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片翼の鳥 第六話


(手段を選ばない遣り方…か)

立ち去り際、斎藤が言い捨てた言葉がやけに大きく頭に響く。
痛みも辱めも…きっとあの娘には通じないだろう、それに今更そんな事をする気にはどうしてもなれない。

けれど、このままだときっと彼女は――

土方准将は決して情の無い人間ではない、けれど必要とあれば誰よりも非情に振舞う事が出来るのを沖田は知っていた。



*****



屋敷へ戻った沖田は今まで使っていなかった空き部屋の鍵をかちゃりと回した。
千鶴を監禁するため用意させた錠前、閉ざされた鳥籠のような部屋、鈍い銀色の光を放つ鍵。
燻る胸の内を抱えながら扉を開けた瞬間、可愛らしい声が鼓膜を優しく揺らした。

「沖田さん、お帰りなさい」

お帰りなさい――そんな言葉を掛けられるなんて思ってもいなくて。
千鶴が居るだけで、不思議と周りを取り巻く空気が暖かな色に染まったような気がした。

「はは……ふいうち」

少し困ったように微笑んだ沖田を見て軽く首を傾げる。
そしてその苦笑の意味を全く違う方向に捉えたのだろう、千鶴の眉が悲しそうに下がり大きな琥珀色の瞳が泣き出しそうに潤んだ。

「…千鶴ちゃん?」

「あ…あのっやっぱり変ですよね。……解ってたんです、こんな綺麗な服…着た事もないですし似合わないって…」

そう涙声で言われ改めて千鶴の全身に視線を這わせる。

控えめにレースをあしらった真っ白な絹のブラウス、首元は同素材のリボンで慎ましやかに飾られており前に並んだ小さなボタンが淡く輝く。
華奢な腰を強調するようにデザインされた淡い桜色のスカートの、ふんわりとした裾から覗く細いふくらはぎがやけに眩しく目に映った。

初めて会った時とは似ても似つかない美しい姿。
今の千鶴は誰が見ても頼りなげで清楚な可愛らしい女の子にしか見えなくて――ふいに沸き起こった独占欲に囚われて、衝動的に沖田が千鶴を抱き寄せた。

「ひゃ…っ」

「少しだけ…このまま……」

じっとして、そう言われて抗えなくて。大人しく広い胸に包み込まれると昨夜の記憶が甦った。
彼に抱き締められるとどうしてこんなに胸が切なく疼くのだろう?

(沖田さん……)

戸惑いながら伸ばされた千鶴の細い指先が、柔らかな色をした髪を羽のように、触れるか触れないかの優しさでそっと撫でる。

「……似合ってるよ」

小さく囁かれた、たったそれだけの言葉がとても嬉しくて、暖かな胸の中で千鶴がはにかみながら微笑んだ。
その愛らしい笑顔が目に入らなかったのは沖田にとって幸か不幸か――
もし目にしていたら簡単に気付いただろう、千鶴が自分に恋をし始めている事に。

桜色した頬の理由も知らないまま、そっと身体を離した沖田が悪戯な顔で、千鶴のしなやかな指先に貴婦人に対する礼のように唇を落とした。

「ただいま」

「――!」

「逃げないでいい子にしてたご褒美。って…物足りない?」

「たっ…足りてます、充分です」

(沖田さんの唇が触れたところが…熱い)

口付けられた場所を押さえながら、千鶴が真っ赤な顔で距離を取った。
その姿にゆうべの風呂での情景が重なる。
またそれ?と笑みを噛み殺しながらゆっくり壁際まで追い詰めると両腕を壁につき逃げ道を塞いだ。

「今度はどうするの?」

甘い吐息が千鶴の耳を掠める、どう答えればいいのかわからなくて目を閉じると高く結われていた黒髪が解かれてふわっと肩に降りてきた。

「こっちの方が可愛い」

降ろしてる方がいいねと微笑まれて、千鶴も緊張が解けたのかつられるように笑った。





「その服は源さんが?」

「源さん?……ああ、井上さんですね」

優しい方ですよね、そう言って千鶴が楽しそうに話し出す。
服を見立ててもらった事、一緒にお茶を飲んだ事、それから――

「沖田さんのお好きな物も伺いました」

「僕の?」

「はい、金平糖がお好きだと。小さくて可愛くて、見てるだけで幸せな気持ちになるので私も大好きです。その……食べた事はないんですけど…」

俯いてごにょごにょと呟く様が可愛らしい。けれど食べた事がないと言うのはどう言うわけだろう?あんな物はその辺りの店でいくらでも売っているだろうに。
怪訝そうな沖田の表情に気付いて千鶴の頬が恥ずかしそうに真っ赤に染まった。

「あの…うちにはそんなに余裕がなくて。金平糖なんて高価なものは…」

「千鶴ちゃん、君…家族は…」

そこまで口にしてはっとした。
人を疑う術を知らなそうな彼女の事だ、上手く誘導すれば『薫』についてもきっと話し出すに違いない。
瓜二つの顔、恐らく『薫』は彼女の血縁だろう。

