わたくしは自分の気質が犬のそれにとても近いと感じていた。
大切なものは土の下に隠してしまう癖があり、命令があればどこまでも忠実になれる性格も、これと決めると一直線な性質も、時にヨーテリーのようだとクダリに笑われるほど近しいものをこの身に持っている。
なまえというただひとり従うべき相手を見付けてからは、特にこの気質は顕著になった。
彼女がわたくしの一途さに比例するように気の多い女性であったことが、むしろわたくしの忠実さを試しているかのようでより盲目的になっていった節すらある。
わたくしはなまえだけの賢い犬だと、そう思えることが誇らしくすらあった。
わたくしは彼女が他のどんな男の元へ行こうと構わなかった。
笑顔でその誰とも知れぬ男の話を聞かされても、関係の進展を嬉々として告げられても、一切、まったく、悋気など起こさなかったのだ。
だってそんなもの抱く必要はない。
なまえは必ずわたくしの元へ帰ってくださるのだから。
ふらりと舞い戻って、笑顔でいい子にしていたかと尋ねる。
それが彼女からわたくしへの「ただいま」の挨拶である。
またわたくしを愛する日々への帰還、その合図。
ああ、それに比べ彼女に束の間の気まぐれで愛を囁かれる男共の、何て哀れなこと!
「待て」すら出来ない駄犬だからこうも容易く捨てられるのだ!
なまえがわたくしの元へ戻る度、彼女の愛を一時だけ受けていた男共をそうして笑っていた。
わたくしは違う、いくらだって待てる。
ひたすら囁くこともできない愛をくすぶらせて、ただひとり愛するなまえからの愛情に飢えた腹を抱えて、いつまでもいつまでも待つことができる。
だって彼女は必ず帰ってくるのだから。
ライブキャスターにたった一言送られた「今日家に行く」という言葉にそっと鍵をかけながら、なまえをただただ待っていた半年を思う。
今回は少しばかり長かった方だ。
これまで最長で1年、最短で半月、彼女は何の挨拶もなくふらりとわたくしの元からいなくなってしまう。
わたくしは賢いなまえだけの犬だ、命令などなくても望む答えを用意できる。
彼女がわたくしに望む、「帰るまでいい子で待っていろ」という最適解を。
「おかえりなさいませ、なまえ」
「久しぶりね、ノボリ。いい子にしてた?」
「ええ、ええ。わたくし、貴女の帰りを、ずぅっといい子で待っていました。ノボリはいい子で待っていましたよ」
わたくしの答えに満足気に微笑んだ彼女がするりと伸ばし首へ巻き付く腕はどこまでも優しい。
まるでヨーテリーでも褒めるかのようなそれに思わず喉がくぅと鳴る。
わたくしの犬のような様を嘲るように彼女が笑った。
ああ、なまえがわたくしに向けて笑ってくださっている。
重要なことはそれだけで、大切なことは彼女のすべて、あらゆる感情と言動がわたくしへ向いているかいなか否か、それだけで良かった。
醜態をさらすことでなまえの笑顔を見られるのならこの上ない無様な姿を晒すことすらきっと平気だ。
「いい子、いい子ねノボリ。ご褒美をあげないと」
唇が触れるか触れないかという至近距離でうっそりと笑った彼女は、わたくしの前に褒美をぶら下げた。
「私が飽きるまで、愛を囁く権利をあげる。私を好きになって、恋して、愛してもいいわよ」
次の男の元へ行くまで、好意を向けることを許す。
そう告げられたわたくしの胸に浮かんだのは紛れもない狂喜だった。
「あ……っああ、あああ!ありがとうございます、好きです、愛しています。貴女が、なまえだけが、こんなにも、狂おしい程愛しい」
わたくしはなまえだけの賢い犬だ。
本当は愛を叫びながら彼女を引き裂いてわたくしの愛を知らしめたいけれど、今日も「好意を向けて良い」という許可されたそれだけを忠実に守る。
自由にして良いと一言命じられたなら、すぐさま大切に大切になまえを土の下に隠してしまうのに。
そうできたのならどれだけいいだろうと夢想しながら、彼女に向けることを許された「愛している」を鳴き声のようにひたすら囁いた。