ぽろぽろぽろ。大粒の涙がこぼれて止まらない。次から次へと頬を濡らす涙は、拭っても拭っても溢れてくる。
数分前の学校からの帰り道、笑顔で友達に手を振ったわたしはその数秒後に失恋することとなった。いつもの帰り道を歩いていると、少し離れた先に見覚えのある後ろ姿があった。その後ろ姿は紛れもなくわたしの好きなひと。遠くからずっと見つめてきたわたしが見間違うはずがなかった。その背中は違う学校の制服を着た女の子と腕を絡めて、寄り添いながら歩いて行く。
分かっていた。いや、分かっているつもりで本当は分かっていなかったのかもしれない。遠くから見つめるだけだと決めて何もしなかったのは紛れもなくわたし自身だ。きっと彼は、わたしのことを知りもしないのだろう。そんな臆病なわたしのちっぽけな恋がいつの間にか奇跡のように叶うはずもない。

「はー…」

すぐ近くにある公園までは我慢して、ブランコに座った途端に気が抜けたのか一気に涙がこみ上げた。
ただの憧れだと思っていた。成績も優秀でサッカー部レギュラーで、わたしなんかの手の届かない存在なのだと。それなのにわたしは今、泣いている。おこがましいにも程がある。憧れだと、手の届かないのだと、そう言いながらも叶わなかった恋に泣いている。
半分は自分が情けなくて涙が止まらない。努力も何もせずにいたくせに、失恋したと知った途端に泣くだなんて。

「…なあ」
「!」
「大丈夫か?」

突然声をかけられて心臓が飛び出すかと思った。公園には誰もいなかったはずだ。誰もいなかったから遠慮なく泣いていたのに、突然すぐ側から声がして驚いた。
怪訝な気持ちが思いっきり顔に出ていたのか、目の前の男の子は両手をブンブンと左右に振って否定の意を示した。

「いや、俺は決して怪しい者じゃねえって」
「…」
「あ、何だよその目は。疑ってんのかよ」
「…」
「その、たまたま通りがかった公園で同じ制服が見えたから見てみたら、なんかすげー泣いてるみたいだったから。その…放っとけなくて…」

泣いてる女の子を放っておけないだなんてどこぞの紳士のようなことを言う男の子は、声をかけてきたくせにあっちこっちを見回しては困った顔をする。そんな顔をするのなら声をかけなければよかったのに。失恋のせいか荒んだことを考えてしまう。
それにしてもこの男の子が言うように、目の前の彼も同じ制服なので同じ学校の生徒らしい。少し派手な赤い髪をふわふわ揺らしながらあーでもないこーでもないとブツブツ何かを言っている。 社交的なんだろうということは彼の行動で十分に分かったが、泣いている見知らぬ女の子にわざわざ声をかけて困った顔をしてまでも頭を悩ませるだなんて、情に脆すぎではないだろうか。

「一人で泣いてるだけなので、放っておいてもらって平気です」

あからさますぎたかな。頭では思っていても言葉として出てきたら、とても棘のある言葉になってしまった。男の子の表情が真顔になる。
嫌なわけじゃない。わたしも社交的と言えるほどではないけれどそれなりに友達もいるしわいわいするのは好きな方だ。だからこそ、泣いている自分と一緒にいる相手に気を使わせることが苦痛に感じるのだ。こんな初対面で何も知らない相手なら尚更だ。

「でもよ、知らない相手だからこそ話せる内容ってのもあるじゃん?」

「一人よりも二人って言うだろい!」、わたしの心を読んだかのように目の前の彼は言った。それは、さっきのわたしの棘の混ざった苦い言葉を消し去るくらいに優しい声だった。
だから放っておいてほしかったのに。泣いている時の優しい言葉ほど涙を誘うものはないというのに。
ポロポロ泣き出したわたしを見た男の子は、驚いた顔をしてからすぐにカバンの中からタオルを取り出した。ふわっといい香りのするタオル。断るよりも先に顔に押し付けられた。

「本当は部活で使う予定だったけど、お前に貸してやるよ」
「なんか、すみません…」
「いーって!遠慮すんな!」

優しいのか強引なのかよく分からない男の子だ。わたしはぐずぐずの顔をタオルで押さえながら、今さら恥ずかしくなってきた。名前すら知らない相手にこんな姿を晒してしまうなんて。友達の前ですらこんなに泣いたことがなかったせいか、自分の状況を自覚すると頭の中がどんどん覚めてゆく。
冷静にそんなことを考えられるくらいには落ち着いてきたわたしは、恐る恐る目の前の彼を見た。「どうした?」、さっきよりも落ち着いた笑顔で覗き込んでくる彼は、女の子なら固まってしまうくらいには整った顔をしていた。こんな男の子の前でぐずぐず泣いていたのかわたしは!
恥ずかしくなってタオルで顔を隠すわたしを見た男の子から、少しだけ笑った気配がした。キーコ。隣りからブランコの揺れる音がして、ようやく涙の止まったわたしを見て安心したのか男の子は場所を移動したらしい。

