「今日こそはコートを使わせてもらうから」
「寝言は寝てから言ってくれない?」

二人の間にはバチバチと火花が散っている。ように見える。炎天下のテニスコートでジリジリと熱が体力を消耗していく中、それ以外のことにまで熱を上げて体力を消耗するなんてわたしには出来っこない。
目の前でバチバチと火花を散らして睨み合っている二人。立海テニス部の男子部長の幸村くんと女子部長の恭子ちゃんだ。つい先日に三年が引退してわたしたちの世代がその次を引き継いで行くことが決まった。中学生活も部活も青春も、待ったなしにどんどん時間は過ぎていく。わたしたちには少しの暇さえないのだ。

「わたし、女テニの部長になったの」
「そう。奇遇だね、俺も部長なんだ」
「だから言ってるの。コートを少しだけ女テニに使わせて」
「だから、寝言は寝てから言えよ」

ふふっ。花のように笑う男子テニス部部長の幸村くんは、こう見えてとても怖くていい性格をしている。可憐な花を愛でているような顔で先ほどのような暴言を吐くのだ。わたしも最近知ったのだけれど。
わたしたち女子テニス部と男子テニス部は一年の頃からずっと仲が悪く何かといがみ合ってきた。それはわたしたちよりずっと前の世代の先輩たちの頃からの伝統のようなものなのだそうだ。そんな伝統で仲が悪いなんて、と思っていたけれど実際に男子テニス部と接してみるとなるほど腹が立つ奴ばかりだった。この幸村くんを筆頭に。
そもそも女子テニス部の待遇が悪いのが原因だった。確かに男子テニス部のような歴代の輝かしい実績はそこまで残せてはいないし、立海女子テニス部が男子テニス部ほど有名なわけでもない。けれども部活は部活。わたしたちだってテニスが好きで強くなりたくて練習をしている。男子テニス部の人数が多いことも知っているけれど、二面くらいはコートを使わせてほしい。男子テニス部はその何倍もあるのだから。

「ちょっと菜月も何か言ってやってよ。副部長になったんだから」
「ええー…」
「ほら、やる気のない奴にコートを貸したところで無駄だろ」

カッチーン。これだから男子テニス部の無駄に高圧的な態度が気に入らないんだ。文句を言うつもりがないだけで、やる気がないとは言っていない。だけど恭子ちゃんみたいにそれを言う勇気はない。だって幸村くん怖いんだもん。
わたしは思いっきりため息をついた。とりあえず今回もこの交渉はわたしたちの溝を深くしただけで無駄に終わりそうだ。今だに睨みつける恭子ちゃんとそれをにこにこと張り付いた笑顔でスルーしている幸村くんを見ていると、例えテニスコートをもう一面借りられたとしても今さら仲良くは出来ないんじゃないかと思い始めていた。それは少しだけ複雑な気持ちになる。

「幸村、ここにいたのか」

幸村くんと恭子ちゃんの不穏な空気を払いのけるかのような遠慮のない声がした。幸村くんがぱっと振り返る。それに続いてわたしと恭子ちゃんも視線を向けた。

「真田、どうしたの?」
「練習メニューについて話したいことがあったのだが」
「ああ、後にして、すぐに行く。今はこいつらと話してるから」

こいつら、と親指でクイッと指し示されてまたしてもカッチーンとくる。恭子ちゃんなんて青筋が見える。それを見た幸村くんはわざと挑発するかのようにふふふ、と笑いもう一度恭子ちゃんに向き合った。
わたしはそんな二人からスススと距離を取ると幸村くんの側に来た真田くんに近寄った。この時ばかりは天の助けに見えた。わたしに気が付いた真田くんが少しだけ表情を和らげた。

「またいつものか」
「そうなの」
「お前も苦労するな」
「真田くんもね」

背の高い真田くんを見上げると、同じように背の低いわたしを見下ろした。
わたしと真田くんは男子テニス部副部長と女子テニス部副部長なのに、どうしてだか喧嘩もいがみ合いもしたことがない。確かに男子テニス部には思うところはあるけれど、それを副部長の真田くんにぶつけようとは思わなかった。わたしは恭子ちゃんには逆らえないし、どうやら真田くんも幸村くんにはあまり強く出られないようだった。わたしと真田くんは似ていた。
二人して困った顔を見せ合うと、少しだけ気恥ずかしくなったのか真田くんが手にしていたラケットをクルクルと回す。

