Melt | ナノ

Melt


 硝子越しに日の光が射し込んでくる。まだ外では冷たい風が吹いているけれど、ふんわりとした天鵞絨張りのソファーに座る千鶴は、ぽかぽかとした早春の暖かさに包まれていた。

「それで…最近どうだね。総司は何か君を困らせたりはしていないだろうか?」
「そんな事ないですよ。沖田さんはいつもとても優しくて……むしろ私の方が…」

 そこまで言うと、千鶴は少し俯いた。こんな話をしてしまってもいいのだろうか?贅沢な悩みだと思われないだろうか?気遣わしげな空気が漂うのを感じておそるおそる見上げると、近藤が穏やかな瞳で千鶴を見つめていた。

「………その…」
「ん?……もし言いにくい事なら無理に話さなくても構わんのだぞ」
「いえっ」

 紆余曲折の末に手に入れた穏やかな日々。婚姻を結ぶまでの甘い婚約期間――いや、きっと沖田と千鶴ならその後もずっと甘い日常が続いて行くのだろうが、千鶴には誰にも…沖田や井上にも言えない、漠然とした不安のようなものが芽生え始めていた。
(近藤さんなら…何か助言をくださるかもしれない)
 沖田が誰よりも慕う人、彼との事を相談するのにこれ以上の相手はきっといない。

「……ずっと気になってるんです。私は沖田さんの為に何か出来ているのかな?って。身の回りのお世話は井上さんやお屋敷の皆さんにお任せする事になっているらしく…お茶のご用意ぐらいしかさせて頂けないですし、私はただずっと…お世話になるばかりです。沖田さんにそれとなく聞いてみても『何もしなくてもいい』としか言ってもらえなくて…少しでもお役に立ちたいと言う気持ちに変わりはないのに……どうすればいいのか」

 今まで一人で抱え込んでいたのだろう。言い切った後、千鶴は少しほっとしたような表情を浮かべた。
 そう言えば源さんも時々彼女が思い悩むような素振りを見せると心配していたな――そんな事を思い返しながら、近藤は幼い頃の沖田によくしてやったように、その大きな手のひらで千鶴の頭をぽんぽんと撫でた。

「俺には、総司はただ君が傍にいてくれるだけで、前よりずっと幸せそうに見えているんだがなぁ」
「……っ…でも」
「君の気持ちを否定してるんではないんだ。こういう時、トシならもっと上手い言葉を掛けてやれると思うんだが、生憎俺は…どうにも不調法でな」
「そんな!近藤さんのお言葉、とっても嬉しいです」
「そうか、それならいいんだが…」
「……はい」 
「だが君はあいつに何かしてやりたい…そう思ってくれている。――なら、こういうのはどうだろう?『何』がと深く考えず、些細な事でもいい…まずは総司を笑顔にしてやってはくれまいか。あいつは笑っているように見えても本心からの笑顔は少ないからな」
「沖田さんを…笑顔に?」
「総司は滅多に他人を懐に入れない。難しいと思うが、それは君にしか出来ない事だと思うぞ」

 きっと忙しいだろうに。こんな他愛ない相談に真剣にのってくれる近藤の優しさがじんわりと胸に染み入ってくる。瞳が勝手に熱くなって涙が滲むのを千鶴が感じたのと、聞き慣れた愛しい声が冷えた外気と共に入ってきたのとは同時だった。

「やっぱり近藤さんだったんですか!店の前に見覚えのある馬車が停まってると思いましたよ……って……千鶴ちゃん?」

 大きな琥珀色の瞳が潤んでいるのを目敏く見付けた沖田が怪訝そうな表情を浮かべる。今の話は内緒にしてほしいと無言で訴え掛ける千鶴に鷹揚に頷くと、近藤はさり気ない様子で話題を変えた。

「そういうお前は何で来たんだ?見たところ馬車ではないようだが…」
「今日は馬で来ました。天気も良いですし」

 心配そうな顔をした近藤に「大丈夫ですよ」と軽く答えると、沖田は困ったように…けれど少しばかり嬉しそうに眉を寄せた。
 通常、上級士官にもなると馬での移動は極力控える。いつどこから刺客が襲ってくるとも限らないからだ。剣でならまだしも、馬上にいるところを狙撃されてはひとたまりもない。

