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片翼の鳥 第三話


「いやいやいやーっ!!っ…ぷあっ」

「そんな大口開けてるから…それって自業自得だよ、千鶴ちゃん」

頭から温かな湯をざばっと掛けられて千鶴がごほごほと咳込んだ。
洋風に造られた広いバスルームには優美な猫足のバスタブが置かれており、その中は沖田の好みの温度に調節された湯で満たされている。

「ほんと不本意なんだけど…そんなに暴れるなら仕方ないかな」

溜息混じりに、けれど美しい翡翠色の片眼を愉しげにきらきらと輝かせながら、沖田が手にした浴布をぱんと音を立てて引き伸ばす。
辺りに漂う不穏な空気に良からぬ予感を覚えて、一糸纏わぬ華奢な身体を両手で隠しながら千鶴が長身の沖田を上目遣いに見上げた。

「沖田さん…それ…」

「何に使うと思う?」

そんなの言わなくても解る、沖田はきっとあの布で自分の自由を奪うつもりなのだ。

――このまま背を向けて逃げ出せたら…

だが現実的に考えて、どうやってもこの状況から逃げ出す事なんて不可能で。
千鶴はせめてもの反抗とばかり涙に潤んだ大きな瞳で沖田を精一杯睨みつけた。

「いいね…その目」

(ぞくぞくする)

そんな風に自分を見る女は目にした事がなくて、沖田は酷く愉快な気持ちになった。
彼女はいったいどこまで楽しませてくれるのだろう。

「ほんと君って面白い。煽るのも上手なんだ?」

笑みを浮かべながら沖田が千鶴に向かって一歩踏み出すと、細い肩をびくっと揺らして千鶴が一歩後ろへ後退した。
そのままじりじりと追い詰められ、とんっ…と千鶴の背にひんやりした壁のタイルが触れる。

「ほら、もう逃げ場がなくなったよ。どうするの」

「――っ」

「縛られて好き勝手に身体を弄られるのと、大人しく綺麗にされるのと。僕はどっちでもいいけどね」

「……大人しく…します」

千鶴の答えに沖田が「いい子だね」とにっこりと微笑んだ。
最初に告げたとおり千鶴に対して何故か欲情は感じない――苛めたい、いたぶって泣かせたい…そんな嗜虐心はとても刺激されるけれど。

言われるまま小さな浴室用の椅子に腰掛けた千鶴の髪を、沖田が後ろから丁寧に洗っていく。
ばさばさに乱れていた黒髪の思ってもみなかった滑らかな手触りに沖田は少し驚いた。

(まるで絹糸みたいだ)

「次は身体だね、ほら手を上げて」

「………はい」

真っ赤な顔で千鶴が身体から両手を離すと、柔らかそうな二つのふくらみとそれぞれの中央に薄く色付く小さな蕾が露になる。
いい香りのする石鹸を泡立てると、大きな沖田の手がふわふわの泡と一緒に千鶴の素肌を優しく滑っていった。

「…っや…沖田さん…くすぐったいです」

「それだけ?」

「……?」

頬を染めたまま千鶴が小首を傾げた。
ただ綺麗にするための行為で、女性の感じる場所を殊更意識して触れたわけではなかったけれど――千鶴の反応は何かと予想外すぎる。
無理やり衣服を剥ぎ取ってここへ連れてきた時はあれ程抵抗していたのに、一度観念した後は驚くほど潔く従順で。
それどころか髪、身体と洗っていくうちにその表情は心地よさげな幸せそうなものへと変わっていった。

驚くのはそこに性的な空気が一切存在しない事だ。
裸の男女がこれほど親密な空間に居て触れ合って、それなのに何も意識しないなんて通常では考えられない。
自分は決して人畜無害な印象を与える人間ではないはずだ。

「それだけ…って…沖田さん?――あっ!」

「あっ?」

しばらくの沈黙の後、千鶴の眉が申し訳なさげにふにゃっと下がったかと思うと場にそぐわない素っ頓狂な声があがった。

「すすっ…すみません、私ばかり洗って頂いて…沖田さんのお背中も流しますっ」

「いや…そうじゃなくて…」

「大丈夫です、任せてください」

そう言って勢いよく立ち上がった千鶴は浴布を手に取ると、真っ白な泡をたっぷりと作り始めた。
そして戸惑う沖田を先程まで自分が座っていた椅子に強引に腰掛けさせ、慣れた手付きで背中をごしごしと擦っていく。

「どうですか?…痛くないですか」

「ああ…うん、調度いい。気持ちいいよ、千鶴ちゃん」

「良かった」

そこに一切の他意も含まず、ただ嬉しそうに笑う千鶴を綺麗だと思った。
この少女は入れ物も中身も真っ白で華奢な身体は無垢そのもの、きっとまだ男女の事など何も知らないのだろう。

(だからなのかな?)