「んで?何があったんだよい?」
「…」
「んだよ、ここまできたんだから吐いとけよ。スッキリすんぜ」
「…大したことじゃないんです。ただ、わたしが一人で勝手に失恋しただけで」

そう、大したことじゃない。きっと、誰にとっても。ただわたしだけの大事件でわたしだけを揺るがす出来事だった。失恋話なんてそこらじゅうに転がっているし、わたしよりももっと辛い失恋もあるに違いない。遠くから見つめるだけで伝えもせずに綺麗なまま終わりを告げたこの恋は、きっと美しい失恋なのだろう。こんなに泣くほどのことじゃないのかもしれない。
自分の情けなさに何度も頭の中で否定していると、隣りのブランコから大きな音がした。

「失恋って…おいおいそれは大したことだろい!」
「え?」
「お前自身が大したことじゃないなんて言ってやるなよなー。折角の恋が台無しじゃん」

さらにぐんっとブランコに勢いをつけて男の子が大きく揺れる。ブランコは男の子に揺らされてみるみる高くなってゆく。気が付けばあっという間に高いところまで行ってしまった。
眩しいなと思った。つられて見上げた青い空はどこまでも続いていて、涙で潤んだ瞳には少しだけ眩しい。

「俺も失恋ってやつ経験あるけど結構しんどいよなー」
「で、でも、わたしのは失恋って程でもなくて。告白をする勇気もないまま、相手に恋人がいるのを目撃しちゃって…ただ、それだけで…」
「あー…そっかそっか。じゃあ俺と似てるな」
「そ、そうなんですか?」
「まあな。似たような感じ。それでも、辛いもんは辛いだろ?」

彼は会話が上手いのか、はたまた偶然なのか。これじゃあ自分の失恋を否定的に言えなくなってしまった。否定すれば同じ経験をしたこの男の子の気持ちごと否定することになってしまう。それは出来ない。
辛くないと言えばそれは嘘になる。二人の寄り添う後ろ姿を思い出すと、心の底がズンッと重たくなる。落ち込んでしまうくらいには辛い。
たったの二年間だった。立海に入学してしばらく経ったある日、わたしは唐突に恋に落ちたのだ。それからはとても楽しかった。窓から外を眺める横顔、食堂で昼ごはんを食べる横顔、ケータイを操作する横顔。ただ、ただ、見つめていた。好きだった。叶えたいわけでも伝えたいわけでもなかった。ただ、決してこちらを見るわけではないその横顔が好きだった。
一息だけついたわたしは、隣りのブランコに声をかける。

「なんだか本当にスッキリしてきました」
「それはよかった」
「あの、同じ学校…ですよね?」
「おう!ちなみに同じ学年だぜ」
「わたしは三年F組の宮本です」
「ははっ。知ってる。俺は三年B組の丸井ブン太」
「え?」
「俺、今から部活あっから学校戻るわ」

ニッと笑顔を見せた彼は、わたしの疑問形の声に聞こえないふりをして、ブランコから上手に飛び降りた。危ない、と思ったけれど猫のようにしなやかに着地して側に置いていた大きなカバンを手に持った。
そういえばそのカバンには見覚えがある。確か、似たようなカバンを同じクラスの柳くんがいつも持っていた気がする。柳くんと言えば立海のテニス部だ。全国常連の強豪と呼ばれる立海のテニス部。ということは、つまり。
恐らくラケットの入った大きなカバンを軽々と肩に背負った彼は、元気づけてくれていた時とは違う、気恥ずかしそうな顔をしていた。その照れた横顔が、色んなパズルのピースを拾ってくる。

「じゃあな、もう泣くなよ」
「う、うん」
「泣いてたらまた飛んでくるからな」
「ええ!?」
「冗談だろい!じゃーな!」

現れたのが突然ならば、去っていくのも突然だった。呆気にとられていたわたしは、手に持ったままの彼のタオルを思い出す。洗ってまた明日渡そう。同じ学年ならまたすぐに会える。
涙はもう、二度と零れないだろう。彼の、丸井くんのおかげだ。悲しい失恋と嬉しい出会いがセットになってしまった。
そして、きちんと聞きたい。たくさんの知りたいが胸に溢れていた。失恋した彼には沸き上がらなかった欲に少しだけ戸惑った。出会ったばかりの彼のことを知りたいだなんて、こんな気持ちが芽生えている自分に驚く。
遠くで見つめているだけならそれでいい。だけど、一度近付いてその距離を知ってしまうともう戻れないのだ。欲は果てしなく、そういうもの。
明日の学校が楽しみだなんて、さっきまでは思いもしなかった。




