おやすみなさいのキスが好きだった。
お父様とお母様からそれぞれ左右のほっぺに送られる、ささやかな触れ合いが好きだった。
愛してると、わたしが大切だと教えてくれるような、1日の最後に受け取る愛情が好きだった。

だから、おやすみなさいと目を閉じるその最後に見るノボリがこの愛情溢れる挨拶をしてくれないことは、わたしとすればごく当たり前の不思議だったのだ。

「ノボリ、ノボリはおやすみなさいのキスしてくれないの?」

ベッドに潜ってノボリの顔を見上げながら、少しばかり目を見開いた彼に続けて聞いた。

「おとうさまがね、家族の挨拶だって言ってたの。ノボリは家族でしょう?キスしてくれないの?」
「……………はしたないですよ、お嬢様」

何がはしたないのかよくわからず、口元を片手で覆いそっぽを向いてしまったノボリを不満を込めてじとりと睨みつける。
ノボリは気まずそうに視線をあちこちに泳がせて、ごまかすようにこほんと咳払いをひとつしてからお説教をする時みたいに厳しい顔をして見せた。

「旦那様はご家族の挨拶だと仰られたのでしょう。それを家族でない者に求めるのは、約束違反ですしはしたないですよ」
「ノボリは家族だもん。いはんしてない」
「いいえ、わたくしは家族ではありません。お嬢様におお仕えしている執事でございます」

家族という言葉を否定されて、ますます不満を募らせたわたしは躍起になって反論した。
ノボリはお父様たちと同じ大事な人で、それを否定されるのは悲しかった。

「違わない!ノボリは家族なの!」
「………お嬢様は、今横になっているベッドを家族だと思いますか」
「え?これは、ベッドでしょう?ベッドはベッドだよ。大事だけど、家族とは違う」
「わたくしはそのベッドと同じです。執事は執事。そもそも家族にはなり得ないものなのです」

わからなかった。
ノボリの言うことは時々わたしには難しい。

ベッドとノボリが同じなんて、そんなことあるはずないのに。
ノボリの口から真面目な顔で、これが正しいのだと諭されてしまえば、どんな言葉でも真実に思えてしまう。

「そう、なの?ノボリ、家族じゃないの?」
「そうです。家族ではありません。お嬢様が健やかな日々をお送りする手助けをさせていただく、執事というものです」
「じゃあ、キスしてくれないの?わたしね、おやすみなさいのキス好きで、ノボリにもしてほしいって」
「いけませんよお嬢様。旦那様から家族の挨拶だと教わったのでしょう?」

家族じゃないから駄目だと、頑なにノボリは拒んできた。
堪えていた涙が零れても、慌てて涙を拭ってくれるだけで待っていた感触は降ってこなかった。

「わっ、わたしからするのも、駄目なの?ノボリに、わたしがキスするのも駄目?」
「あ、なっそ、っれは!………いけま、せん。おやすみなさいのキスは、するのもされるのも、家族だけです」

またそっぽを向いてしまったノボリが、明日に障るからもう寝なさいと大きな手でわたしの視界を覆う。
その手の上から、かすかにおやすみなさいのキスのような音が聞こえた気がしたけど、多分、きっと、わたしの気のせいだ。





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