「……総司」
「だから、大丈夫ですって。近藤さんも誰かさんみたいに心配性ですね。今月は一君の三番隊が帝都の警備に当たってますし、滅多な事はないですよ」
「それはそうかもしれんが……充分気を付けるんだぞ。お前の代わりはいないんだからな」
「はい。でも近藤さんもですよ、僕なんかよりもっと…近藤さんの代わりはいないんですから。……それにしても…?確か源さんに彼女を送ってもらうようお願いしてたんですが」
「ああ、ちょっと時間が空いたので二人と茶でもと思ってな。そうしたら偶然同じ方へ出掛けると聞いて…まぁついでみたいなものだ」
「そうだったんですか。ありがとうございます」

 頭を下げた沖田に「礼には及ばない」と答えると近藤は千鶴に片目を瞑ってみせた。そして沖田と軽く二言三言談笑すると、まだ片付けなければならない要件があるからと店を出て行った。

「だいぶ待った?」
「……ほんの少し。でも近藤さんがご一緒してくださったので、待ってる間も楽しかったです」
「そう。それならいいんだけど…」
「……?」
「…………千鶴ちゃんは運がいいね。近藤さんは凄く忙しい人だから、僕だってなかなか個人的には会えないのに」

 そう言ってぷいっとそっぽを向く沖田は――もしかしてもしなくても、近藤をひとりじめしていた千鶴にやきもちを妬いている。氷の大佐のこんな顔は限られた人間しか知らない、そう思うと可愛くて堪らなくなって、千鶴は沖田の手をきゅっと握った。

「私達、ずっと沖田さんの話ばかりしてました。近藤さんは本当に沖田さんを大切に想ってらっしゃるんですね」
「……君ってほんとずるいよね。そうやってすぐ僕を懐柔してしまうんだから。……少しぐらい意趣返しに意地悪させてくれたっていいのに…」
「意地悪…?」
「うん、意地悪。……あんな事やこんな事」

 例えばね、と耳元に唇を寄せ何やら囁くと千鶴の頬が真っ赤に染まる。その様を見て溜飲が下がったのか、沖田は猫のようににんまりと笑うと近くに控えていた店主を呼んだ。

「君も、待たせてしまって悪かったね。今日は彼女に春物を見繕ってもらいたいんだけど」
「かしこまりました。既に何点かご用意しておりますので、こちらへ」

 いったいどんな事を言われたのか、頬を火照らせたままソファーに沈み込んでいる千鶴に「落ち着いたらおいで」と声を掛けると、沖田は一足先に店主と別室へ入って行った。

「……うぅ」

 すぐに真っ赤になってしまうこの体質をどうにかしたい。でも解ってもいる。原因があって結果がある、沖田が原因で千鶴が結果なのだから――きっと一緒にいる限り治りっこない。両手を頬に当て、少しでも早く熱を吸い取ってほしいと願いながら千鶴は店内を見渡した。
 そう言えば…いつも屋敷へ来てもらっているため、この洋装店へ来るのはまだ二回目だが、以前来た時と比べて装飾が可愛らしくなったような気がする。前は確か、いかにも高級そうな重厚な雰囲気だったはずだ。少なくともこんな赤や桃色したリボンやハートは飾られてはいなかった。

「お嬢様、何か気になられたお品でも?」
「そうではないんですが……あの、あれって」
「ああ…あれは『セント・バレンタイン』の飾り物です」
「せんと…ばれんたいん?」
「はい。近頃異国から入ってきた風習で『好きな男性にチョコレートを贈り愛を告白する日』らしいです。まぁチョコレートと共に贈り物を差し上げる場合も増えて参りましたので、当店でもこのように装飾を」
「…そうなんですか」

 頷きながら、千鶴の頭の中では『ちょこれーと……ちょこれーとって何?!』という疑問が渦巻いていた。だがさも当たり前のように説明されてしまったので何となくこれ以上尋ねにくい。自分が世間知らずで何事にも疎いのは自覚していたし、それを隠して格好をつけるような千鶴ではなかったが、無知をさらけ出して沖田の評判に傷を付けるような事は避けたかった。

「お嬢様のお相手はもう決まってらっしゃいますね。女性から男性に想いを伝えるのはなかなか勇気の要る事だと思いますが…聖なる日が良い一日になりますよう祈っております」
「は…はい」

 よく解らないまま沖田との仲を応援されてしまい千鶴が照れた様子で頷く。それが初々しかったのか、店員は畏まった表情を少し和らげた。

「…長話をしてしまいました。よろしかったらそろそろ大佐の元へご案内致しましょう」
「あ、いえ…お気遣いはありがたいのですが、もう少し休んでからにします」
「さようでございますか。でしたらご休憩の間お飲み物でも…」

