「はい、クダリ。軽く十年は昔の自分からの贈り物だよ」
「………なにそれ、絶対に腐ってるよ」

ほっそりとした手から差し出されたやや厚めの封筒は、彼女が言う通りの年月を経たとは思えないほど綺麗なものだった。
白い封筒に、そっけない字で『未来のぼくへ』と書かれている。
間違いようもなく、忘れようもなくぼくが書いたものだ。

「忘れちゃった?ほら、スクールの同期生でタイムカプセルを埋めたでしょ」
「ああ、うん。そうだね、覚えてるよ」

早くこの会話を打ち切ってしまいたい気持ちが先行して、返事がどうしても早口になるのを自覚する。
覚えているどころじゃない、いっそあんなナマモノのことは忘れてしまえたらよかったものを。

ぼくとノボリ兄さんがスクールを卒業する年、誰の思い付きだったのかタイムカプセルを埋めようという話になった。
モンスターボールなんていう科学の粋を集めた収納器具が子供の小遣いで買えるような時世だ、タイムカプセルの中身として埋めるものは大きさも数も自由というなんとも豪快なものになるのは当然と言えば当然の流れだろう。
本来なら未来の自分へ宛てた手紙や、当時の大切な思い出の品、写真なんかを入れるのが正しいそれに、ノボリ兄さんは手紙と写真、そして使用済みの切符を入れていたのを覚えている。

だからぼくも、それにならって思いを綴った手紙を埋めた。
埋めただけで、数年後だか十数年後だか知らないけど、受け取るつもりはさらさらなかった。
当時既にギアステーションで働くことを夢見ていたぼくたち兄弟は、その仕事が多忙を極め、タイムカプセルの発掘なんてイベントにはよっぽど運が良くなければ立ち会えないだろうと予想していたことが理由のひとつ。
そしてもうひとつの理由は、ぼくがその手紙を二度と見たくなかったからだ。

今にして思えば気でも狂ったのかとしか考えられないけど、ぼくはその手紙に、初恋の女の子への思いを、劣情を、切々と書き綴っていた。
どうしようもなくあの子が好きだ。
触れたことすらないあのやわい肌に舌を這わせたい。
時折見えるうなじに鼻先を埋めて、嫌がられようとお構いなしに心行くまで匂いを嗅ぎたい。
明るい陽の下で服を剥いて羞恥に泣かせたい。
初めてから、最後まで、全部全部ぼくで埋め尽くしてやりたい。
そんなことを、十人いれば十人に蔑まれ罵られるようなことを、優等生で通っていたぼくは延々と手紙に綴り、みんなの綺麗な思いと共に土の下に埋めた。

当時ノボリ兄さんに手紙の内容を尋ねられた時は、いっそ手紙を飲み込んで窒息死してしまいたいと思ったことも、よく覚えている。
いや、覚えている、というより、あの手紙に関することを忘れたことがないという方が正確だ。
手に触れるどころか、目を背けられるような醜いものでも、ぼくにとっては大切なものだった。
大切な思いで、大切な初恋だった。
だからこそ、もう二度と見たくもないと思ってしまうような手紙に形を変えて、大事に大事に埋めようとしたんだろう。
誰に告げるつもりもなかった初恋を、そこで殺して埋葬した。
そのつもりだった。

表書きには「開封に立ち会えなかったら捨ててください」と書いておいた、立ち会うつもりも当然ない。
もし幸運が重なってタイムカプセルの開封に立ち会える身になったとしても、その場に向かうつもりはさらさらなかった。

だから手紙が戻ってくることはきっとないだろう、ほのおタイプの子を持つ人はいくらもいた、ヒヒダルマかシャンデラ辺りが消し炭にしてくれることだろう思っていたのに。
どんな巡り合わせか、昔の思い人本人の手から手紙が返ってきた。
よりにもよって、初恋のその人の手から。

