双つの子 | ナノ

双つの子




呼吸の音がやけに大きく耳に響き、焦る心が鼓動を早める。
どうして恐ろしげな一団に目を付けられたのか、どう考えても解らない。

顔を隠すように深々と帽子を被った小柄な少女、千鶴。
質素な男物の服に身を包んだその後を、見慣れない揃いの制服を着た屈強な男達が一定の距離を保ちながらずっとついてくる。

(……どうしよう)

滅多に外出などした事のない千鶴にはそれが危険な状態なのか、それともそうではないのか判別しかねた。
自分の目的が彼等に関わりがあるだなんて思えない。
付けられていると感じるのは気のせいで、ただ偶然同じ方向に用があるだけの人達なのかもしれない。
ならばいっそ「何か用でも」と尋ねてみればいいのだろうか?
けれど本能が立ち止まる事を許してはくれず、千鶴は額に滲んだ汗を拭うと更に歩みを早めた。



見るものが見れば――彼らが軍の、それも非情で名高い陸軍第一部隊に所属する兵士達だとすぐに判っただろう。
上官らしき男に部下の一人が何やら紙片のようなものを手渡す。

「……似てるな」

「はい隊長、奴は恐らく例の件で手配されている男かと…」

「あんな少年が…世も末だな」

視線は急ぎ足で歩く千鶴に据えたまま、手配書をそっと懐に仕舞うと男は密かに溜息を吐いた。

「一班は念の為先回りして待機、二班はすぐに奴の身柄を確保に向かえ」

はっ!と小さく敬礼すると男達が二手に分かれた。
確保に割り当てられた数名が人目を憚る事なく千鶴めがけて駆け出していく。



周囲のどよめく声と背に感じる不穏な空気に振り返ると、殺気を漂わせた男達が追って来るのが見えた。
迫り来るその姿に千鶴は困惑し、そして怯えた。
いつのものとも知れない記憶が脳裏を過り身体ががくがくと震え出す。

(こんなの…嫌、薫…薫っ)

心の中で世界にたった一人の頼るべき存在の名を何度も繰り返し唱え続ける。
追われる理由が解らないまま千鶴は懸命に走った。
決して治安が良いとは言えない、妖しげな露天が立ち並ぶ薄暗い路地を必死に駆け抜けていく。
あんな子供の様な少年が陸軍の精鋭部隊に追われるような、いったいどんな事をやらかしたのだろうと噂し指をさして笑いあう声が耳鳴りのように聞こえる。
こんな街では他人の不幸や災難も、それが己に降りかからない限りはただの娯楽でしかなくて、誰一人千鶴に救いの手を差しのべる者はいなかった。

「――っ…あ、…行き…止まり?」

突然進路を塞ぐように現れた薄汚れた土壁。
追っ手が迫る中見上げる程高い壁をよじ登る事はきっと不可能で。
切羽詰って動けなくなった千鶴の両腕を、先回りしていた男達が拘束するようにきつく掴んだ。

「っや!!放し…放せっ」

細い四肢をばたつかせて懸命に抗う。
けれどそんな抵抗を捻じ伏せる事は鍛え抜かれた兵士達にとって赤子の手を捻るより簡単で、隊長と呼ばれていた男は憐れむように千鶴を見下ろすとみぞおちに軽く拳を入れた。
小さな呻き声と共にぐったり崩れ落ちる華奢な体躯。
それを荷物のように軽々と担ぎ上げると、男達は夕焼けに染まる街を何事も無かったかのように去っていった。



*****



「――痛っ…」

うなだれた体勢からいきなり髪を掴み上げられ、千鶴は痛みで意識を取り戻した。

(ここ……は何処?)

状況を確かめようにも手首は縛られ吊るされていて、身動きが取れない。
荒縄が肌に喰い込む苦痛で冷たい汗がこめかみを伝う。
髪を掴んだ手を振り払う事も出来ず、醜悪な容貌の男にじろじろと全身を眺められ千鶴の背筋を悪寒が走った。

「こんな物で我らの目を憚れると思ったのか」

薄暗い部屋の中、だんだん目が慣れてくる。
少し離れた場所に座る男性が千鶴のハンチング帽を指先でくるくると回しながら嘲るようにそう言った。

「貴方達は誰……僕がいったい何を――つっ!」

言葉の途中で容赦ない蹴りが腹部に飛んでくる。
かは…っと、込み上げる嗚咽を吐き出すと周囲から嘲笑するような声があがった。

「質問するのは我々だ、貴様ではない。……単刀直入に訊こう、お前はこの手配書の男なのか?」

目の前にかざされた紙片に描かれているのは――薫。
けれど千鶴には薫が何故手配され追われる事態になってしまっているのか、見当もつかなかった。

「……違う、僕じゃな―…っ」

「どう見てもお前だろうが!!」

怒鳴り声と同時に頬が熱を持った。
熱い痛みに少し遅れて、ぱあんと大きな音が耳元で響き一瞬意識が飛びそうになる。

「解っただろう、我々はお前に温情を掛けてやる程甘くはない。知っている事を全て話せ、……そうすれば早く楽になれるぞ。どう言う形でかは分からんがな」

「何も――知ら…ない」

叩かれた時に切れたのか口元からつうっと紅い筋が流れ落ちる。
かたかたと音を立ててしまいそうな奥歯をぐっと食いしばり、千鶴は正面を見据えた。

(どうしてかは解らない。けれど…きっとこの人達は薫の敵だ)

ならば心は決まっている。
どんな事になったって、たとえここで殺されたって…私は何一つ喋らない。

知らないと答える度、身体に鋭い痛みが走る。
ぼろぼろの服から覗く肌に綺麗な箇所など見えない程…千鶴は手酷く痛めつけられた。
意識を無くしては冷水を浴びせられ、また同じ事が延々と繰り返される。
少しずつ時間の感覚が無くなっていった。

「こいつ――何て強情な…」

数時間が過ぎて、尋問と言う名の拷問に慣れた男達の顎からも汗が滴り落ちる。
これ以上続ける事に意味があるのだろうか?
ただ嬲り殺して何の成果もあげられなかったら?
……命の危険に晒されるのは己かもしれないのだ。

冷酷に光る翡翠色の片眼を思い浮かべ、尋問部の担当長官が身震いをする。

それまでぼろぼろになっていく千鶴をただ無表情に見つめていた隊長がそっと長官に耳打ちをした。

(このまま死なせてしまったらどうなるか。貴方なら知っている筈だ)

前任者の無残な姿が長官の記憶を鮮明に過る。
決定的な間違いを犯して命を落とすより、無能だと罵られる方がいくらかましに違いない。

「よっよし、お前達もういい。――後は……大佐に判断して頂こう」

弱々しく呼吸を繰り返す千鶴に近付くと隊長は吊るしていた縄を切り無理やり水を飲ませた。そして新たに手首を拘束し直す。

「立てるか?」

「……はい」

こんな細い身体のどこにあれだけの拷問に耐えられる力があるのだろう。
ある種の感銘を受け「この男は我ら第一部隊が預かった」そう告げると隊長は千鶴の身柄を尋問室から再び第一部隊へと移送した。

両手首に縄を掛けられ、まだ若干ふらつく小さな身体。
それを何とか自力で支えながら千鶴は大佐が待つという執務室へ連れてこられた。
重厚な装飾の分厚い扉が威圧感と共に目の前に迫る。


沖田大佐と千鶴の運命の出会いが――扉の向こうで両手を広げて待っていた。



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