01
「あっちぃ…」
本日の最高気温は35度を超える真夏日、じわじわと蝉が鳴いている。クーラーの一つもない古びたアパートはまさにサウナ状態で、もう暑いとか暑くないとかいう次元を超越したような気がする。そろそろサウナというのも生ぬるい。火のついたフライパンの中にでも放り込まれたのではなかろうかと疑いたくなるほどの暑さだ。
もう無理だ。
靖明は額の汗をぐいと拭いて、決心を固めた。…アイスを、買いに行くのである。
靴を履いて、つま先で軽く地面を叩く。玄関の扉を開けようとすればぼろい扉はガタがきているのか妙に開けにくい。がちゃがちゃと何度か取っ手を回し、がんっだのがしゃんだのとんでもない音を立てながらようやく扉が開いた。
そこは全く知らない場所だった。
「…は?」
あまりの出来事に一体何が起こったのか、数十秒考えたが全く分からない。
見たことのない町並みだ。背の高い積み上げられたような建物が所狭しと並び、遠くの方にはまるでモンサンミッシェルのように建物が密集している、小山の様なものが見える。城と言うには少し違うような気がする。
全体を見渡すために近くの塀の上にのぼった。高い所から見てもやはり見覚えのない景色だ。
それにしても妙に虫の多い街だ。黒く小さな虫っぽいものがふよふよとあたりを漂っている。別に不潔な町ではないと思うのだが。しかし、虫にしては妙だ。若干霊のような気配を感じなくはない。しかし魑魅魍魎の類とも違うようだし…一体何なのだろうか。小首を傾げた。
半袖で過ごすには少し寒い気温。先ほどまで暑くて暑くて仕方がなかったというのに、今は汗が冷えて寒い位だ。場所が変わると同時に季節まで変わってしまったのだろうか。そうなると一体いつごろなのだろうか。遠くの方でピンク色の木が見えたので、たぶん春だろうか。あれが桜ならば、の話だが。
考えていてもらちが明かない。昔の人はいい事をいう。案ずるより産むが易し、という奴だ。じっとしていても仕方がないので動き出す事にした。
少し進んだ所にあったバス停によれば、このあたりは正十字学園町という地名らしい。一体どこだ。携帯を開いて確認しようとすれば、圏外の二文字。あたりを見回せば携帯を使っている人もいるのに、何故圏外なのだろう。
「どういうことだよ…」
思わず呟いても、答える人間は誰もいない。しばらく携帯を閉じたり開いたりしていたが、意味のないことなのでやめた。
深いため息をひとつ吐く。
こういう事態に陥る可能性が、ない訳ではない。靖明の家は元々陰陽師の家系で、古くから霊だの妖怪だのとの接点がある。そういったものたちのいたずらか、それとも何らかの罠か。しかしそんなものをしかけられて気付かない少年でもなく。一体どういうことなのだたなおさら首をかしげる。
知らない場所、見た事もない景色。同じなのは空の色くらいか、と上を見上げれば、どんよりと曇っていた。空の色さえも違う。思わず眉をしかめれば、ぽつぽつと雨が降ってきて、あっという間に土砂降りになる。
「…はぁ」
なんだかもう雨を避けるのも馬鹿馬鹿しくなって、とぼとぼとそのあたりを歩くことにした。
しばらく歩けば、大分人通りの少ないおそらく町中から外れた場所に出た。あたりを見渡せば、どうやらここは墓地のようだ。十字架がいくつか建っているところから見ておそらくキリスト系の墓地なのだろう。そういう所にあまりいい思い出がない。なぜなら、こういう場所はたいがい土葬が一般的だからだ。嫌な事を思い出して、靖明は寒さではないもので体を震わせた。
「っくしん!」
しかし寒いのも確かだ。そろそろどうにかしないと風邪をひいてしまいそうである。
ふと、誰かの墓の前で黒服の男たちと、ピエロのような格好をした男がいるのが目に入った。何か緊迫した雰囲気が漂っている。…よく見れば、中央の少年以外何かしらの武器を所持しているようだ。
と、ピエロが何故か爆笑し始めた。一体何だというのだ。とにかく危ない状況ではないらしい。
「エクソシストになってやる!」
少年のそんな声が聞こえた。
エクソシスト。所謂悪魔払いを生業とする人の事だ。キリスト教、特にカトリック教会の用語でエクソシスムを行う人とも言う。エクソシスムとは誓い、厳命を意味するギリシャ語であり、洗礼式の時に悪魔を捨てる誓約があるが、その後に悪魔にとりつかれた人から、悪魔を追い出して正常な状態に戻すことをいう…らしい。知り合いにエクソシストがいない事もないが、そんなに口に出して誓わなければならないほど難しい職業だとは知らなかった。
「燐…っ」
か細くそんな声が聞こえて振り返れば、見たことのない男性がだばだばと涙を流して泣いていた。黒いコートに十字架。おそらく神父だろう。あの少年と知り合いなのだろうか。
「あぁー…くそっ。俺はそんなつもりじゃ…」
「じゃあいえばいいのに…っくしゅん!」
よく見れば幽霊のようだったが、近くに人がいないので構わず話しかけた。男性は驚いたようにこちらをみて、それから「俺が見えるのか!?」と今度こそ大仰に驚いてみせた。
「ああ…俺、一応シャーマンの家系でね。安倍靖明っていうの。あなたは?あの子の知り合いみたいだけど…」
「ああ…俺は藤本獅郎。あいつは燐って言ってな、血は繋がってねーけど、俺の息子だ」
「…ふぅん」
「しっかしおかしーなー…俺はゴーストの筈だから…あいつ等にも見える筈なんだが…」
「エクソシストっつーくらいだから、幽霊見えてもおかしくねーもんな」
悪魔を祓おうというのだから、霊的なものが見えなければ話にならない。そういう意味ではあの少年も、黒服の男性たちも素質に欠けている。
「ふぃっくしゅん!」
「大丈夫かよ」
「ううー…ぐずッ…幽霊に心配される日が来るとは思わなかった…」
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