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片翼の鳥 第四話


ほおっておけない――そう思った。

何故そんなふうに感じたのだろう、千鶴にも自身の感情が理解しがたい。
自分を支配している人物、畏怖しなければならないはずのその人が見せた悲しそうな瞳が気になって仕方なくて。

「…沖田さん」

小さな声で呼びかけてみたが返事はない。
どうすれば良いのか分からないまま千鶴が沖田の背にそっと腕を回すと、それに応えるように千鶴を抱き締める腕に力が籠められた。

腕の中の柔らかな感触と優しい香り。
何故かそれは沖田が望んだ事のない、幸せというものを具現化しているように思えた。
宥めるように背中をとんとんと規則正しく叩く小さな手。
それは妙に心地よくて優しい。

どれぐらいそうしていたのだろう。
ふいに沖田が苦笑した。

「千鶴ちゃん……僕は小さな子供じゃないんだけど」

「わわっ…すみません、つい」

「いいよ、君の身体…柔らかくて気持ち良かったし。でも僕の好みから言わせてもらえばもう少し…」

沖田の視線が自分の胸に注がれている事に気付き千鶴は真っ赤になってしゃがみこんだ。

「冗談だよ。取り敢えず僕がまた君を襲いたくなる前に離れたほうがいいんじゃない?」

意地悪く微笑む沖田の瞳からもう悲しげな色は消えていた。
そのまま手を引かれ千鶴は沖田の部屋へと連れ戻される。



「あの……ありがとうございました」

「何のお礼?」

「その…止めてくださって…。あと…綺麗にして…」

「……君って馬鹿じゃないの。自分に乱暴しようとした相手に普通そんな事言う?」

怒ったようなぶっきらぼうな口調。
自室のベッドに腰掛けて、それでも沖田の手は優しく丁寧に千鶴の髪を拭いていた。
絹糸のような黒髪は艶やかな光を取り戻し、少し骨ばった…けれど男性にしては美しい長い指先をさらさらと滑る。

「さっきは少し怖かったです。でも…それまで触れていてくれた沖田さんの手は優しかったから」

「別に…あんなのただの気まぐれだよ」

「それでも…嬉しかったんです」

「…変な子」

「そうですか?私…普通ですよ」

自覚が無いところが既に普通じゃない、そう思った沖田だったけれど敢えてそれ以上口にするのは止めた。
もし彼女が当たり前の、その辺にいるような女ならこういう事にはなってないだろうし、自分の興味をひいたのはまさにそんな一風変わったところなのだから。

目の前にいるのは可愛らしいただの仔犬みたいな少女、それでいい。

汚れを落とした肌は真珠のように艶のある純白を取り戻し、尋問で受けた傷も…見た目より大した事はなかったのだろうか、ほとんど跡は残っていなかった。
さらりとした黒髪にふちどられた小さな顔。
綺麗な琥珀色の瞳を見ていると心が凪いでいくような気持ちになる。

冷酷で無慈悲な大佐を知る者が見れば驚くような優しい瞳で、それに自身も気付かぬまま沖田は千鶴を見つめていた。

そんな視線に気付いていないのか、それどころではないのか…大きなタオルを身体にくるくると巻き付けた千鶴が不安そうな表情で辺りを見回している。

(今度は何?)

予想を裏切る行動が面白くて、何をするのだろうと沖田が黙って眺めていると探す物を見つけたのか千鶴の顔がぱあっと明るくほころんだ。

「あった!」

「ちょ、千鶴ちゃん…どうするつもり?」

「えと…服を着るんです」

「せっかく綺麗になったのに?そんな汚い服着るなんて許さない」

「ででっでも…これしか…私」

いいから貸して、そう強引に取り上げると沖田は千鶴が身に着けようとしていた薄汚れた男物の服をびりっと引き裂いた。

「…っ何するんですか!」

「あんなの着てベッドに入る?ほんと勘弁してほしいんだけど」

「ベッド?」

「この家には僕一人で住んでるって言わなかった?寝る場所もひとつしかないし、生憎君に寝場所を譲って自分は床で寝るほど僕は紳士じゃないからね」

湯上りのバスローブ姿の沖田はゆっくり立ち上がると隣接する小部屋へ入っていった。そしてぱさっと白いシャツを千鶴に放ってよこす。

「ほら、それを着たらさっさと来る」

「そそっ、そんなの困りますっ。私なら床でも何処でも大丈夫ですからっ」

(それに…これじゃ)