 ぱちんと指をならすと別の女性店員が銀のトレイを捧げ持ってやってくる。そしてテーブルの上のぬるくなった紅茶を下げ、代わりにフルートグラスに入った冷えたシャンパンを置いた。

「ギィ・シャルポ ペルレのロゼでございます。きっとお気に召しますよ」
「――――うん。確かに香りのいいシャンパンだし、綺麗な色味で彼女に似合うと思うけど…」

 いつの間に傍に来ていたのか、千鶴が手にするより早く沖田がグラスをひょいと持ち上げトレイに戻した。

「違う物をお願いできるかな。ただし…酒以外でね」
「…っ沖田さん」
「前にシャンパンを飲んだ時どうなったか、もう忘れたの?ま…『僕』は一向に構わないけど」
「う…」

 酔った身体で抱き合うと快感も増すけれど行為の後の倦怠感も半端ない。それは婚約パーティの夜で実証済だ。常日頃から身体を鍛えている沖田ならいざ知らず、体力のない千鶴はまたゆうに半日はベッドから出られなくなるだろう。沖田にしてみればそんな千鶴も可愛くて、親鳥が甲斐甲斐しく雛に餌を運ぶように菓子だのフルーツだのを愉しそうに千鶴の口に運ぶのだが。

「……起き上がれなくなるのは困ります」
「どうして?僕が何でもしてあげるよ」
「ですから…っそれが…恥ずかしいんです」
「恥ずかしい?」
「あ…あーんとか……無理です。私、小さな子供じゃありません」

 彼といるとまた…せっかく治まりかけていた頬が熱を持っていくのが自分で解ってつらい。それはとても幸せな事ではあるけれど、千鶴にしてみればいつまでたっても幼さが抜けない象徴の様でいたたまれなくなってしまう。

「可愛すぎる君が悪いんだよ?それって僕のせいじゃないよね」

 どう返事をすれば良いのか解らず、ただ頬を染めた千鶴をじっと見つめる翡翠の片眼、金の光彩が溶けこんだ甘く輝くこの色は千鶴にしか向けられない。可愛いから甘やかしたくなる、からかっていじめたくなる。それは沖田に言わせれば至極当然な自然の摂理だ。

「は…春物のお洋服も…新しく買って頂かなくも何着も持ってます…」
「流行りはどんどん変わるんだよ?」
「…でも、もったいないです」
「節約したって使い道なんてないし、こんなの全然使った内に入らないし。君を着飾らせて楽しみたいっていう僕の唯一の趣味を…千鶴ちゃんは許してくれないの?」

 寂しげな声音でそんな事を言われてしまえば、わざとだと解っていても受け入れるしか千鶴に術はない。それが惚れた弱味というものだ。シャンパンの代わりに置かれたオレンジジュースをこくりと一口流し込んで気持ちを落ち着かせると、恭しく手を取る沖田にエスコートされ、審美眼にかなった何着もの衣装を身に纏うため千鶴はゆっくりと立ち上がった。





*****





「そうかい、それはそれは…また大量の品が届くんだろうね」
「うぅ…お手数をお掛けします」
「なんのこれしき。でも楽しかったんじゃないのかい?あの辺りは賑やかな店が軒を連ねているからねぇ」

 翌日。土産話を聞きながら井上も楽しそうに目を細めた。
 こうして気紛れに連れ出してもらう以外、千鶴はほとんど屋敷の外へ出たりはしない。以前襲われかけた事が要因なのか、それとも沖田元来の独占欲がそうさせているのか。本人も生い立ちのせいか特に現状に違和感を感じていないようで、千鶴はいまだ幸せな籠の鳥だった。

「はい!夜の帝都ってあんなに綺麗なんですね。どのお店もきらきらしてて、昼間みたいに明るかったです」
「そうだね。それを見せたかったからきっと、総司は馬車じゃなく馬を選んだんじゃないかな」

 小さな窓越しでは感じられない、異国情緒と和の溶け合った街の空気やざわめき。分厚いコートを着せてもらっているのに、寒くないようにと背中から抱き締められるように馬に乗せてもらったゆうべを思い出し、千鶴はほんのり頬を染めた。