「それ」
「ああ、もう随分と使ったからな」

わたしの視線に気がついた真田くんは手にしていたラケットのグリップを指でつつつと撫でた。真田くんの言うように使い込まれたグリップテープが少しずつ剥がれかけているようだった。練習とはいえ王者と呼ばれる立海男子テニス部の副部長のグリップがそんなんじゃ格好がつかない。新しいものは部室に置いてあると言う真田くんに、わたしはポケットから新しいグリップテープを取り出した。ついこの間使ってからお気に入りになったグリップテープで、先日もお店で見かけて予備に買っておいたものだった。

「これ使ってよ。わたしのお気に入りのやつ」
「だが、それではお前が…」
「わたしのはまだ平気。それより王者がそんなラケットじゃ格好つかないでしょー?」
「む」
「気に入らなければまた新しいのと取り替えてもいいから」

ね?と念を押せば真田くんは渋々だけれどわたしの差し出したグリップテープを手に取ってくれた。その場で古いテープを剥がし、わたしのあげた新しいグリップテープを巻き始める。わたしは座り込む真田くんの側に同じようにかがみ込むと、その作業をじっと見つめた。真田くんの指がラケットを大事そうに丁寧に扱う。わたしはそんな光景を眺めながら、ただ純粋に好きかもしれないと思った。真田くんがラケットを優しく丁寧に扱う姿が、好きかもしれないと。
ピタッと真田くんの動きが止まる。わたしも同じように止まる。不思議に思いながら真田くんを見つめる。やや俯きながら帽子のつばが真田くんを上手に隠していた。でもわたしにはこんなに小さな帽子に大きな真田くんが隠れているように見えた。

「あっ」
「あ」

怒るかな、怒られるかな。そんなことを考えながら真田くんの帽子を捕まえた。取り上げた帽子の下で、真田くんはとても困った顔をしていた。困った顔をしながら、わたしを見つめ返した。
考えていたことが聞こえてしまったのかもしれない。伝わってしまったのかもしれない。だから真田くんはこんなに困った顔をしているのかもしれない。今度はわたしが真田くんの帽子に隠れた。

「宮本」
「な、なに?」
「そんなに、見つめられると…」
「え?」
「…手元が狂う」

再びテープを巻き始める真田くんが、らしくない小さな声で呟いた。わたしは隠れていた帽子のつばをちょこっとだけ上げて真田くんを覗き込んだ。

「照れてるの?」
「…手元が狂うのだ」
「それって照れてるから?」
「てっ、照れてなど」
「わたしが見てると、ダメ?」

追い討ちするような質問に真田くんはとうとう黙り込んでしまった。意地悪なこと聞いちゃったかなと少し反省する。だって、知りたい。真田くんのこと。
だけどしばらくしてから真田くんが「ダメなわけ…ないだろう…」、ともの凄く恥ずかしそうに言ったので反省はやっぱりしないことにした。
またしてもグリップテープを丁寧に巻き出した真田くんににこにこ嬉しそうに見つめるわたし。ようやく巻き終えた真田くんがグリップをにぎにぎと感触を確かめてから数回素振りをした。
うん、それでこそ王者。もちろん、グリップテープが剥がれかけてたって真田くんは真田くんなんだけどね。

「やっぱり立海男子テニス部副部長はこうでなきゃ!」
「宮本、ありがとう」
「いーのいーの。わたしこそ真田くんの役に立てたのならよかった」

見上げるわたしの頭から今度は真田くんが帽子を捕まえる。帽子でくしゃっと絡まったわたしの前髪を、さっきまでグリップテープを丁寧に巻いていた真田くんの指が梳く。ゆっくりと、優しい手つきで。この時ばかりはどうしようかと思うくらいに心臓がドキドキして、真田くんを見ることが出来なかった。
ポンッと撫でるように乗っかったのを最後に真田くんの手が離れていく。そのままその手を視線で追いかけて、きゅっとつばを掴んで帽子をかぶり直した真田くんを見上げれば、少しだけ照れくさそうにしていた。わたしはそんな真田くんをとてもかわいいと思うのだ。