投げ寄こされたシャツを慌てて着ると千鶴はボタンを一番上まできっちり留めた。
だが体格差のある沖田のシャツはぶかぶかで胸元からは白いふくらみがちらりと覗いている、ふにふにと触り心地の良さそうな太腿も半分以上がむき出しになっていた。
素肌の上に下着も無く、身に纏うのは貸してもらったシャツ一枚きり。
何とも心もとない自分の姿に千鶴は戸惑った。
こんな姿で果たしてよく知らない男性のベッドに同衾していいものだろうか?

(…良くない気がする)

けれど引き裂かれた服はもう着る事は出来ないだろうし、そもそも下着は辺りには見当たらない。
見つけたところできっと沖田はそれを身に付けるのを許してはくれないだろう。

珍しく難しい顔で考え込む、そんな千鶴の心の内など沖田には全てが手に取るよう見通せた。

(本当可愛いったらないな)

「心配しなくても今夜はもう何もしないよ?…今度はちゃんと約束する。それに服だって明日もっとまともなのを買ってあげるから」

ね、と手を引かれまた千鶴はぎゅっと抱き締められた。
薄いシャツ越しにささやかなふくらみが、むにゅっと沖田の固い胸板に押し付けられる。

「おおお沖田さん…服っ」

千鶴が目を泳がせるとベッドの下に沖田がさっきまで羽織っていたバスローブが落ちていた。恐る恐る沖田に視線を向ける――幸いな事に辛うじて裸ではないようだ。

「恥ずかしいの?…でも今更だよね。もうとっくにいろんなところ見ちゃったし、君だって見たでしょう。触れ合った事も忘れちゃった?」

「うう…それは」

確かにバスルームではお互い一糸纏わぬ姿を晒しあっていた。
にわかに触れ合った肌の熱さや滑らかな感触、自分とは全く違う硬い筋肉のついた綺麗な身体が思い出され千鶴の頬が赤く染まる。

「わかったらもう何も考えないで…おいで」

動揺したまま、千鶴は優しげに微笑む沖田にベッドに引きずり込まれた。
一瞬身構えて身体を強張らせた千鶴だったが、初めてのベッドの柔らかさに感動を覚え無意識に力が抜けていく。

(わあ…凄い…ふんわりしてる。…それにいい匂い)

石鹸の香りのような、瑞々しい柑橘のような…それは寝具から香るのか自分を後ろから抱き締める沖田からなのか千鶴には分からなかった。

(どうしよう…背中があったかくて、何だかとても……眠い)

包み込まれるようなどこか懐かしい感覚。
それを不思議に思いながら千鶴の意識は少しずつ闇に沈んでいく。

しばらくすると、すうすうと穏やかな寝息が聞こえてきた。

予想外にしっくりくる華奢なのに柔らかな身体。
鼻をくすぐる香りは石鹸だけではなく千鶴自身のものだろうか…とても甘い。
もっと抵抗されるかと思っていたけれど、疲れていたのだろう腕の中の仔犬はすぐに眠りに落ちたようだ。

「こんな状況でよく眠れるよね。僕が約束を守らなかったらどうするの?千鶴ちゃん」

しないけどね――そう心中で呟き軽く笑う。
部屋の明かりを落とし千鶴の身体をもう一度抱き寄せ、その美しい瞳を閉じると沖田も静かに眠りについた。





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