「…そう…ですね」
「もちろん総司が馬車より馬の方が好きだって事もあるだろうけどね。いくら自分に自信があるからと言っても、傍で見ている私達はいつもはらはらさせられるよ」
「近藤さんも心配されてました。でも一君が警備してるから大丈夫だって……喧嘩ばかりなさってるのに…信頼されてるんですね、斎藤さんの事」
「あの二人は『双璧』だからね」

 それだけ言うと井上はくすっと笑った。確かにこれまでも何かと張り合ってきた好敵手の二人だが、最近の言い争いは主に千鶴のせいだ。気付いてないのは鈍感な本人だけだろう。

「えっと……とっても楽しかったのは確かなんですが…」
「……」
「解ってはいたんですけど………沖田さんってやっぱり…その…すごく女性から人気があるんですね…」

 ふいに表情を曇らせたから何かと思えば、なんだそんな事かと内心井上はほっと胸を撫で下ろした。
 千鶴がゆうべ連れて行ってもらった辺りは昔沖田がよく出入りしていた怪しげな店も多く立ち並んでいる。きっと馴染みだった女でもいたのだろう。

「声でも掛けられたのかね?まあさほど気にする事はないと思うよ。…と言うか、総司の方も機嫌が悪くなったりはしなかったかい…」
「…っ!なりました……どうして解ったんですか?」

 自覚は全くないようだが、かくいう千鶴も相当――主に男の目を惹く。そんな目立つ二人が連れ立っていれば、きっと昨夜の花街は噂でもちきりだったに違いない。

「うーん…何となく察したというか…だね」

 苦笑する井上をきょとんとした様子で見つめ千鶴が首を傾げる。そして何かを思い出したのか、はっとしたように井上に問い掛けた。

「『ちょこれーと』…ってご存知ですか?」
「え…ああ、知ってるとも。異国から入ってきた菓子の事だろう」
「お菓子……じ…じゃあ『せんとばれんたいん』は…」
「それも異国の古の聖人の名前だね。今ではチョコレートを贈って愛を伝える催し事の名前になってるとか…。だがそれがどうかしたのかい?」
「私…沖田さんに贈りたいです。そのチョコレートを…」

 やはりあの店で聞いた話は実際に行われている事だった。
 毎日のように沖田は愛の言葉を惜しみなく…もう照れてしまうぐらい囁いてくれる。けれど自分は?
 想いは決して負けていないと胸を張って言える。だが恥ずかしさが先に立って…伝えられてない、全然足りてない。
(チョコレートを渡して、ちゃんと気持ちを口に出来たら…)
 沖田は笑ってくれるだろうか?少しでも彼を幸せに出来るだろうか――
  

 その日から千鶴の猛特訓が始まった。井上曰く、チョコレートは茶色い塊のままでも食せるらしいが、巷の女性はそれにひと手間加えてより美味しい菓子にするという。
 屋敷中がほんのりと甘い香りに包まれる毎日。気付いているのかいないのか、沖田はその事には一切触れようとしなかった。



「で…出来た!出来ました!!」
「ふぅ。なんとかバレンタインデーに間に合ったね。おめでとう…千鶴君」
「ありがとうございます、井上さんのおかげです」
「いやいや、私は何もしていないよ。全部君の頑張りだ」

 美しい硝子の器の上に、ころんとしたトリュフチョコレートが並んでいる。ココアの粉、白い粉砂糖、ただの甘ったるい塊は千鶴の手によって見た目にも美味しそうに、綺麗に飾り付けられていた。

「ガナッシュには沖田さんのお好きなブランデーを入れてみたんです…」
「道理でいい香りがしてると思った。…きっと総司も喜んでくれるだろう」
「…だと…いいんですが…」



 夜も更け、使用人達が帰った後。千鶴のそわそわとどきどきは頂点に達しようとしていた。

「もう帰ってくる頃合いだね。どれ…私はちょっと表を見てこよう」
「は…はい」
「そんなに緊張しなくても…いつも通りでいればいいんだよ」

 穏やかにそう言って部屋を出ていく井上を見送ると、千鶴は気持ちを落ち着かせようと大きく深呼吸をした。
(そうだ…練習!!)
 ただ待っているよりも、少しでも練習しておけば動悸もましになるかもしれない。

「――いつも優しくしてくださってありがとうございます。私……沖田さんの事が…と…とても……かっこよくて?…うーん何だか変な言い方になっちゃった。えと…大好きで……!!!」
「千鶴ちゃん?」

