双眸 五 | ナノ

片翼の鳥 双眸 第五話


その少し前――近藤に同行した沖田は辞してきたばかりの部屋で思い出したくない過去と対面していた。


「再々呼び付けてすまんな、沖田君。今しがた情報が入ったので早く耳に入れた方が良いかと思い、こうして近藤君と共に来てもらった」

「いつも我らに気遣い頂き感謝しております、松平さん」

勧められたソファーに浅く腰掛け、節ばった大きな拳骨を両膝に置いて近藤がまるで自分の事の様に深々と頭を下げる。そんな姿に胸が熱くはなったけれど、正直、沖田にとって『そんな話』などどうでもよかった。

(実の父親がどうとか、…今更――)


沖田の家は古くから続く名家で、華族の中でも格式のある旧家と言われていた。
当主の沖田勝次郎は真面目を絵に描いたような人物で格式と礼を重んじ、厳しい人柄だったという。奥方は穏やかな可愛らしい女性で、誰もが羨むような美しい翡翠色の瞳をしていた。そんな二人の夫婦仲は決して悪くはなかったが、なかなか懐妊の兆しが見えない。そんな中待ち望んでやっと授かった赤子が、この国に生まれる筈のない、両親のどちらとも違う色の(勝次郎の瞳は一般的な黒色だった)片眼をしていたのだから――その時の騒動は想像に難くないだろう。
宝石のように煌めく翡翠と紅玉の一対。
母親そっくりの美しい赤子は、その不吉な色がなければ誰からも愛され慈しまれて育つはずだった。
けれど血筋を重んじる沖田家でそのような事が許されるはずもなく、誕生の事実は死産にすり替えられ、生まれたばかりの赤子は裕福な華族社会とは程遠い下町の寂れた孤児院に身分を偽って捨て子同然に預けられた。
孤児院の院長がいわく有り気な赤子を受け入れたのは、名前を記した紙切れと共に添えられていた大金の為だったのだろう。あるいは細かな詮索をされぬよう、沖田の家がわざと資金繰りに困窮している施設を選んだのかもしれない。

そんな事実を知ったのはずっと後、遺産を相続する事になった時だった。
大人からは気味悪がられ、雰囲気を敏感に察知した子供達から虐げられながら、全てを一人で受け止めて沖田は育った。
――その緋色の片眼を黒い眼帯で覆い隠して。


実父に関する報告書に目を通した近藤が残念そうに溜息を吐く。
沖田の父親と思われる男性は緋色の瞳をした西国の貴族で、数十年前に一度だけ日本への渡航歴があり、ちょうど沖田の母が身ごもった時期と一致していた。

「せっかく本当の父上が判ったのに、もう亡くなられていたとは…」

「西国では近年国が荒れておるらしいからな。貴族がそれを不満に思った民衆に殺されるなど日常茶飯事なのだろう」

松平翁に悼むような視線を向けられた沖田は、うっすらと嘲笑を浮かべた。

「…わざわざ調べてくださった事には感謝しています。けど、仮に生きていたって僕に会うつもりは無いですから同じ事ですよ。褒められた話でもないですしね。……同意があったかどうか知りませんが、その男は母の不義密通の相手なんですから」

「総司!自分を生んでくれた母上の事をそんなふうに言うんじゃない。きっと、何か事情があって…」

「真実はもう全て闇の中ですよ、近藤さん。それにそんな事本当にどうだって良いんです。今の僕に大切なのは――」

「君が何を、…いや誰を大切に思っているか……儂らもそれ位解っておるよ。ただ、知らずにいるのと知って前へ進むのはまた別の話だと思ったまでじゃ」

親子喧嘩を諌める祖父のような口調で松平翁が二人の間に割って入る。

「近藤君も察してやれ。父母への礼節も大事だが、沖田君はその男のせいで人生を狂わせられたとも言えよう。…まぁそのおかげで『今』があるのだから、何とも言い難いものだがな」

松平翁はそう感慨深げに言い、この話はこれで終わりにしようと呼び鈴を鳴らした。

「お呼びでしょうか」

「儂とこの二人にワインを頼む、極上のやつをな」

「…っ、松平さん、申し訳ないですが僕はこれで失礼しても宜しいでしょうか?」

「せっかくこう言ってくださってるんだ、少しぐらい構わないだろう。千鶴君も大丈夫だと言っていたじゃないか」

「あの子はいつだって大丈夫じゃない癖に大丈夫だって言うんです」

珍しく余裕のない様子の沖田に松平翁も近藤も目を丸くした。千鶴の事を大切にしているのは知っていたけれど、氷の大佐と渾名されるいつもの姿とも、親しい相手だけに見せる飄々とした姿とも…今の沖田は二人が驚く程に違っている。

「はっはは、そんなに気になるなら千鶴君もこの場に呼んでやればよかろう。もう人払いをせねばならんような話も終わったし、正式な婚約の段取りも決めねばならんしのぅ。それに儂ももう少しあの娘と話してみたくなったよ。――誰か、雪村千鶴君を此処へ」