「クダリは何を埋めたか覚えてる?」
「うん、よく覚えてるよ。思い出したくなかったなあ」

嘘だ。
そもそも忘れたことがない。
自分の中で作られた汚物をみんなの輝かしい未来への希望と一緒に埋めた記憶は、ずっとぼくの中で澱のように沈殿して残っていた。
ふとした表紙に浮かび上がっては胸をかきむしりたくなるそれは、間違いなく黒歴史と呼んで差支えのないものだ。

彼女はそんなこと、知りもしないけど。
知りもしないから、今もこうしてぼくの前で笑っている。

「へえ、クダリは相変わらず物覚えがいいのね。ねえ、何て書いてたの?」
「ええとね、ぼくが埋めたのはナマモノの類だから、きっと腐っちゃってるよ」
「手紙でしょう?ナマモノなの?」
「ナマモノだよ。鮮度が大事なの」

あの時に。
自分の手で思いを書き出したあの時に、持て余していた感情すべてを乗せて彼女に一言「好きだ」と言っていれば。
ここまで腐臭を漂わせるものにはならなかったのだろうか。

答えは否だ、ありえない。
ぼくはその一言なんかに思いすべてを乗せることができないと知っていたから、そして抱え込むことすらできなかったから、手紙に吐き出して埋めたんだ。
あの初恋は、彼女を蹂躙してやりたいという最低な思いまでがきっちり入っていなければ嘘なんだ。

「そんなもの埋めなきゃ良かったのに」
「でも埋めないと、ぼくには食べきれない量だったから」
「そう。でも腐らせたからこそ食べられるものってあるじゃない?案外イケるかもしれないわ」

にっこりフォローのつもりで笑われて、ぼくは対照的に自分の笑顔がすとんと落っこちるのを自覚する。
それはナマモノで、とても消費しきれない量があって、それでいてゴミ箱に直接叩き込むこともできないやっかいなものだった。
タイムカプセルに入れたのはぼくなりの弔いで、だから本当に戻ってくるなんて思ってもいなかったのに。

「………ねえ、結局クダリは何を埋めたの?」

交換条件に見てもいいと差し出された過去の彼女の遺物は、とても可愛らしいお手製のジムバッチだった。
夢とか希望とか、そういう綺麗で輝いていてとても眩しく刺さるもの。
彼女はきっと、ぼくもそんな綺麗なものを埋めたと信じてやまないんだろう。
綺麗で輝かしくて、だからこそ気恥ずかしく直視に耐えない、そんなものだと。

いっそ高らかに笑ってやりたかった。
そんなものじゃない、埋めたのはそんな綺麗なものじゃなく、もっと汚くて目覚めたばかりの欲に濡れた触るのも憚られる、文字通りのナマモノだ。
思いとは反対に、顔は一切笑ってくれないけど。

「本当に見たいの?きっと軽蔑するよ、賭けてもいい」
「しない、とは、言い切れないけど。でも見せてもらわなきゃフェアじゃないでしょ。弱味を一方的に見せたようなものじゃない」

歳に比べて幼く見える拗ねた顔に、ぼくは芝居がかった仕草で諦めを表して見せる。
そんなに見たいなら見ればいい、暴けばいい。
誰にも見せたくはない、ことさら君にだけは絶対に見せることはできないと長大な手紙に書いて封じ込めたぼくのナマモノを。
こうして見せてしまえと一種ヤケになれるのも、あるいは歳のお陰なのかもしれない。
それに彼女の言う通り、『案外イケる』味わいになっているかもしれない。

なんて、そんなことありえないのに!
胸の内で嘲笑いながら渡されたばかりの汚物を開封もせずに彼女に返す。
そっと、至極大切なものでも贈るように。

「ぼくが埋めたのは初恋だよ」

名前ばかりは嘘のような美しさのそれは、きっと飲み込めすらしない酷い腐り方をしていることだろう。




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