片翼の鳥 第二話
「さて…と」
鈍い音を微かに立て重い扉が閉まった後、軍服のネクタイを緩めながら沖田が不穏な表情を浮かべた。
「…これで邪魔者はいなくなったね」
邪魔者?それはさっき退室した彼の部下の事だろうかと千鶴が軽く首を傾げる。
きょとんとしたその様子が妙に幼く見えて堪らず沖田がくすりと笑みを洩らした。
「あの…何か?」
「それって作戦?…それとも天然なの」
「えと…おっしゃってる意味が良くわからないのですが…」
普通の女ならば、今沖田が醸し出した艶めいた雰囲気に何かを感じ取った筈だ。
その色気はたとえ純粋培養の処女だってやり過ごす事なんて不可能で。
絡め取られて惑わされるか気圧されて怯えるか…違いはあれど性的な表情に相応しい反応が返ってきただろう。
だが目の前の少女は――
いくら幼く見えたとしてもそう言う知識はあって然るべき年頃に見える…それなのに。
沖田の中で千鶴への興味が大きくなった。
「意味を知りたい?」
「意味…ですか?」
千鶴が不思議そうな顔で沖田の言葉をおうむ返しに呟いた。
分かっていて素知らぬふりをしているのならなかなかの策士かもしれない。
そして本当に素でこの反応なら――彼女は有り得ないぐらいの鈍感体質だ。
沖田は再度上から下までじっと探るような目で千鶴を見つめた。
そんな思惑に気付いているのかいないのか、千鶴は自然な様子で沖田の視線を受け止めている。
(女…って言うより)
黒目がちの琥珀色した大きな瞳は…まるで捨てられた事を気付いていない仔犬のようで。
沖田は小さくため息のようなものを洩らすと髪をかきあげ、今度こそ心から愉しげに笑った。
「私…何かして…?」
「ああ…ごめんね。あんまり君が面白いから、つい」
「…?」
「不思議そうな顔だね。……僕は今、君をめちゃくちゃに抱いて溺れさせて…色々白状してもらおうと思ってたんだけど」
「――っ!!」
沖田の露骨な言葉にさすがの千鶴も顔色を変える。
そんな仕草も何故か可愛らしく目に映った。
「ぷっ…今更怯えなくても大丈夫だよ。もうそんな気は無くなっちゃったから」
「な…なななっ何故…っ」
「だって、君…女って言うより仔犬か何かみたいだし。そんな子を抱くとか――無理」
目の前で失礼な事を言いながら笑う沖田を千鶴は憮然とした表情できっと睨んだ。
そんな顔も沖田には仔犬が威嚇しているように見え、どちらかと言うと抱き寄せて頭を撫でまわしたい衝動にかられる。
「本当君って面白い子だね、千鶴ちゃん」
「沖田さんは…失礼な人です」
そう言って思い出したかのように勢い良く千鶴は床から立ち上がった。
不埒な行為を強要されずに済んだ事は幸いだったかもしれないけれど、初対面の男性にここまで言われる筋合いはない。
怒りに任せて部屋を出て行こうとした時、千鶴の腕を沖田がぎゅっと捻り上げた。
「痛っ…」
「何処へ行くつもり?」
さっきまでの笑顔は消え、冷えた声音のまま沖田は千鶴の細い腕に更に力を込める。
「……っ…くっ」
「君に自由なんてあげた覚えはないんだけど。……このまま腕を折る?ああ、それとも両足の腱でも斬ってあげた方がいいのかな」
どう答えればいいのだろう。
にわかに纏う空気を変えた沖田の――感情の読めない表情と声音を…千鶴は初めて怖いと感じた。
「――っ…何処へも…行きませんから…放して…っ」
華奢な腕からは血の気が引き、みしみしと骨が軋む音が聞こえてくる。
「…っ…お願い…ですから…」
絞り出すような返答を聞いて沖田は千鶴の腕をぱっと解放した。
唐突に拘束するものを失い、はずみで千鶴が床に倒れこむ。
腕を押さえ身体を震わせる姿を見下ろしながら沖田が冷酷に事実を告げた。
「君はまだ軍の――僕の監視下にあるって覚えておいて。それから…」
――逃げ出そうなんて思ったら殺すよ?
