エメットは、映画でもドラマでも、もっと言うなら本で読む物語だって、ベタベタなラブストーリーをこよなく愛していた。
けれど悲しいかなエメットという男は素で引くレベルの女好きかつメロメロボディの持ち主で、そんなベタなラブストーリーを愛しているだなんて素行と嗜好の温度差で風邪をひくレベルである。
そんな彼は、幾人かの恋人たちと映画をBGMに会話や行為を楽しむことを繰り返し、ひとつの客観的事実を学んだ。
「ボクに純愛って、笑っちゃう程不釣り合いなんだなーって」
「まあ、否定はしない」
「なまえは笑わなかったよ?」
「驚きの方がすごくて笑いも出なかっただけだけどね」
「ふふ、知ってる、あの時のなまえすっごい顔してたもん。だけど、うん、それでもボクは嬉しかったんだよねえ」
言葉の端々に好意を乗せてくるのは流石というか、呼吸するように女を口説く女の敵の面目躍如といったところだ。
いくらそれなりの年月エメットと清らかな友人関係を続けてきたとはいえ、私だって女だ、まったくときめかないわけではない。
私ったら甘い言葉で口説かれてる!と喜びに浸らないわけでもない。
それでもエメットは恋人にするには最悪の部類であり、友人にするには良すぎる相手だという認識が私を押し留めている。
内訳を出すならときめき1割、打算6割、残り3割が怒りである。
そう、この意外と大きな怒りの割合があるから告白を受けた後でもエメットと二人きりで映画鑑賞にしゃれこめる。
ずっと好きだった、なんて言われてもこちらからすれば不意打ちもいいところで、むしろこんなに良い関係をどうして壊そうとするのかという怒りがエメットの甘い言葉を聞く度にじりじりと腹の底でくすぶっている。
エメットに女として見られていないことが私にとっては優越を感じさせる大切なポイントで、お互いだらけきった姿勢のまま野次を飛ばして見る映画が好きだったのに。
エメットにとってこの関係はいつ消えるともしれない恋心の前には崩してもかまわないものだったということが、心底気に食わないのだ。
「それにしても、エメット最近趣味が変わったよね」
「女の?」
「映画のだよ張っ倒すぞ。これも、純愛は純愛みたいだけど、なんというか……」
大団円ウェルカム予定調和上等だったはずのエメットと今暗い部屋で2人して見ているのは、うん、言葉に迷うけど、つまるところ。
「………自己啓発?」
「違うよっ!主人公がヒロインと出会ったことで自分を見つめ直して生まれ変わって、そして見事ヒロインと結ばれてハッピーエンドな王道ラブストーリーだよ!」
開始30分、オチまで盛大にネタバレされた。
いやいや私はネタバレはそう気にしないタイプだ、軽く流そう。
エメットお前もうこの映画しっかり見終わってんじゃねえかという言葉も飲み込もう。
確かに画面の中では手負いの野生ポケモンみたいな目をした主人公が、可憐で清楚ででも気は強いヒロインと出会い恋に落ち、主人公がヒロインと自分の不釣り合いさに悩んでいる真っ最中だ。
エメットの言葉を借りるなら、この後自分を見つめ直して生まれ変わるのだろう。
そして無事結ばれもするんだろう、ハッピーエンド万歳。
それにしても、だ。
こういった王道ストーリーにはまったく似合わない程、セリフもナレーションも説教くさい。
『俺の向上心のなさが現状を招いたんだ。やればできる、いつかやってやる、そんな未来を担保にした言葉を言い訳に、挑戦すらしない!現状に甘んじて苦言を垂れるだけ!未来を見据えた自分への挑戦、それが今までの俺に足りなかったものだ!』
たった一コマのセリフでこれなのである。
長い、くどい、しつこいの三重苦だ。
お前はいったい誰に向けて演説を打ってるんだ主人公、そんな暇があるならヒロインにその十分の一でも言葉をかけろ。
「エメット、勘違いだったら恥ずかしいんだけど。もしかしてこれ、私、映画を使ってアピールされてる?」
「うん、アピールしてる。ボクもなまえが望めば変われるよ、って。もう他の女の子なんて見ないで、なまえだけを大切にする。………なまえが、好きだから」
本当に、エメットは「好き」という言葉を大切に吐くものだと思う。