主の命令で側仕えが数人急ぎ足で大広間の方へ向かっていく。
自ら千鶴を迎えに行きたい、こうしている間も心配で堪らない。そんな胸騒ぎにも似た気持ちを押し殺しながら、沖田は運ばれてきたワインに口を付けた。





*****





「少し席を外してる…って、言ってたわよね」

と言う事は、この邸内に居るに違いない――そう考え、あれから女性は心当たりを必死に探していた。
人目を惹く沖田の事、すぐに見付かるだろうと高を括っていたのだがどこにもその姿は見当たらない。取り巻きに声を掛け手伝わせればもっと効率がいいのだろうが、騒ぎにはしないと約束した手前そう言うわけにもいかず、女性は内心焦り始めていた。

もしかすると沖田は用を終えて戻ってきているかもしれない。
すれ違いの可能性を考え一旦大広間へ戻って来ると、千鶴が座っていた来賓席の辺りを中心に松平翁の側仕えと思しき数名が人を探すように動き回っているのが見えた。

「失礼、…貴方達、誰かを探してらっしゃるの?」

唐突な問いに側仕え達が顔を見合わせる。広間に居るはずの千鶴がどこを探しても見つからない、短気な主は自分の命が速やかに果たされない事にそろそろ焦れている頃合いだ。そう遠くない未来に降りかかるであろう怒りを憂いていた彼等は女性の言葉に希望を見出し、縋るべきか迷った。

「いえ……お楽しみのところをお騒がせして申し訳ありません」

古参の一人が苦渋の決断をくだす。『来賓の娘を連れて来い』などと言う他愛ない用件でも、やはり主の命令を軽々しく口にするなど許されないと判断したのだ。

「……そう。お仕事の邪魔をして悪かったわ」

ここでもしどちらかが『雪村千鶴』の名を出していれば、事態は僅かでも好転していたのかもしれない――けれどそんな事は全て後の祭り。

疲れ切って椅子に腰掛けた女性は、視線の先に映った物である事に思い当たり、身を震わせた。
沖田探しに懸命になっていたため気にするゆとりは無かったが、広間の壁に掛けられた時計が指し示す時間は千鶴を託してからゆうに小一時間は経っている。いくら何でも婦人用の控え室に長居は出来ないから、男性の方は千鶴を送り届け既にこの場所へ戻ってきていないとおかしいだろう。

「帰ったにしても私に伝言ぐらいあって然るべきよね…」

千鶴を見る緋色の瞳が隠しきれない不穏な色を帯びていたのを思い返すと、背筋を冷たいものがはしっていく。

(彼女の相手はあの氷の大佐と渾名される沖田総司よ。いくら異国の人だと言っても噂の一つぐらいは耳にしているでしょう。そんな怖いもの知らずがいるとは思えないけれど……でも…万が一の事があったら――)

不安にかられた女性は無事を確認しようと、千鶴が休んでいるはずの二階の部屋へ向かった。

慌ただしくノックをすると中からお仕着せを着た召使いが顔を出す。

「こちらに気分が悪いと言って黒いドレスの女性が来なかった?名前は雪村千鶴と言うのだけれど」

「いえ…そのような方はいらしてませんが」

「本当に?もしも口止めされてるなら気にしなくていいのよ、私は彼女の友人のようなものなの」

まだ年若そうな召使いの少女は部屋に押し入ってきそうな剣幕に困惑し、先輩らしき人物に助けを求めるように振り返った。

「お客様、この者と私は夜会が始まる前からこちらで皆さまのお世話をするため待機しておりましたが、黒いドレスの方も雪村千鶴様とおっしゃる方もお見えになってはおりません」

(そんな――)

もう騒ぎがどうなどと言っている場合ではないのかもしれない。
事態を重く見た女性がこの夜会の主催者、松平翁へ助力を乞うため取り次いでくれそうな人物を探そうとした時、沖田が側仕えの男性数名を従えて、優雅に弧を描いた螺旋階段から駆け下りてくるのが目に入った。

「沖田大佐!」

「ああ…君か、悪いけど君と世間話をしている時間はないんだ」

「誤解なさらないで、声を掛けたのはそんな事ではないの。千鶴さんが――」

女性から事情を説明された沖田は殺伐とした表情を浮かべると、己の判断ミスを悔やみ奥歯を噛みしめた。

やはり彼女を一人になどするんじゃなかった。
あの時近藤さんに無理を言ってでも同行させていれば、いや、先に屋敷へ帰していれば良かった。


―――心を殺せ


感情に惑わされず、機械のように無慈悲に冷酷に。一瞬で纏う空気を一変させると沖田は冷ややかな硝子玉のような瞳で――微笑みさえ浮かべながら女性に礼を言い、付き従う男達に指示を出した。

すぐに君を見付けるから……

君を害するものは、僕がこの手で、消してあげる。




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