり了承すると彼は何故か携帯電話を取りだした。

「えっ」

ライダーのマスターであるウェイバーが驚いてすっ頓狂な声を上げる。このタイミングで携帯を出すなんて、まぁ考えもしなかっただろう。彼は慣れた手つきでボタンを押してどこぞへ電話をかける。

かちん、と何かに繋がる音がした。

「アーチャー、目を貸す。あとはよろしく」

会話はたったそれだけ。言うや否や通話を切ったノアは川へと目を向けた。もう他の事は何も目に入っていないかのごときである。

「アーチャーのマスター、それは…」

「俺、念話のスキルないから。携帯改造したの」

何でもない事のように言うが、彼は分かっているのだろうか。それはまるで…。

「いってくれ、セイバー。アーチャーはすでに用意を始めてる。この状況を打破できるのはお前だけなんだろう?頼むよ」

セイバーはその真摯な瞳に促され、己の手のうちの剣を知らず握りしめた。「約束された勝利の剣」、その輝きは月を背負うアーサー王でありながらまるで陽光のごとく。
水面を蹴り、彼女は走る。そしてそれを飢えた獣のごときバーサーカーが追従する。―――予想外の展開だ。何故、先ほどまで戦っていた金色のアーチャーを差し置いてまでセイバーに向かってくるのか。狂戦士の宝具とする戦闘機から放たれる砲弾はセイバーのギリギリ後ろをかすめ、激しい水飛沫が巻き上がる。
異端のマスターは、それでも一向に目をそらさない。弟であるウェイバーですら空恐ろしくなるほど、彼は黙したままただ己のなすべき事をこなしていた。

セイバーの援護に、ランサーが駆ける。バーサーカーの操るジェット戦闘機を破魔の紅薔薇で屠る。しかし首尾よくそれに感づいたバーサーカーは、理性を無くしているとは思えぬ周到さを見せた。取り付けられた機関砲だけをその手に残し、あとの機体には見切りをつけたのだ。黒く淀んだ機関銃は、セイバーに銃弾を雨のように降らせる。
彼女は対城宝具で全てを押しきろうと剣を構えたが、それは杞憂に終わった。アーチャーからの援護だ。バーサーカーは吹き飛ばされ、そのまま遠く離れた水面へと沈んだ。
金ぴかサーヴァントの不遜な態度は鼻につくが、今そんなことに意識を向けている暇はない。

川の水面に照明弾が上がった。同時にノアの目が細められ―――その真上に、まるで蜃気楼のごとく怪魔が現れた。

剣を握る。水面を踏みしめ、彼女は渾身の力でそれを振り上げた。

「約束された――――勝利の剣!!」

エクスカリバー。生前のアーサー王が、一時的に妖精「湖の乙女」から授かった聖剣。様々な伝承に登場する、あまりにも有名すぎる剣。
その攻撃の美しさたるや、破壊力たるや。ノアはきっと、この光を生涯忘れない。

「これが…ラストファンダム」

最強の幻想。その名を冠するにふさわしい対城宝具。

「マスター」

不意に、彼の弓兵の声がした。振り返れば随分と疲れた様子の彼が、しかし無傷でそこにいた。

「お疲れ、アーチャー」

「ああ、いや…はぁ…」

何やら随分と疲れているようだ。いや、無理もない。そういう事をさせたのだから。

「さ、行こうか」

だがしかし、今日はこれだけでは終わらないのだ。まだなすべきことがある。踵を返したノアとは裏腹に、アーチャーは何処か遠くを睨みつけていた。

「…?アーチャー?」

「………いや、何でもない」

彼が何でもないといのであれば、そうなのだろう。ノアは再び歩き出す。

「英雄王…」

そのつぶやきは、生憎彼の耳には届かなかった。


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