そんな沖田の思考など露知らず、広い背中を湯で流し終えた千鶴が「次は腕ですね」と引き締まった筋肉でおおわれた沖田の腕に手を掛けた。
その警戒心の全く感じられない様子に好奇心を覚え沖田が千鶴をじっと見つめる。

「…あの?」

視線を感じて、何か問題でもあったのだろうかと千鶴が小さく声を掛けた。

「うん…やろうと思えば出来るかな…って」

「……やる?」

「つまりこう言う事」

そう言うと沖田はいきなり千鶴の手を引き、わざと腰を密着させるようにぎゅっと抱き締めた。
そしてそんな不意打ちに驚いて小さな悲鳴をあげる千鶴の耳元へ唇を寄せる。
耳たぶを食むようにして触れる沖田の熱い唇から、これ迄で一番甘い声が零れた。

「…試してみない?」

「なっ…何を?」

「裸の男と女がする事っていったら普通は…ね」

(沖田さんの身体が…熱く…)

触れ合う素肌の熱さから、さしもの千鶴にも沖田が言わんとしている事が察せられた。
どうしていいかわからなくて少しでも身体を離そうともがいてみても逞しい腕は全く緩まない。

「どう…僕とこういう事したがる女の人は多いんだけどな」

「わわっ私は結構です!」

「食わず嫌いは良くないって教わらなかった?」

気持ち良いってどんな感じか教えてあげるよと、沖田が千鶴を誘惑する。
明らかにそう言う意図を持った手付きで大きな手のひらが濡れた白い背中を淫らに這った。

「…や…離してくださいっ。それにさっき沖田さんそんな気ないって…」

「そう思ってたんだけどね、君があんまり無防備だから」

「…そんな」

「それに、君って何だかいじめたくなるって言うか…」

意地悪く微笑みながら沖田の手が背中から折れそうに細い腰へと下がっていく。
初めてそんなふうに触れられて、未知の感覚に怯えた千鶴は瞳をじわっと滲ませた。

「っ…ふぇ……やだ。助けて。――薫…っ」

「薫?」

切羽詰った千鶴の唇から思わず漏れた男性とも女性ともとれる名前。
慌てて自分の口を押さえた仕草から、その名を千鶴が知られたくないと思っている事が見て取れ、沖田の唇から冷えた声音が発せられた。

「…薫って誰?」

「……」

「言えない?」

縋るように千鶴が呟いた事に何故か激しい苛立ちを感じる。
不機嫌な気持ちをぶつけるように小さなふくらみを荒々しく揉みしだき、可憐な桜色の蕾をきつく摘まみあげると千鶴の身体がびくんと震えた。

「――早く言った方がいいと思うけど。じゃないともっと酷い事されるかもしれないよ」

覚悟を決めたように瞳をきゅっと閉じ、千鶴は沖田の腕が作り出した檻の中で震えている。
その姿に沖田の心がちくんと痛んだ。
誰かを傷付けるぐらいなら死んだ方がましだと言っていた少女。
このまま不本意な形で純潔を散らされたとしてもこの子はきっと何も喋らないだろう。

初めて見付けたとても綺麗なもの。
それを簡単に壊してしまうのはもったいない――そう思った。

ふんわりとしたタオルが恐怖に強張った身体を包み込む。
柔らかな感触に涙ぐんだ瞳をうっすら開くと、沖田が千鶴をタオルごとぎゅっと抱き締めた。

「沖田…さん?」

「…やめた。『薫』が誰なのかは調べればわかる……そんな事で君に死なれたらつまらない」

宝石のような碧の瞳は何故だろう、今にも泣き出しそうな子供のように見えた。




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