 真剣になり過ぎて扉の開く音が耳に入ってこなかったらしい。突然間近で声を掛けられて、千鶴は可哀想に、飛び上がりそうになるほど驚いた。

「ただいま」
「お…お帰りなさい沖田さん」

 どこまで聞かれてしまったのかと焦る千鶴にいつも通り微笑み掛けると、何事もなかったように沖田は千鶴を抱きしめた。

「真っ赤な顔してどうしたの?…何かあった?」
「なっ…!なんでもありません」

 本当に――可愛い過ぎてどうしてくれよう?
 テーブルに着き用意された夕食をとりながら、沖田はいい具合に下ごしらえされた千鶴の調理方法について想いを巡らせていた。
(千鶴ちゃんが何をしてたか…全部知ってるんだよね)
 最初から最後まで。流石に近藤との会話については不明だが、店での事は全て沖田の知るところだった。付け加えてここ数日の甘い香り。もし彼女がこの企てにかかわっていないのならきっとその話をしてきただろう。全くそれに触れてこないという事は、首謀者が千鶴だからに他ならない。

 食後、予想通り千鶴が器に乗せられたチョコを恥ずかしそうに差し出してきた。

「…これは?」
「っ…えっと…今日は『セントバレンタインデー』らしいので…沖田さんに贈り物…です」
「もしかして…千鶴ちゃんが作ったとか?」
「…はい」

 店に出しても遜色ないほど、千鶴お手製のチョコレートは美味しそうに出来ている。これ程の物を作るには相当たくさん失敗を繰り返しただろう。千鶴の手にどんどん増えていく小さな傷を、たとえ普通の人間より治りが早いとしても…見て見ぬ振りをするのはもはや限界だった。

「あ…あのっ食べて頂く前に…聞いて頂きたい事があるのですが…」
「いいよ」

 ついにやってきた、愛の告白。平然を装ってはいたが恥ずかしがりやな彼女の口からそんな言葉を聞かせてもらえる機会はそうそうない。長い脚をゆったりと組んでカウチに腰掛けると、沖田は一言も聞き漏らすまいと千鶴の言葉を待った。

「いつも優しくしてくださって…ありがとうございます」
「…うん」
「沖田さんはどんな時もかっこよくて…でも時々可愛いなって思う時もあって、一緒にいると…胸がどきどきします」
「……うん」
「それから…は…恥ずかしくてあまりお伝えできないのでご存知ないかもしれないですが……頭を撫でてもらうの…好きです。ぎゅってされるのも…安心できて…好き。ふ…触れられると…あったかいようなくすぐったいような……とっても幸せな気持ちになって、お忙しいって解っていても離れたくなくな――――」
「――っ!ごめん…」
「…ん……沖田さ……」

 ちゃんと最後まで聞いてあげるつもりだった。どんなに可愛くて堪らなくても我慢するつもりだった。けれど……口づけしたい衝動を抑えきれない。
――千鶴は沖田の理性をいとも容易く破壊した――

「…っは……ぁ…君って…やっぱり怖い子だね」
「ん……っ…ぅ」

 返事を聞く暇すら惜しくて、貪るように唇を舐め重ね、何度も奪う。味見をしたのか千鶴の唇からほんのりと甘い香りがして――チョコレートには古来から媚薬の効果があると信じられていたと言うけれど、沖田にとっては千鶴そのものが極上の媚薬だ。

「…おき……んっ……チョコ……が…」
「……そ…だね。せ…っかくだし………」

 少し節ばった綺麗な長い指に、想いを籠めて作ったチョコレートが一粒。
 視界の端にそんな光景を捉え、良かった…食べてくれると思った矢先、沖田の指先が千鶴の口に優しく挿し込まれた。

「ちが……っ…それは沖田さ…の」
「解ってる。これから食べさせてもらう……から…」

 再び唇を塞がれて、二人の舌でチョコレートが蕩けていく。
 甘いのは口づけ?それともとろとろに溶かされたチョコレート?
 重なり合う唇から熱が全身に広がって、僅かな隙間も許さないとばかり力強く抱きしめられた身体は、軍服の下に隠された逞しい胸板やいつだって千鶴を翻弄する硬く猛った楔の所在をあますところなく伝え…熱をさらに煽っていく。

