「ナツキさんは、私に触りたいと思いますか?」

何気なく思いついたので口に出して見ましたというような軽さで差し向けられた言葉に、確かに一瞬心臓が止まった。
今紅茶を飲んでいたら確実に咽ていた自信があると下しかけていたカップへ視線を落とす。

あの変人、もとい廃人のボスであるサブウェイマスターの傍にいる所為か、なまえは時折突拍子もないことを平然と言いだすことがある。
ライブキャスターを鳴らす時は大抵トラブルと共に突拍子のない言葉を運んでくるが、こうして珍しく穏やかな時間を楽しんでいる時に人の心臓を急停止させるのはやめろと言いたい。
なまえの発言は呆れを全面に押し出せるものであったり、大いに反応に困るものであったり、その意味を測りかねるものであったりと様々だが、真っ先に考えることはいつも同じだ。
何言ってんだ、こいつ。

「……………お前な、少しはTPOを考えて物言えよ」

たっぷりと間を置いてから、盛大なため息を何とか飲み込みできるだけ遠回しにこいつの発言が如何に不用意かを告げた。
その意味が正確に通じなかったらしく、ご機嫌でケーキをつついていた顔が途端不機嫌に変わる。

「何ですかTPO考えろって失礼な。人を非常識みたいに」
「非常識だから言ってるんだろ。いいからTPO考えてみろ、ほれTは」
「Tはタイム、だから、時、ですよね?」
「なまえって、そんなに頭悪かったか?」
「それは間違いなく失礼ですよ私に対して!!」

突然意思疎通が困難になった相手に向けて頭が悪いと言って何がいけないんだ。
俺が言いたかったのはTPOを説明しろって意味じゃない。

「T、夕方に差し掛かろうって時間に。P、異性の友人、つまりおれの部屋で。O、2人きりだ。それを踏まえてもう1回さっきの言葉言ってみろ」
「ナツキさんは、私に触りたいと、思いますか?」
「俺以外にそれ言ったら、襲われても文句言えないからな」

そこまで言えば流石に理解したのか、音が出そうな勢いで顔を赤く染めたなまえを鼻で笑い飛ばす。
やっぱり何も考えずに言ってたのかこいつは、一瞬でも妙な感覚を覚えた俺に謝れ。

「だ、だってクダリさんが!男の子なら息をするのと同じように目の前の女の子に触りたいと思うものだって言ってて!ナツキさんもそうなのかなって、ちょっと気になったんです!それだけです!変な意味はありません!」
「あの人達に毒されて色んな間隔麻痺してんじゃないのかお前」

いくら気になったからって妙な気を持たせるようなこと平気で聞くか普通。
しかもいくら最強の保護者っていうシールドがあるにしたって、2人きりの恋人でもない男の部屋でだ。
俺が女なら間違っても口にしない。

「麻痺はしてませんよ。身の危険を感じたのでノボリさんたちには聞きませんでしたし」
「ああ、そこは理解してるのか」
「あの2人は日頃から色気を無駄に振りまいてくるので嫌でも理解しますって」

振りまいていると言うか、漂っていると言うか。
同性だからだろうか、あれは色気というよりもいい男オーラみたいな、清潔感に満ちたもののように思う。
下手すると男でも引き寄せかねないあの独特な雰囲気に、現実を知るまでは憧れもしたものだった。
あれが今では真っ直ぐになまえへと向けられているのかと思うと、それは確かに危機感も覚えるだろう。

「でもやっぱり、私クダリさんに騙されたってことですよね。そうそう触りたいなんて思うもんじゃありませんよね普通」

何かを思い出したのか思い切り恨みがましい顔をしながら、再びケーキをつつきだす。
セクハラでもされて男だったら普通のことなんだよとでも言われたんだろうか。
そう外れてはいない予感がして背筋に寒気が走った。
あの2人にでたらめ吹き込まれながら生活しているなまえが毒されて世間ずれするのも仕方がないのかもしれない。

と同時に、これはいつもからかってくるなまえをいじめてやれる珍しい機会かもしれないと悪戯心が沸きあがってきた。
不自然に上がりそうになる口角を必死に堪え、できるだけ平然とした顔を取り繕う。
たまにはこいつも慌てふためけばいい。

「なんで騙されたって言い切れるんだ?」
「え?だって、ナツキさんは、別に触りたいなんて、思わないんです、よね?」
「誰も思わないなんて言ってないぞ。俺は優しいから、なまえが触られることすら許すほど俺に慣れるのを待ってるだけ。かもしれないだろ」
「いや、え、またまた、ナツキさんは………」
「忘れてるかもしれないけど、俺もあの2人と同じ男だからな」

じっと目を見つめながらとどめとばかりに釘を刺すと、やっと元に戻った顔色がまたあっという間に赤く染まる。
泣きそうな顔をしながら視線をあちらこちらに泳がせて、今にも羞恥で涙腺が崩壊しそうだ。
そのくせ逃げる素振りはまったく見せない。
さっきあれだけ注意してやったのに、なまえはやっぱりどこか男に対する危機感がずれている。
それとも、それだけ俺に心を許している証拠なんだろうか。

なんだ、こうして見ると案外こいつも。

「……………そういう顔は、恐ろしい保護者持ちじゃない女子専用だ。安心しろ、あの2人がいる限りお前に触りたいと思う男は出てこない。俺も含めて」
「な……っんですか、それ!ナツキさんのくせにからかいましたね!?」
「触った後にその手を切断されるかもしれないリスク背負ってまでなまえに触ろうと思う勇者はいないだろうが」
「いくらノボリさんでも流石に手を切ったりしませんよ!……………多分」
「おい最後に怖い言葉を付け加えるな」

一歩間違えば切断されていたかもしれない右手を、そっとテーブルの陰で握りしめた。
触れただけで切られてしまうなら、正面切って「可愛い」なんて告げた日には喉をずたずたに裂かれかねない。
不用意に触れたいだとか、甘い言葉をかけたいだなんて思うもんじゃない。

なまえの手を引くことが許されているだけで十分だ。





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