目の前には、男性用の大きめの弁当箱。
中身は、しっかりと入っている。

『復縁したんだから、カレカノらしいことしなきゃ!!』

と、鈴音から言われたので、ムサシのためにお弁当を作ってみた名前。

今から一年以上前に買ったこれが、今ようやく役目を果たそうとしているとは想像もしていなかった。

一年前の彼の誕生日の時、高校生になれば昼は持参だ。
という事で、毎日とは言わないが時々なら作ってやるとムサシに言った。

2人で決めて買った、これ。
使われる前にムサシはアメフトを辞めてしまい、ずっと眠ったままであったが。


「って、なんで感傷に浸ってんだあたし!!」

ガンッ、と自分の頭を殴ってから思い切り振るう。

とりあえず、今日のお昼。
これを彼に渡せるか、勝負だ。

普通に渡せばいいのだが、お生憎と名前は素直ではない。
故に、ただ弁当ひとつ渡すだけでも、彼女にとっては至難の業とも言っていいだろう。

「さ、さりげなくだ! さりげなーくあいつに押しつければなんの問題もない!!」

お昼の時間、彼が購買に行く前に先手を打って押しつければいいのだ。
そして自分は全速力で逃げるだけ、これで完璧。

名前はそう自分に言い聞かせ、スクールバックにムサシのお弁当を詰めて、家を出た。

このお弁当の中には、どうしても食べてもらいたい一品が、あるのだから。
黄色いフワフワとした食感に仕上がった、彼が好むであろう味付けに仕上げた、出汁巻き卵。

渡せますように、と片隅で祈りながら学校までの道のりを歩いた。

「・・・・・・」

朝練を終えて、午前の授業を終える5分前。
名前はやけに緊張して、教科書を握りしめる。

(だ、大丈夫だ。
 渡すだけ、押しつけるだけ、逃げるだけ・・・)

若干、お弁当を渡すという定義とは違う気がするが、これが彼女の精一杯なのだ。
やけに高鳴る心臓をそっと押さえた瞬間、午前の授業の終了を告げる鐘が鳴り響いた。

(き、きた───!!)

先生が教室を出ると、生徒たちも持参してきたお昼を取り出したり、購買に行こうと財布を持ったりする。

もちろんムサシもその1人なので、行かれる前に!と振り返ったが。

「名前、行くぞ」
「ちょっと待っ・・・! えっ?」
「え、じゃないだろ。
 今日は屋上であいつらと食う約束だったろ」
「・・・・・・」

名前はムサシの爆弾発言に、数秒固まった。
記憶を瞬時に掘り返し、確かにそんな約束をしていた気がする。

「なにやってるの2人とも〜」
「チッ、イチャついてねーでとっとこい!!」
「別にしてねえだろ、名前がなんか固まってんだよ」

そんな会話など、今の名前の耳には寸も入ってこない。

今、彼女が感じているのは絶望。
いや忘れていた自分が完全に悪い、つまり失態なのだが。

冷や汗がただ、名前の背中を静かに伝う。
顔が青ざめていくのも、なんとなく分かった。

「・・・顔色、悪くないか?」
「ひゃっ!?」

名前の青い顔を見たムサシが、具合が悪いのかと思ったようで、額に手を当てる。
それでようやく、名前は我に返った。

「わ、悪くなんてない!!」
「っと、そうか?」

バッ、と手を振り払って答える。
ムサシは少しだけ納得のいかない顔をしてから、引き下がった。

「こ、購買行くのか・・・?」
「いや、今日はもう朝、買ってきた」
( 詰 ん だ ! )

ガサリ、と持っていたビニール袋を持ち上げるムサシを見て、名前は心の中で膝をついた。
おぼつかない足取りで、名前はスクールバッグを手に持つ。

既に買ってしまっているならば、今日はもう渡す事は叶わないだろう。

それに仮に渡せても、周りからからかわれる運命にある。
特に三兄弟とモン太、蛭魔あたりに。
まもりからも後々、多大な質問責めにあいそうだ。

(あ、なんかそれ考えたら渡さなくて正解かも・・・)

いくら渡した瞬間だけ逃げても、後々がやってくるのだ。
なら渡さなくて正解ではないか、そうに違いない。

朝の決意は、一体どこへやら。
名前はスクールバッグの紐を握りしめながら、少しだけ寂しい、残念な思いに気づかないよう、自分に言い聞かせた。


場所は変わって、屋上。
どうやら名前たちが最後だったらしく、既にメンバーは揃っていた。

三兄弟とモン太に至っては、既に昼を食べ始めている。

「あ、遅いっすよー! 待ちきれなくて先に食べちゃってます!」
「ごめーん」

もぐもぐとバナナをくわえながら言うモン太に栗田が答える。
それから適当に座り(蛭魔に至ってはいつも通り離れて)、各々のお昼を広げる。

(一応)女子同士、という事で、必然的に名前はまもりの隣になった。
はあ、と重いため息をこっそりと吐きつつ、名前はスクールバッグのジッパーを開ける。

「・・・あれ、お弁当そんなに大きかったっけ?」
「ああ、これ? ムサシ用に作って・・・」

隣にいたまもりが、チラリと見えた弁当箱を指摘する。
名前は特に意識なく話し始めた時、ハタ・・・と気づいて言葉を止めた。

しかし、重要な部分は既に口から飛び出していた。
先ほどまで会話が飛び交っていた空間が、静寂に占められる。

(こっから飛び降りて死にたい)

