「ねぇ、別れよっか」
わりと長続きした彼女に急にそう言われた。
俺、何かしたか?と頭でグルグル思いながらもなんとなく「そうか……」とよくわからない返事をしてしまった。
ピンポンというインターフォンの何とも軽そうな音で目を覚ますともう昼だった。
昨夜、久々に水町と会って酒を飲んだ。
それから家に帰ってそのまま寝た。
酔いつぶれて昼に起きるなんて自分にしては珍しい。
だるいな……誰だ?
昨日の酒がまだ抜けていない重い頭を起こして玄関の扉を開けた。
「遅い。寝てたの?」
「名前……。悪い、昨日飲んでて潰れちまって」
「あら、潰れるまで飲んだの?駿にしては珍しい。でも私、来るって行ったんだから準備くらいしておいてよね」
来客はつい一昨日別れたばかりの彼女いや、元彼女。
そういえば荷物を取りに行くと言われてたっけ。
「もう、忘れてたの?入るよ」
むすっとした顔で自分の横をすり抜けて部屋に入って行った。
急いでそれを追いかける。
「適当にやるから駿は好きにしてて」
「ああ」
「あー相変わらず男にしては綺麗な部屋だね〜」
部屋の隅に腰をかけてぼんやりと彼女の後ろ姿を見た。
一緒に住んでいたわけではなかっけど、時々こうして家に遊びに来ていた彼女の私物がいくつか部屋には置いてあった。
何がきっかけで付き合ったんだっけか。なんとなく、付き合った。そんな気がした。
自分と彼女の恋人関係というのはこの年齢の割りにはドライなものだったと思う。
前にその話を水町にしたら「へぇー真面目なお前が何となく付き合うとかあるんだ!?」と言われたけどそりゃ俺だってもうそんな夢見る恋愛をするほど子供じゃない。そういうケースだってあるのだ。
先日、その恋愛も終わったけど。
ハッキリした大人の女だ。お互い趣味も違う。だから別々に過ごすことが多かった。
良い奴だとは思うけど本当こいつのこと好きだったかと言われると微妙だ。少なくともときめいたことはなかった。
だから別れを切り出された時、すんなり返事が出来たのかもしれない。
だけど実はこうしてぼーっと振り返ると少しさみしいなと思うこともある。
「ねぇ、駿ってば」
「あ、悪りぃ。何だ?」
「もう終わったから。帰るね」
「なんか、わざわざありがとな」
「ううん。じゃあ、元気でね。」
「お前もな」
手短な挨拶を終えて彼女が玄関へと向かう。
大きな手さげにパンパンに入った彼女の私物達が窮屈そうにしているのが見えた。
「じゃ、お邪魔しました」
真っ直ぐ、淡々と言う名前を見てなんだか惜しい気がしてしまった。
「あ、あのよ。」
「何?」
「あのさ、昼飯、食っていかないか?」
何でこうなったんだろう。
一昨日、付き合っていた男筧駿に別れを告げて、今日、彼の部屋に自分の荷物を取りに来た。
それですぐ帰るはずだった。
なのに何故私はこうして彼の部屋でのんびり椅子に座ってるのだろう。
帰る際に急に彼から昼食の誘いを受けた。
断る理由もなく何となくOKしてしまったけどなんで?って疑問はある。
だって気まずい。私達は別れたのだ。付き合っていた頃もあまりこうして部屋で一緒に食事をすることは少なかった。
「実は誘っといてあれだけど家にすぐ作れそうなもん何もなくてさ、レトルトでもいいか?悪い」
「はぁ、別にいいけど」
「じゃカレーで」
こんな短いやりとりでさえ気まずさいっぱいだ。
駿が心なしかしどろもどろに感じる。
てゆーか何も用意してなかったのかよ。よく誘ったな。
駿は真面目だし誠実で良い男だけどその割案外、気が利かなかったり変なとこ無頓着だったりする男だった。
付き合っていた私にも無頓着。
こういう女性関係にはドライな人だと思う。前の恋人達とどうだったかは知らないけれど私とは甘い日々なんてなかった。
彼が両手にカレーの盛った皿を持ってキッチンから出てくる。
体の大きな彼が持つからなんだかお皿が小さく見えておかしい。
「ほら」
「ありがとう」
「……」
「……」
「うまいか?」
「まぁ。」
「そうか」
ただもくもくと目の前のカレーに手をつけた。まずくも特別美味しくもない無難な味。
溶けてドロドロしたじゃがいもが舌でざらつく。
変な感じ。こうして彼の家でご飯を食べるなんて付き合ってた頃あったっけ?と思い返した。
キリッとした駿の目が私を見ている。
「あのさ、」
「なに?」
「いや、何か不思議だなって思って」
「なにが」
「お前とこうやって飯食うの久々な気がする。」
「そうだね。しかも駿が作ったのは初めてかも」
「レトルトだから作ったわけじゃねぇけどな」
「そうだね」
「なぁ」
話を切っても駿が続けて言葉を出す。付き合った頃はむしろそっけなくてそんなことなかったのに。
「なによ」
「正直言うとさ、いまお前とこうして飯食ってて俺楽しいかも。」
「はぁ?」
「変だよな。今までそんなこと思わなかったけど。」
「……」
今更こいつなに言ってんの?って感じ。
だってそうでしょ。普通別れてから言うか?