「ね……知ってた……?こうして…チョコが…ここで溶ける時……」
「……ん…っ」
「口づけより…何倍も……脳は快感を感じて…っ………るんだって……さ」

 何倍も――?どこか意識の遠いところで、千鶴は沖田の言葉をゆっくりと繰り返した。ではこうしてチョコレートを溶かしながら口づけしている今は――快感はいったいどれほどのものになっているのだろう。
(だからこんなに………きもちいい…の?)
 きっと今の自分は酷くはしたない顔をしているに違いない、それを彼に見られていると思うと恥ずかしくて堪らない。
 でももっともっと――もっと彼が欲しい――――

「……欲し……沖田さ…………」
「――っ……そんな可愛い事言われたら……歯止めが利かなくなる……」
「…私…もう………止まらなく…て苦し……です」

 助けて――と、声にならない声が沖田の鼓膜を艶やかに揺らす。揺れて象られた波紋が、心を震わせる。込み上げる何かを訴えるように潤んだ瞳から涙が零れ落ちた瞬間、沖田は余裕と理性を手離した――――






「……これぐらいで酔っちゃうんだ、君って」

 しどけなく横たわる千鶴の銀の髪をくるくると弄びながら、愛しげに微笑んだ沖田はチョコレートをかざすように手に取ると甘い吐息を洩らした。

「……酔う…?」
「ガナッシュ。入れたのは…ブランデーかな」
「……ぁ…」
「ほんのちょっぴりだけど入ってるよね、お酒」
「何でもご存知なんですね」
「何でもってわけじゃないよ?……チョコレートみたいな甘い物の知識は何かと役に立つから覚えただけ」

 素直にすごいと思っているのだろう。きらきらした眼差しで沖田を見つめる千鶴には、その知識がどこでどう役に立ったかなんてきっと想像も出来ない。
 菓子のように甘い言葉を囁くのは、より甘ったるい媚態を見せながら逞しい胸にしなだれかかる女のベッドの中でだけ。そんな自分を思い出したのか、沖田は少し眉を顰めると困ったように笑った。

「こんなふうにチョコレートを口移しで食べたのは…初めて?」

 改めて聞く間でもないのだろうが、どんな初めてでも千鶴のそれは全部欲しくて。確認するように問い掛けた沖田に千鶴はこくんと小さく頷いた。
 そんな些細な事も嬉しくてちょんと唇をつつくと、とろんとした金の瞳のまま千鶴が微笑みを浮かべる。酔っている千鶴はいつもより従順で、また奥まで溶かして満たしていっぱいにしたいと願えばきっと受け入れてくれるだろう。「明日は一日中寝てていいから」と心の中で許しを乞い、枕がわりにしていた腕を引き抜いて千鶴をもう一度組み敷くと、伸びてきた小さな手のひらが沖田の頬を優しく包んだ。

「…千鶴ちゃん?」
「沖田さんが好き…大好きです」
「……どうしたの?可愛い酔っぱらいさん。そんなこと言ったらまた…滅茶苦茶に抱きたくなるんだけど」

 千鶴の白い裸体には既に無数の紅い花弁が散っている。啼いて許してと身を捩るまで愛された胸の蕾はまだ濡れて光っていたし、ほっそりとした下肢の間からは粘度のあるとろりとしたものが時折くぷりと水音を立て滴り落ちていた。

「いつもの君は可愛いって感じだけど、こういう時は…とても綺麗だね。触れたら壊してしまいそうで怖いけど…触れずにはいられなくなるから……本当に困る」
「沖田さんも……」

 千鶴の白くて細い指が頬から首筋を滑り、沖田の鎖骨をつぅっとなぞる。そのまま胸へ辿り着くと「…硬くてどきどきするけど…触りたくなります」と千鶴がうっとりしたように囁いた。

「君……どこでそんな上手い誘い文句を覚えてきたの?」
「……え…と…『ここ』…?」
「……ああもう…っ」

 目の中に入れても痛くないとか、頭からばりばり食べてやりたい程可愛いとか…そんなありきたりな例えではとてもではないがこの感情を表せない。自分で自分が怖ろしくなるぐらい、何度だって欲しくなる。また身体が熱く強張ってきたところを見ると、明日の朝食はきっとまた千鶴に『あーん』をさせる事になるだろう。
 初めて過ごすセントバレンタインデーは千鶴の暴力的なまでの愛らしさを沖田に思い知らせ、千鶴もまた改めて沖田の全てを愛しいと思った。

 沖田大佐の氷の仮面を外せる女性は、この無垢で無邪気なフィアンセだけ。さすがの彼も彼女の前では心からの笑みを見せるしかないようだった。


                                       
(了)


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