名前は切実に、そう思った。

「・・・・・・なんでそれを早く言わねえんだ」

既に口を開けてしまったパンを持ちながら、ムサシが少しだけ怒ったように言う。

いや、そこは自分の性格を考えてくれ。
と、名前は心の中で反論した。

「だってもう買ってたじゃんか! よけい渡せるかバカ野郎!!」
「こんなの明日に回せば済む話だろ」
「わ、渡さないからな!?
 もう口あけちまったもんな!? もったいないからそれ食えよ!?」
「栗田、これやる」
「え、いいの?」
「ああ、弁当あるからな」
「やったー!ありがとうムサシー」
「おう。
 ・・・これでもう俺の昼飯はなくなったぞ」
「ワッツ!?
 バカなの!?なあバカなの!?そんなに欲しいの!?」
「ああ、欲しい」

サラリと言いのけるムサシに、名前は渋る。
まさかこんな強硬手段をとってこようとは、と心の中でごちった。

くれ、と言うように差し出された武骨な手。

名前はそれを数秒見つめたあと、半ばヤケになったように弁当を取り出して、差し出された手を通り越して、逞しい胸板に押しつけた。

「ありがとな」
「べっ、つに・・・」

ぽん、と頭に置かれた手を振り払い、そっぽを向く。
ムサシはそれを見て、細く微笑んだ。

「「リア充シネ」」
「地獄に落としてやろうかテメエら・・・」


すっかり2人だけの空気になりかけた頃、黒木と戸叶が忌々しく呟いた。
それに名前は壊された怒りと、気づいた羞恥を隠すために低い声で睨みつける。

すると、それに怖じ気ついた2人は即刻、何事もなかったかのように自分の昼を食べだした。

「美味しそうですねー」
「苗字さんって料理うまかったんだ」
「意外すぎる・・・」
「むしろギャップありすぎてキモいな」
「ああ、キャラじゃねえ」
「よしそこの三兄弟ちょっと来い」

ボキッ、と関節を慣らして手招きする。
その瞬間、彼女に向かってスライディング土下座をしたのは言うまでもない。

しかし怒りは収まらず、三兄弟の頭を一発ずつ殴ってから、名前は自分の弁当を開ける。
出てきた中身は、ムサシのものとは違っていた。

「・・・わざわざ中身、別にしたのか」
「あ? 当たり前だろ。
 あたしが食べるのとムサシが食べるのとじゃ意味がだいぶ違うだろ、一般の男子高校生なんだからガッツリじゃねえと部活後まで保たないだろうが」

バカか、と付け足して名前は自分のお昼を食べ始めた。

・・・てっきり、恥ずかしいから。
という理由が返ってくるかと思いきや、まさかの自分の事を考えてくれた結果だと言う言葉に、ムサシは言葉を失った。

キラキラとした瞳でこちらを見つめてくるまもりを視界に入れないようにして、ムサシも箸をつける。

最初に目に付いた、出汁巻き卵。
パクリ、と口に入れた黄色いそれはほどよい味付け。

以前、というよりもだいぶ前。
自分が彼女に、普通のものよりも好きだと言った事を覚えておいてくれたのだろうか。

口の中に広がる出汁の味は、気のせいだろうか。
とても自分好みに感じる、感じてならないのだ。

さらに驚くべきはこの弁当、冷凍食品がひとつもない。
彼女の物も盗み見たが、そっちにもそれらしき物は入っていない。

(我ながら、いい彼女をもったもんだ・・・)

口がやや悪く、何かと素直ではないが、本当はとても優しくて、気遣いができる。
贔屓目かもしれないが、名前以上の女なんていない、と柄にもなく思った。

「・・・どれも美味いな」
「あ、そ・・・」
「中でも出汁巻き卵が一番、美味い」
「・・・そ」
「また、作ってくれると嬉しいんだが」
「考えといてやる・・・」

素っ気なく名前は返事をしたが、そのあと。
ムサシにしか聞こえないであろう小さい、小さい声で『ありがとう』と述べた。

そして、お昼が終わる頃には。
名前のスクールバッグの中に、米粒ひとつすら残っていない弁当箱があったのは言うまでもないだろう。





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