思わずため息が出た。
駿がそれを聞いて苦笑いをしている。
「なぁ、何で別れようと思ったんだよ」
「なんで今そんなこと聞くの?」
「や、気になって……」
「じゃあ逆に聞くけど、駿は私のこと好きだったわけ?」
言ってしまった。
ハッキリそう告げると駿はちょっと俯いて考えるふりをする。
「……わかんねえ」
知ってる。駿は私にさしたる興味も抱いてないことなんて。
だって何となく付き合った私達だもの。
「ま、そういうことよ」
「何だよそれ。わけわかんねえよ」
「わかんないの?好きでもない相手と付き合うなんて普通変じゃない。少なくとも私は好きだったよ」
「……そうだよなあ」
「駿はさ、真面目だとか言われるけどそういうとこ馬鹿なのよ」
「そんな言い方ないだろう」
「あーやだやだこんな痴話喧嘩しにわざわざこんな所来たわけじゃないんだから」
駿がなにがしたいのからわからない。
今まであんなに素っ気なかった男が急に気を使い出すなんて。
「じゃあ駿はどうしたいわけ?」
「俺は、」
「いつもみたいにハッキリ言ってよ」
自分でも思う位可愛げのない、威圧的な声だったなと思う。
でもハッキリしたかった。
「俺は、お前とまたこうやって飯食いたいなって思う」
どこまで馬鹿なんだろう。
駿って意外と失うと興味が沸くタイプなのかな。
「なにそれ、私のこと好きじゃなかったのに?」
「そこまで言ってねえだろ。でも、何かこうして考えるとお前とやってねえことたくさんあるじゃん」
「まぁそうね」
「そこそこ長かった付き合いのはずなのにこうやって飯食うこともあんまなかったし俺お前のことあんま知らないかもな」
「そうだね、駿は私のことなにも知らない。」
駿が押し黙った。
そう、私は駿のこと知ってるけれど駿は私のこときっと知らない。
だって駿の時間はいつまでも高校で止まってるみたいなんだから。
駿はアメフトが好きで大学時代はアメリカに留学していた帰国子女で高校の頃の友達と仲が良い。特に水町君とやら。よっぽど学生時代に良い思いをしたらしい。よくその話を聞いた。
「そうだよな、俺お前のこと何も知らねえんだよな……」
そうやって力なく言うこの男がなんだか面白かった。
何てからかいがいのある人なんだよろう。
カレーを食べる手が止まっている。
「多分、俺お前のこと興味ないっていうか何もしなくてもいいから楽とか最低なこと思ってたのかもな。本当ごめん」
大きな図体を丸めて、うなだれてひたすらごめんという姿は滑稽で普段のキリッとした姿からは想像できない。
怒られた時の犬のようだった。
「俺たち、どうするんだ?」
「そんなの決まってるじゃない。別れるのよ」
「そうだよな」
「でも確かに最後のご飯がこんなヒドイのじゃ嫌ね」
「えっ」
デカイ体が小さく飛び上がるのがチラリと見えた気がしたが知らんぷりしてカレーの乗ったスプーンを口に運んだ。
「次に別れる時はちゃんと美味しいご飯を用意してよね」
「どういう意味だよ?別れないってことか?」
「自分で考えてよ」
「何だよそれ。つーかお前は俺と復縁するつもりあるのか?」
ズイッと駿が身を乗り出して聞く。
「さぁ、わかんない」
「わかんないって……」
「あんただってさっきそう言ったじゃない。自分で迫っておいて何なのよ」
「……でもわかんねえのにヨリを戻すなんてできねえだろ。こんなのアリかよ」
「いいんじゃない。私達、もう大人よ?恋愛に夢見る10代と違うんだからアリよ」
「そうか……?」
彼はその言葉を聞くとホッとしたようにストんっと綺麗に座り直した。
「で、駿から他に言うことは?」
「あー、と……また俺と、付き合ってください」
若い子みたいに何でかつっかえながら、照れながら駿が言った。
何が恥ずかしいんだか。
「……けど、駿にはこれから頑張ってもらわなきゃね」
「何を」
「そうね、駿はいつも水町君とやらと行くけど私もアメフトの試合を見て見たいし教えてほしい。それにアメリカについてたくさん聞きたいし。駿にも料理を作って欲しいし、私の友達のことも知ってほしい」
「そんなことでいいのかよ。」
「そんなことも今までやらなかったくせに」
「ごめん。やるよ全部。お前、アメフトとか全然興味ないかと思ってたから……」
「そんなこと一言も言ってないじゃ無い!」
「そうか、そうだよな。俺、チケット取ってやるから今度行こうぜ。あと、今度何か飯作ってやるよ。何が食いたい?」
いつもクールな面持ちの彼がどことなく嬉しそうに見える。
こんな顔を見たのは初めてだった。
なんて微妙な関係なんだろう。
これが大人ってものなのかな。わからないけれど。
「そうね、」
目の前のレトルトカレーは冷え切ってますますどろどろとしている。
「カレーがいいかな。レトルトじゃなくて、ね」
溶けたじゃがいもはほんとんど元の形がわからないほどだ。
駿がカレーを作った時はジャガイモはあとで入れてもらおう、そう思った。
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