「ねえ、なんかわたし達馬鹿らしくなってこない?」
「君もそう思う?俺もだよ」
「伝統って言うから部長らしく従ってたけど…」
「俺たちの世代で終わらせちゃってもいいんじゃない?」

はっとするとさっきまで睨み合っていた幸村くんと恭子ちゃんが、わたしと真田くんを呆れた顔で見つめていた。ちょっと待って、何その顔、そのままそちらに返したい。

「コートのこと真田はどう思う?」
「俺は構わん。その環境に応じて練習するだけだ」
「だね。まあ、そういうことだよ。今日から君の言う通り、一面女子テニス部に明け渡すよ」

突然の幸村くんの言葉に恭子ちゃんとわたしはお互い見つめあった。

「えっ!いいの?」
「うん。元々そんなに気にすることでもなかったし。好きに使いなよ」

ふふっ、とまた花のように笑う幸村くんはさっきまでの男の子と果たして同一人物なのか。だけどさっきの笑顔も今見ている笑顔も、わたしからすれば対して変わらない。部長としての立場と本音は、また別のところにある。
立海は伝統を重んじる昔ながらの学校だ。だけど、わたしたちはわたしたち。わたしたちの青春は過去じゃない。たった今しかないのだから。

「菜月と真田くんのお陰だね!」
「えっ?何で?」
「俺たち部長がわざわざ喧嘩してるのに、君たち副部長がイチャイチャしてたら元も子もないだろ」
「いっ、イチャイチャなど!しておらん!」
「そ、そうだよ!」
「はいはい」
「ゆ、幸村っ!」
「はいはい」

必死になって弁解する真田くんを見ているとなんだかおかしくて、わたしは思わず笑ってしまった。そんなわたしを見て、恭子ちゃんが笑う。それから、そんな恭子ちゃんを見て幸村くんが笑っている。楽しいなって純粋に思った。
ずっと続いた仲が悪い伝統なんて蹴っ飛ばしてしまえるくらいに、わたしはここが大好きになる予感がする。わたしの青春は今だけだ。たった今、この瞬間だけがわたしの青春。
楽しくて笑いながら真田くんを見ると、優しい笑顔でわたしを見つめている真田くんと目が合った。ぱっとすぐに逸らされて、それはほんの一瞬だったけれど。そんな優しい顔でわたしを見てくれていることが、とても嬉しかった。

「宮本」
「何?真田くん」
「…お前がよければ、その、今日一緒に帰らないか?」
「えっ!」
「いや、その、グリップテープのお礼をだな」

もごもごと言い淀んだ真田くんは、すぐに「いや、」と言葉を続けた。

「夜は危ないから送っていく」

何故だかそっぽを向いたままの真田くんにそう言われ、わたしは困った顔で頬を染めてしまった。ああ、どうしよう。わたしの青春がバタバタと足音を立てて駆け抜けていく。

「だからイチャイチャするなよ」
「いっ、イチャイチャなど!」
「はいはい」

もう何度目になるかわからないやり取りをして幸村くんと恭子ちゃんが笑いながら先を歩いて行く。わたしと真田くんも後ろから追いかける。
追いかけながら、わたしの方へ少しだけ近付いた真田くんがわたしの耳元へかがみ込む。そして、わたしにしか聞こえない小さな声で囁いた。幸村くんと恭子ちゃんから隠れるように。

「部活が終わったら、裏門で待っている」

裏門で。それは、いつも男子テニス部たちが帰っている道ではない場所。もちろん、わたしも真田くんも。多分、恐らく、いやきっと。二人きりの帰り道になる。
嬉しくて恥ずかしくて「うん…」と頷く声が小さくなる。わたしを見下ろす真田くんの瞳に、わたしだけがいる。またあの優しい顔で真田くんがわたしを見つめている。
先を歩く、幸村くんと恭子ちゃんがこっちを見ながら呆れた顔でくすくす笑っていることにも気付かないほどに。
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