口先だけの言葉なんていくらでも囁いてきた。
女は勿論、男だって心を操るのなんて簡単で、それでこちらに利が得られるならば虚言を重ねる事に躊躇いなんてない。

なのに何故、千鶴には罪の意識を感じてしまうのか。

(己以外の手にかかるのが気に入らないなら――)

斎藤の言葉がまた脳裏をよぎる。
きゅっと唇をかみ締めると、沖田は何でもない顔で会話を続けた。



「ひとりで暮らしてきた…って事はないよね。君女の子だし、それにこんな物騒なご時勢だしさ」

怪しまれないように、気付かれないように、ただの世間話の如く言葉を選びながら静かに駆け引きを続ける。

「両親は…物心ついた頃にはもういなくて…顔もはっきりとは覚えてないんです。でも兄がずっと傍に居てくれたので」

「お兄さん?」

「はい。心配性で厳しくて…でもとっても優しい自慢の兄なんです」

兄の話をしている時の思慕のこもった千鶴の瞳に無意識に苛立つ。
その綺麗な瞳で、たとえ身内だったとしても自分以外の男を想う事が気に入らなくて、知らず言葉が険を持った。

「ふうん。……でもさ、君がこうして酷い目にあってるのに助けにも来ないなんて、大したお兄さんじゃないよね」

「そっ、そんな事ないです。兄は私が捕まってるってきっと知らないから」

むきになって言い返す千鶴を見て沖田の口角が僅かに上がる。

(後少し…かな?)

「知らないなんておかしくない?大事な妹が連絡も無しに帰って来なかったらさすがに心配するよね、ずっと一緒だったんでしょ」

「ずっと帰って来ないのは薫の方なんです。だから私心配で探しに――…っ!」

思わず口をついて出た、あれ程隠しておきたかった兄の名前。その大きな過失に気付いて千鶴の頬がさっと蒼ざめる。

「君のお兄さん『薫』って言うんだ」

「……」

「薫を探しに……ね」

心の奥まで見透かしてしまうような、昏く輝く翡翠の瞳が千鶴を見つめる。
冷ややかな手に心臓を掴まれたような気がして身体が勝手に震え出し、どうしよう――そればかりが頭の中でぐるぐると渦巻いた。


尋問された時に見せられた手配書、あそこに描かれていたのはきっと薫。
優しくされて忘れかけていたけれど…沖田さんだって薫の敵なんだ。
それなのに――私。

自分の不用意な発言がまた大切なひとを危険に晒してしまう。
そう思うと足元が音を立てて崩れていくようだった。

あの日見た燃え盛る炎、建物が焼け落ちる悲鳴の様な音、そして目の前で斬り殺されて倒れていく大好きな――


「あ、あ――っ…――ごめんなさい……私のせい…で…みんな…」

千鶴の様子がおかしい事に沖田はすぐに気が付いた。
見開かれた琥珀色の瞳は何処か遠く、ここではない景色を映しているようで――まるで何かに呪縛されているかに見える。

「……っ」

小さく声をあげて、糸が切れたように意識を手離しその場に崩れ落ちた千鶴を沖田が咄嗟に抱きとめた。

「千鶴ちゃん!」

身体を揺さぶり名を呼んでも返事は返ってこない。
ただ閉じた瞳からぽろぽろととめどなく涙が流れ落ちていくだけだった。





*****





「教えて……君はいったい何者なの?」

ベッドに横たわる千鶴の、流れる涙を指先で拭いながら沖田が呟いた。

薫が兄だと言うのは事実だろう、これ程容貌が酷似しているのだから。

男装のわけも充分理解できた。
千鶴が捉えられた場所、物騒な界隈ではあるが行方不明の兄を探すにはああいった情報の交錯する所をあたるのが一番手っ取り早い。但し男なら、だ。

「ほんと無鉄砲だよね。女の子だってもしばれたら…君なんてすぐ捕まってどこか遠くへ売り飛ばされちゃうのにさ」

弱いのか強いのかよくわからない不思議な少女、そして知れば知るほど惹かれていく。


涙はまだ止まらない


「…泣かないでよ」

悪夢の中にいるのだろうか?
時々かすれた声でごめんなさいと…千鶴が謝り続ける。
その悲痛な声を聞いているのが辛くて、けれどどうすれば楽にしてやれるのか解らなくて、閉じた瞼にそっと口付けた。

(ごめんね。でもこれが僕の仕事なんだ)

千鶴が意識を取り戻した時、その瞳にどんな色が浮かぶのだろう。
敵意?恐れ?それとも――

嫌われるのが怖いだなんてどうかしてる。

「でもね、どう思われても…君を逃がしてはあげられない」

自嘲めいた笑みを浮かべながらベッドへ入ると、眠る千鶴を精一杯の優しさで抱き締めた。
華奢な身体がまだ僅かに震えている。

守りたい、そんな感情が心の奥底に芽生えた事に、この時の沖田はまだ気付いていなかった。



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