ここ数日というもの、雲ひとつない青空ばかりで正直いい加減にしてくれと思う。
外を歩けば、肌が焦げ付くんじゃないかという程に凶悪な日差しに焼かれるし、窓からは熱せられた生ぬるい温風が吹き込むし、夜すらずっと暑くて堪らない。
熱中症だ夏バテだと世間が騒ぐのも納得というこの危機を、乗り越えるべく人々がすがるのが……毎年恒例のこの日でありますよ!

「どうだ、この大きさ! この身! このタレ! 美味しそうでしょう!」
テーブルへと案内する自分が、さぞおめでたい顔をしているだろうという自覚はある。
こんなにニコニコしてはまるで食いしん坊じゃないか!とも思うのだけれど、対象が対象なんだから喜びが溢れるのも仕方が無い。ああ、本当になんて美味しそう!
「丼にしようか、ひつまぶし風にするかと迷ったんだけどね。あんまり弄らない方がいいかなと思って別皿に分けてみたよー」
「……今日はやけに嬉しそうだと思えば。そういや、今日だったんだな」
コンビニの店頭でも、予約だの何だの宣伝してたっけなぁと呟く蛭魔くんは、安定の通常運転だ。むぅ。これほどの鰻を見てテンションが上がらないとは……。
「いやぁ、夏はこの日が有ってよかったと毎年思うよ」
ああ、と吐く息が熱いのは、もちろん気温のせいだけではない。
「まあ土用の丑とか関係なく、年がら年中食べて美味しいご馳走なんだけど、やっぱり世間が讃えるのに乗っかって味わうのには、また格別な楽しさが……」
「……おい。なんだお前、そんなに鰻が好きだったのか?」
大好きだとも! 三食白米と白米な食卓が三日続いても嬉しいくらいには、大好きだとも!
って、あれ、おかしいな。蛭魔くんの視線が呆れたものになっている。
……てっきり蛭魔くんも大好きなものだと……うーん、前情報と違うんじゃ……?



「いただきます」
合わせた両手を離すと同時に、一方で御茶碗を持ち、一方で鰻の身を挟み、まずは一口。
……ああ! なんてふわりとしつつ蕩ける触感! 炭火独特の香ばしさと絶妙なミックスでまさに至上の一品……!
……っていうか本当にいい鰻ですよ流石ですよ。スーパーの鰻でも充分幸せだけど、やっぱりわざわざ愛好されるだけの違いは有るってことだな、さすが高級品。さすが老舗!
グルメ漫画だったらここでバラ色の背景で宙を遊泳しているコマが出るに違いない、という一口目をごくりと呑み込んで、はぁ……と余韻に酔いしれる。
「つーか名前。お前幾らなんでも喜び過ぎだろ。ったく、嬉しそうな面しやがって……つーか、そんなに鰻が好きなら今度旨い店へ連れてってやるよ」
「おお、それは楽しみ! でも、なんか蛭魔くんが言うと高そうなんだけど」
「ハッ。その替わり、めちゃくちゃ旨いぜ」

キラキラと瞳を輝かせる私に気を良くしたのか、蛭魔くんのにやり笑いが深くなる。
「ま、そんじょそこらのコレとは比べられねぇだろうなぁ」
そう言って自分の皿の鰻に箸を付けた蛭魔くんだったけれど、一口食べるなりみるみる表情が変わった。一瞬キッと見開いて、そのまま表情が無くなっていく。
「名前」
もぐもぐ、ごっくん。美味しいものを食べているとは到底思えないような無表情の咀嚼の後には、地を揺らすような低い声が投げかけられた。正直、結構怖い。
「は、はい?」
「お前これ、どうした」
結構怖いけど、まあなんとなく予想していた展開の一つだったので、冷や汗がばれないように笑顔を作るくらいの余裕はあった。
それでもびくりと肩が震えたのは、ご愛嬌と思って見逃して欲しい。だって予想していたとはいえ本当に怖いし。
「いや、これはほら、うん……ほら、美味しいって聞いたお店で……」
「確かに旨いが、大学生がほいほい持ち帰りを頼めるような店じゃぁない筈だがなぁ」
うわー。この口振りはしっかりお店に目星が付いているってことじゃないか。凄いぞ!
一口食べてどこの店かわかるって、それこそどこのグルメ漫画だ! さすが、違いの分かる男、蛭魔くん!
「名前。茶化すな」
「うー……そんなに睨まないでよね。はいはい黙っていた私が悪うございました」
それでも、怒りの矛先が私自身に向いていないってのが分かるから、まだマシなのだ。

