構内全面禁煙のアナウンスを無視して煙草をふかす人間と、そいつに注意をしたかと思えば結婚を前提としたお付き合いを申し込む人間とでは、どちらが常識知らずだろう。
私としては断然後者だ。

「わたくし女性だからと禁煙を無理に勧めはしません。むしろ喫煙している貴女様に心を奪われました」

私の腕をがっしりと掴んで離さない鉄道員(多分上の人間)は、彼の言葉を信じるならどうも私に一目惚れしたらしい。
普段ならとりあえずキープするかと考えるところだが、煙草が吸いたくてたまらない今はただのいい迷惑でしかない。
むしろそこらのナンパよりも鬱陶しく感じる。

「ああそれは今時好物件かもですねー。ただでさえ喫煙者は肩身が狭いのに、女ってだけでさらに嫌な顔されますから」
「嫌な顔などいたしません、進んでライターと灰皿をご用意させていただきます」

「そんな非喫煙者たちの視線にもめげずにこうして全面禁煙でも煙草吸うような女なんですよ」と言外に言ったつもりだったのだが、彼は目をそらさずにさらりと返してきた。
むしろお前がめげろ。

「進んでライター差し出すとかそれどこのホストクラブですか」
「貴女様だけのホストであれば、喜んで」

恍惚とした表情で言われて思わず一歩後ずさった。
たかが一目惚れしただけの相手に盲目すぎる。
誰か私の知らないどこか遠い所で、彼に正しい恋愛観を教えてやってほしい。

「さらにわたくし自分で言うのも何ですが、収入もかなり高い水準で安定しております。貴女様に不便も我慢もさせないことをお約束しましょう」
「嫌ですよ私金目当ての女とか思われたくないんで」
「何と奥ゆかしい!貴女様が望まれるならわたくしこの職を辞することも厭いません」

やっぱり上の人間らしい。
顔も良ければ背も高い、おまけに高収入とくれば引く手数多だろうに。
しかもこれだけ盲目的に慕ってくれるのだから浮気の心配もない。
本当にいい物件だなあこの人。
本当にいい物件だから誰か今すぐにこの人を目の前から掻っ攫ってくれないだろうか。

「そこは厭いましょう、初対面の人間にそこまでされちゃ迷惑です」
「ああ、そうです申し遅れましたわたくしノボリと申します!僭越ながら、貴女様のお名前をお聞きしても?」

迷惑だと言ったはずなのにどうして自己紹介が返ってくるんだ。
また怒鳴り散らしそうになるのを必死で抑える。
ここで爆発したら確実に非常識は私の方だ。
かと言って無視を決め込んで意味の分からない方向へ会話を持っていかれても困る。
早く帰って煙草が吸いたいんだから。

「何で急に言葉が通じなくなるかな…。なまえですなまえ」
「なまえ様!それは素晴らしいお名前です。ではなまえ様、早速本日からわたくしの家で結婚を前提に同棲いたしましょう!」
「誰か通訳よんでください!」

そして早く私に煙草を吸わせてくれ。



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「見えない臓器の名前は」
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