そう言って、怯える千鶴を見ながら沖田はまた面白そうに笑った。
********
引き摺るようにして、千鶴が連れて来られたのは古びた…けれど豪奢な洋館だった。
「あの…ここは?」
「僕のうち」
その広さにもかかわらず屋敷内は塵ひとつない。
どこもかしこも清潔に保たれていて花なども飾られている、…けれど漠然とした違和感を千鶴は感じた。
――ここには無いのだ
人が暮らしていると言う生活感が。
「……沖田さんの家…ですか。でも…どうして私を此処に?」
「あのままあそこに君を置いておいたら独房行きだろうし、女の子だってもうばれてるから……ね」
「女だと何か…?」
「……君ってどこまで世間知らずなのかな。訊問で痛い目にあったんじゃないの?」
「…それは」
「男だと思われてたからただの暴力で済んだんだよ、女の子相手なら…もっと効果的な訊問方法を行使されてただろうね」
溜息をつきながら沖田は今置かれている状況を千鶴に説明してやった。
生真面目な顔で頷く千鶴を見ていると苦笑も浮かんでくる。
自分はいったい何をしているのだろう?
縁も所縁もないただの小娘。
少し変わってはいるが、特に目立つ要素もない。
強いて言えば運悪く手配犯に似ていたというだけだ。
ほって置けば部下が適当に処理をして、必要とあれば機密保持のため口封じでもなんでもしただろう。
犯されようがどうしようが気に留めるような存在ではなかった筈だ。
それなのに――
自らの行動理由が把握出来ないなんて初めてだと沖田は思った。
いつもならそう――簡潔に、近藤の為になるかならないか…それだけで判断出来るのに。
そんな内なる思念に囚われて黙り込んだ沖田に、千鶴がおずおずと声を掛けた。
「沖田さんは…1人でここに?」
「ん?ああ……まぁね。誰かと暮らすなんて考えただけでも鬱陶しいし…」
「じゃあお掃除やお料理も沖田さんが?」
千鶴は不思議そうに部屋をきょろきょろしている。
その様子はさながら拾われてきた仔犬が見慣れない家を警戒しているように見えた。
「僕が?……そんな事は全部通いの使用人がやってる。…っていうか此処へは着替えぐらいにしか帰ってこないしね」
沖田は自身の事には驚くほど頓着しない。
身近で沖田に仕えている部下に言わせればいつ食べていつ休んでいるのかわからない…そんな生活だった。
「そうなんですか。って――きゃぁ…っ!!」
「ん?」
「な…なんで服…っ」
「何でって、自分の家で風呂に入っちゃいけないわけ?」
真っ赤になって固まる千鶴を見て沖田が猫のように瞳を細めた。
さすがの千鶴も男性の裸体は意識してくれるらしい。
「汚いのって嫌いなんだよね。……千鶴ちゃん…君、そう言えば相当…」
改めて千鶴を眺めてみる。
地味な色の服は血や土埃で汚れ髪は乱れてばさばさだった。
「……おいで」
「おいでって…沖田さんっ――やっ…いや…っ!!」
暴れる千鶴の服を無理やり剥いでいく。
必死の抵抗も沖田にとっては痛くもかゆくもないもので、千鶴はあっという間に生まれたままの姿になっていた。
「ちょっ…いい加減大人しくしなよ。君に何かしようなんて気…ないってさっき言ったよね」
実際千鶴の身体は驚くほど華奢で、口が裂けても豊満とは言い難かった。
けれど魅力がない訳ではなく…
真っ白な肌理の細かい肌とそれを彩る薄い桜色の箇所はなかなか目を楽しませてくれる眺めでもあった。
(綺麗にしたら物凄く可愛くなるんじゃないかな)
沖田は自分も服を脱ぎ捨てると、じたばたする千鶴を肩に担ぎ上げバスルームへと消えていった。