翌日、わたしは洗濯して涙のあともすっかり洗い落としたタオルを持って3年B組を訪れた。入口から顔を出してキョロキョロしていると、丸井くんはすぐに見つかった。丸井くんはわたしを見つけるなり驚いた顔をしてピョコンと立ち上がった。そのままもの凄いスピードで机と机の間をすり抜けて、そのまま入口に立っていたわたしの手を捕まえて走り出した。待って待って、どこに行くの!声をかける間すら与えてもらえずに、丸井くんに引っ張られてひたすら走る。運動部の丸井くんのスピードについていけず、屋上につく頃にはわたしだけがヘトヘトになっていた。膝に両手をつきながら息を整える。こんな全力疾走したの久しぶりだ。喉の奥が渇く。
そんなわたしの状況も知らず、くるりと振り向いた丸井くんが横を向いたまま鼻の頭をかきながら小さな声を出す。

「な、何だよ?俺に用事?」
「あ、うん。これ、タオル。昨日は貸してくれてどうもありがとう。お陰でとても助かりました」
「お、おう!そりゃよかった」

受け取ったタオルをじんまりと見つめていた丸井くんが、チラリとわたしを見上げてきた。その視線に、何かが胸をぎゅっとした。
昨日の夜、ずっと考えていた。失恋を忘れてしまう程にずっと。丸井くんはたまたま通りがかったと言っていたけれど、部活があるからと学校に戻ったということは何か理由があってあの公園に来たはずだ。でなければ、そのまま部活へ行っていたはず。
それからわたしの名前を知っていた。わたしたちは話したこともないし接点すらなかったはずだ。
もしかして丸井くんは最初からわたしのことを知っていたのだろうか。どこで何がきっかけかは分からないけれど、知っていて泣いているわたしを放っておけなかったのだろうか。

「ねえ、丸井くん」
「!」
「もしかして、わたしのこと、知ってたの?」

わたしは漫画に出てくる名探偵じゃないから、たった一つの真実が見つけられない。謎が解けない。
わたしの問いかけに丸井くんは分かりやすい程にゴクリと唾を飲み込んで、観念したようにポツリと呟いた。

「最初は、横顔が可愛いなって思う程度だったんだ」
「…へ?」
「だ、だから!お前のことを知ってた理由だろい!でも見かける度に気になるようになってって、そんで、その横顔の視線の先にはいつも決まった奴がいるってことに気が付いちまって」
「…」
「俺が一人で勝手に失恋したってわけ」

へへへ、と笑って見せた丸井くんの笑顔はとても悲しそうで、それは思い込みの自惚れなのかもしれないけれどどうにかしてあげたくなった。泣いているわけでもない丸井くんをどうしてもどうしても慰めたい。こうなったのは間違いなくわたしのせいなのに、そしてわたしには丸井くんを慰める筋合いがこれっぽっちもないのに。
わたしと丸井くんは一緒だった。わたしたちはお互いに誰かに恋する横顔に恋をしたのだ。それが初めから報われることのない恋だったとしても。

「おいおい、そんな顔すんなって!別に平気だし」
「だって」
「そんな顔をさせたくて昨日追いかけたわけじゃねえんだよ。ただ…お前が好きだから。泣き止んでほしかったんだ」

ストレートな言葉たちが次から次へとわたしを慰める。理由もない丸井くんの想いが、温かくて心地よくて。
理由なんてなくてもいいのだ。誰かを好きになることも、慰めたいと思うことも、涙が止まらなくなることも。出会いも別れも、そのタイミングでさえも、すべて理由のないものなのだから。

「丸井くん」
「ん?」
「上手に言えないけど、わたし、この丸井くんとの出会いを大事にしたいと思ってるんだけど、どうかな?」
「!」
「好きとか嫌いとか、失恋とか新しい恋とか、そういうのも丸ごと全部含めて、この出会いを大事にしたくなっちゃった」

どうかな?、と聞くより先に丸井くんに両手を握りしめられた。「俺も!」と、嬉しそうに笑われて、わたしまで嬉しくなってしまう。
遠くから見つめていた横顔に恋をしていたわたしの心が、丸井くんの真っ直ぐ向けられるすぐ側の笑顔にどんどん塗り替えられていく。横顔よりも丸井くんは笑顔の方が素敵だな、なんて。今だから、こんな出会いだから、思えたこと。

「お前ってさ、横顔も可愛いけどやっぱ笑うともっと可愛いな!」

嬉しそうにそう言われて、わたしが赤くなると言った本人の丸井くんも赤くなった。やっぱりわたしたちはどこまで行っても似たもの同士なようだ。
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