まるでそれ以外に好意を伝える言葉を知らないかのように、熱烈な「愛している」なんて言葉じゃなく、子供のようにただただ「好きだ」とこぼすのだ。
これで爛れた交友関係を爽やかな顔で渡り歩いているんだから笑ってしまう。
もしくはこんな彼らしくない素振りも計算の内だと言うなら流石と言う他ないけれど。
いやしかし、私が気になったのはそこじゃない。
「あー…、私、エメットはもう少しスマートに口説いてると思ってた。この前あれだけの啖呵切ってたんだから、そりゃもう全力でスマートにモーションかけてくるんだと思ってた。どんなベタベタの映画だってこんな口説き方しないわ………」
数分前の私のささやかなときめきの方がまだ恋としての進展が期待できたくらいだ。
何なんだ、自分を映画に重ねてアピールするって、そのアプローチはどこで学んできたんだ。
ベタを通り越してとんちんかんなこのアプローチ方をエメットに授けた責任者は誰だ、責任者を呼べと叫びたい。
「だ、って。押し倒したらなまえはボクを軽蔑するし、下手なことしたら、また、二度と声もかけるなって、言うんでしょう。なまえにサイテーだって叱られるのは好きだけど、嫌われるのは、本当に怖いんだよ」
いつも勝気に吊り上がっていつだって真っすぐに対象を見つめる瞳が、所在なさげに揺れる。
ああ狂ってるなあと他人事に思った。
もしかしたら、本当にエメットは私のことを真剣に好きなのかもしれない。
インゴと、自分と、相手をしてくれる女の子と、それ以外。
そんな彼の世界を壊してまで、私が欲しいと思う程、真面目に恋をしているのかもしれない。
想像するだに寒気が走る。
何より身軽さと自由を愛してやまないエメットが、それを平然と捨てようとしているこの現状が恐ろしい。
そんな真人間なエメットを悪くない友人として持った覚えはない、とち狂っているとしか思えない。
異性として好きになってほしいなんて望んだ覚えはまったくない。
私の何を、どこを、こんなに好いてしまったのか理解不能だ。
だからと言って一体私のどこに恋をしたの?なんて聞くつもりは毛頭ないけれど。
「今の関係じゃ駄目なの?悪くない友人関係を築けてたと思ってたんだけど」
「………ダメじゃ、ないけど。嫌なんだ。なまえと手を握って、キスして、抱きしめて、それから、他の男の傍に行ったら浮気だ!って責める権利が欲しい。なまえはボクので、ボクはなまえのなんだって宣言できる関係が欲しい。友達のままじゃ、ボクはイヤだ」
一度告げてしまってタガが外れたのか、以前よりも随分と饒舌に思いを語ってくれる。
すぐ傍にある私の手をエメットの手が握ろうとして、戸惑うようにふらりとさまよい、元の場所にそっと戻っていく。
前回襲われると思って手酷く叩き付けた言葉を早々忘れることができずにいるらしい。
手を握るどころか肩を抱き合って身を寄せて映画を見てきた仲なのに、随分よそよそしく接してくれるものだ。
そもそもの原因はエメットにあるのに、何故か私が彼に酷いことをしてしまったような罪悪感を覚える。
考えようによっては、これもエメットなりのアピールのひとつなんだろう。
友達ではいたくないから、もう友達の時みたいに手を握らない、肩も抱かない、身も寄せない。
こういった姿は、いじらしいと言えばいじらしいのかもしれない。
「友達のままでいいなら、私から手を握るのに」
「う、あ、ダメ、誘惑しないで。ボク、男としてなまえに好きになって欲しいんだから」
行き場を失った手を見つめながら言えば、何やら葛藤があるらしいエメットからこれまたいじらしい答えが返ってくる。
大して興味もないその返事に、そう、と一言応じて視線を逸らした。
すっかり置き去りにされた画面を見やると、主人公はどうやらひとつの山場を越えたらしく、ヒロインを熱く抱きしめている。
やっぱり映画は良いものだ。
例えどんなにベタだろうと、B級と笑われようと、映画というものは素晴らしいと思う。
何より現実の立ち行かなさを忘れさせてくれるところが最高だ。
抱擁を緩め互いに微笑む映画の中の彼らを見て、ふっと浮かんだ羨ましいという言葉は、表まで浮上させることなく厳重に重りを付けて私の中の底の底まで沈めてしまおう。