片手に爪切りを持って、チョロネコでもあやすように空いた片手でちょいちょいと招かれる。
相変わらずの仏頂面だけが日曜の昼下がり的な平和要素をぶち壊していた。

「切ってやりますから、こちらに来なさい」
「い、いやです」

反射的に両手を背中に隠す仕草は我ながら子供じみている。
注射を怖がる幼児でもあるまいに。
私の目の前にあるのは注射なんかより遥かに恐ろしいものだけど。

インゴさんの手にあるのは爪切りでも、この人の手にかかれば爪切りだって十分な凶器に見えるし事実なり得る。
切ってやるって、それは私の指ですかそれとも手もろともですかって話だ。

大体インゴさんに器用な印象はあまりない。
それでいて人並み以上に力が強い印象だけはばっちりあるのだから、爪を切ってもらうだなんてそれはもう恐怖の拷問イベントでしかないのだ。
インゴさんの為なら両手ぐらい軽く差し出せるっていう猛者なら喜んで受けるといい。
私はごめんこうむりたい。

両手を背中に隠したまま動こうとしない私に焦れて、インゴさんがぽんぽんと両足の間に空けたスペースを叩く。
眉根がぎゅっと寄ってワタクシは今不機嫌ですよと全開でアピールしていた。

「セックスの度に毎回毎回人の背中で爪研ぎをしているから余程伸びた爪が気になるのだろうとワタクシ自ら気を回してやっているんでしょう。早く来なさい」
「それはすみません……。って、いや、そもそもインゴさんにはもう少し慎みを覚えてほしい言いますか、スローセックスを覚えていただきたいと言いますか。私の負担とインゴさんの背中は比例してると思っていただけたら幸いなんですけど」

必死にしがみ付いて爪を立てて意思表示しなければどこまでも手加減をしてくれないインゴさんにも確実に責任はある。
インゴさんとの行為は正に貪られるという表現がぴったりなものだった。
貪り合うんじゃない、私が一方的に捕食されるのだ。
私がしているのは骨まで食べられてしまわない為の自衛行為であり、つまりは正当防衛である。

「は、愛しい相手を全身全霊で愛すことの何が悪いのですか。愛想のない恋人が精一杯できる愛情表現をそう無下に扱うものではありませんよ、なまえ」

こんな時だけ無愛想を前面に押し出してくるんだから。
確かに以前少しは笑って見たらどうですかとちょっとしつこく突き回したことはあるけど。
少しポーカーフェイスが過ぎるだけで感情表現は十分にできる人だってことは知っている。

「インゴさん、セックス以外だって愛情表現してくれるじゃないですか。べったべたなセリフはもういいですって言ってもかけてきますし、スキンシップも欧米文化じゃ流せないくらい多いですよね。私はそれで十分ですよ」
「触れるのは愛しているのですから当然ではありませんか、ワタクシはお前の恋人ですよ。愛しいと思えば触れますし恋しいと思えば触れますし寂しくても触れますし怒っても触れます。ワタクシの喜怒哀楽すべてがなまえに触れる理由になる。お前に優しくするのも触れるのも、確かにワタクシの特権です。しかし恋人だけができる愛情表現といえば、やはり究極的にはセックスでしょう。心も体も許されているのだと思うと幸福感は他の比ではありません」
「だったらインゴさん、私がもうセックスはしませんって言ったら嫌いになるんですか。心も体も許されてないって」
「セックスを拒否されたくらいで嫌いになるわけがないでしょう。行為はあくまで愛情確認の手段の一つで……………話を逸らさないでくださいませんか」

さて問題です、私たちは今まで何回セックスと言ったでしょう。
若い女のくせに慎みがない?
「淑女の慎み」なんてそんなもの、ヨーテリーにでも食べさせておけばいい。
インゴさんと交渉する時のコツは恥じらいを捨てることなのだ。
少しでも恥ずかしがれば、そこからいいようにからかわれて話を逸らされはぐらかされるのは私の方である。

「いいから、もう爪を立てられないようにしてやるので来いと言っているんです」
「だから嫌ですってば!今のインゴさん、私の爪剥ぎそうですし」

爪を立てられないようにしてやるって、確実に恋人に向ける言葉遣いじゃない気がする。
それに私が嫌だ嫌だと逃げた所為でインゴさんの目つきもかなり剣呑なものになってるし。

「ほう、それではワタクシの背中がなまえの爪痕だらけになってもまったく良心が痛まないと」
「痛まないわけじゃないです、けど………それちょっとマーキングみたいでいいですね。インゴさんは私のものですーって公言してるみたいで」
「マーキングするまでもなく公言しているでしょう。お前はワタクシのもので、ワタクシはお前のもの。これまで散々自慢して回ってきたつもりですが」

解せぬとでも言いたげな顔をされてしまう。
ええ、いえ、まあ、そうなんですけど。
確かに恋人になってからインゴさんのアピールは露骨すぎるくらいにおおっぴらでしたけど。
初めて「これがワタクシの恋人です、いい女でしょう」なんて紹介された時は顔から火が出るなんてもんじゃなかった。
欧米文化怖いと心底震えあがったものである。

「大体、爪くらい自分で切れますから!これからは小まめに切ります、それでいいですね!」
「馬鹿ですかお前は。それではワタクシがなまえに触れる口実がひとつ減るでしょう」
「こっ、口実なんてなくても触るくせに!」

照れてない照れてない照れてない。
ここで照れたら負けだ爪を剥がれる指ごと切られる。
必死に頭の中で念じながらきゅんと乙女らしく跳ねた胸のときめきだか何だかを全力でなかったことにした。

「爪を切る度になまえに触れられるとワタクシが喜びます。ですから大人しく切られなさい」
「う、っぐ、い、いや、です。インゴさんとのスキンシップは嬉しいですけど、我が身の方が可愛いです」「誰も爪を剥ぐなんて言っていないでしょう、お前はワタクシをどんな不器用な人間だと思っているのですか」

そこまで不器用な人だとは思っていないけど、りんごを片手でジュースに変えられる人だとは思ってます。

「あくまでインゴさんは自分がやることにこだわるんですね………」
「恋人同士のスキンシップでしょう、受け入れなさい」

だからこれはスキンシップよりも拷問寄りだと何故この人は理解してくれないのか。
深爪するだけで結構なダメージを食うことを知っていてやっているんですかインゴさん。

かと言ってここでうだうだやっていると問答無用で抱え込まれてそれこそ拷問よろしく爪を切られかねない。

「………切るのは大丈夫ですから、爪やすり、お願いしてもいいですか」

何とか妥協案を捻り出すと、途端に顔色を明るく変えたインゴさんが爪切りを手放してソファーから立ち上がった。
それはそれは上機嫌なインゴさんからMy sweetieとベタベタに甘い囁きと一緒に頬にむちゅっと口付られる。

削られ過ぎてなくなりませんようにと祈るように両手を見つめた。





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