「サンタクロースがね、持って来てくれたの」
「……はぁ?」
さすがに予想外の答えだったのか、見事に肩透かしを食らった蛭魔くんからは、凍えるような怒気がふっと消えた。
ついでに、白鬚赤服のあの人の姿を思い浮かべたのか、遅れてプッと噴き出した。おお、いい雰囲気だ。もういいやこの調子で流してしまおう。
「サンタって柄かよ。しかも今は夏だぜ。お前、いよいよ暑さで頭が沸いたか」
「酷いなぁ。ちなみに、そのサンタさんは春夏秋冬関わらず、常にいい子にプレゼントを贈りたくて堪らないご様子でしたよ」
「で、貢がれてやったのか」
すっかり調子が狂ったようで、今や霧消した怒りの代わりにその顔にあるのは、呆れる様な面白がる様な表情だ。
「だーかーらー、そういう人聞きの悪い言い方しないでって。今日というこの日に合わせてわざわざピンポイントでお使いの人が来てくれたのよ」
それも、昼からの講義に向け家を出ようとしたタイミングで、彼らはやって来た。
「いい年したおじさまたちが、わざわざこんな小娘宅に、真昼間から有名店の鰻を持って、よ? 大層すぎて申し訳なくて、断れるわけないじゃない」
「……ああ、あいつと会ったわけじゃねぇのか」
屈強さを絵にかいたような短髪の男性と、物腰柔らかだけど有無を言わせない感じの初老の紳士でしたよと告げると、心当たりがあったようでまた「ああ」と呟く蛭魔くん。

「つーか、俺が相手にしないならお前にかよ。チッ、油断も隙もあったもんじゃねぇな……。よし。今度こそ、この家を二十四時間監視体制にしてみるか」
「ちょっと、また玄関にカメラ取り付けとかは止めてよね。蛭魔くんがやるといちいち大袈裟すぎて、逆にご近所さんから不審がられるんだから」
不穏なことをサクッと言う蛭魔くんにちゃんと突っ込んでから、ねぇと声をかけた。
「でまあ、せっかくの逸品だし。腹の一物は置いといてさ、今日のところは美味しい鰻を堪能しようじゃありませんか?」
まあどうしても、お父さんからの施しは受けたくないって言うのなら別だけど。
その場合は尊重して、蛭魔くんの分の鰻は私の明日のお弁当にしようじゃないか。
「あいつのことだ。どうせお前にそうやって『食おう』って言われりゃ、俺がほだされると思ってやがるんだろうよ」
「ああそう……じゃあ……」
「ま、確かに食いもんに罪はねぇし、お前が喜んでるなら俺は別にいいんだがな」
フン、気にしない俺の方が上手だぜ、とでも言う様に切り分けた鰻をぱくりと口に入れる蛭魔くんを、私は珍しいものを見たと凝視する。
「なんだよ。お前はこれを気に入ったんだろ? なら、それでいいんだよ」
ああ、と少し遅れて合点がいった。とりあえず、お父さんへの反発より私の喜びの方を重視して色々受け流すことにしたらしい。
まあ、当人の居ない所でむきになって反発しても、それはそれで疲れるだけだしね。
気を取り直して再度の極上の一口に頬を緩めた私に向かって、ただし、と蛭魔くんが付け加えた。

「ま、当然ながら店で食うのが一番だからな。そっちは、俺に任せとけ」

ちらつく対抗心が微笑ましい、と笑ってしまえば機嫌を損ねることは目に見えている。
浮かんだ言葉の代わりにごくりと喉を鳴らし、盛大な喜びの声で応えてみせると、蛭魔くんにくすりと笑われた……のは別にいいのだけれど、その笑みが甘すぎたのが問題だ。
恐ろしいことに無自覚であろうこの甘い表情に、見事に掻き乱された私はすっかり鰻の味どころではなくなってしまった。





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