気付けばまたこの日がやってきた。突き刺すような空気の冷たさに首を竦めて、マフラーに口元を隠しながらオレンジの光の先を眺めた。毎年流れるように訪れるこの日も、あの年だけは温かかったのを今でも覚えてる。


あれは確か、喧嘩をして出来た静雄の生傷をいつものように保健室で手当てしてあげていたなんでもない一日。初めて静雄と会ったのもその保健室だった。保健委員に入っていたわたしは先生の会議中や一人でゆっくりしたい時などよく顔を出していたのだけど、そんなときに静雄が倒れ込むようにして扉を開けたのが始まり。初めは噂に聞いていた平和島静雄の印象があったので恐る恐る彼に触れていた気がする。でも何度もここを訪れるうちに彼は心を開いてくれたのか、思わぬ一面を見せてくれた。そしてその度にわたしの心にあたたかい感情が生まれては積み重なっていった。
楽しかった。大した怪我でもないのにやってくる静雄に少しだけ期待もした。いつもいつも折原というもう一人の問題児の愚痴ばかりだったけど、わたしはそれでも彼の話を聞くことが好きだった。そして彼も、わたしと話しているのが楽しいのかよく笑ってくれていた。

そんな静雄がいつもより神妙な面持ちで話しかけてきたのだから、その表情は今になっても鮮明だった。
「先輩、俺、」
「どしたの?」
「…や。あの、今日…なんすけど、空いてますか?」
「うん。でもなんで?」
「ちょっと、付き合ってほしいんすけど」

日頃の世話になってるお礼にと連れて行かれたのは、出来たばかりの小洒落たカフェだった。ここのケーキが美味いらしいんす、そう言う静雄の表情はまるで無邪気な子供のようだった。なるほどいくら甘い物好きと言えどもこの子が一人で来ることは出来ないなと店内を見渡して思った。女性客が席を埋める中、わたしは少しだけ照れくさくなってケーキを頬張っていたのを覚えている。周りはわたしたちをどう見ているだろうとか、静雄の微笑ましい笑顔とか、わたしの熱を上げる要因がたくさん詰まっていて落ち着かなかった。

「マジでありがとうございました」
「いいのに、お礼なんて」
「や、いつかしておきたいってずっと思ってたんす。名前先輩もうすぐ卒業だし」
「そだね。寂しい?」
「…まあそれなりに」
「なんだ、それなりかあ」
「それなり、っす」
「はは、二度も言わなくていいよ」
「でも、今日できてよかったっす。まあ、俺の自己満足みたいになってますけど」
「自己満足?そんなことないよ。わたしも嬉しかったよ?」
「…っす」
静雄が急に黙ったのでちらと見たら少しだけ頬が赤かった。夕日のせいかなとも思ったけど、今思えばあの時静雄は照れていたんだ。
落ちかけた夕日の中を二人で歩いた。その帰り道でも静雄の声はしどろもどろといった感じで可愛らしかった。そう言えば、二人で出掛けたのはあの日が最初で最後だった。

「名前先輩」
不意に呼ばれた名前に振り返る前に腕を引かれた。背中に感じたのは風の冷たさではなく暖かい彼の体温。突然どうしてこうなっているのかもわからない状況で、彼が震えてるのを感じて言葉が出てこなかった。
「…寒いんで、少しだけ分けてください」
静雄は嘘つきだった。静雄の方が遥かにあたたかいのに。静雄に比べたらわたしの体温なんて冷たいのに。でも、一気に全身を廻る熱が静雄に気付かれるんじゃないかと思った。それが怖くて名前を呼ぶと、びくりとした身体がわたしから離れた。何度も何度も、謝られた。嬉しかったのにそれに気付かず頭を下げる静雄を見て苦笑した。

けれど、それからは何事もなかったかのように毎日が過ぎて、わたしがあの時のことを静雄に問いただす暇さえもなく、ただもどかしい関係が続いた。そしてあの日が静雄の誕生日だったことをわたしが知ったのは卒業式が目前まで迫ってきていた時のことだった。
あの時静雄が言いかけたのはこのことで、静雄が言ったお礼や自己満足だと言ったわけも、寒いからと抱き締めてきたことにも、全部に意味があったのだと知る。あの日は静雄にとってはなんでもない一日ではなく、特別な一日だったのだ。けれど、静雄の口からその思いが言葉になることはなかった。どうしてか静雄はそれで満足していたのだろう。そんな静雄に、わたしはおめでとうも言うことができなかった。今更というのもあったし、静雄なりの考えがあってのことだと思ったからぶり返すようなことはできなかった。

きっとわたしたちは気持ちが通じ合っていた。手を伸ばせば簡単に掴める距離にあった。それは静雄のくれる視線や声色が伝えていた。それでも、わたしも静雄も一歩踏み出せなかったのはわたしがもういなくなってしまうからなのか、理由はわからなかった。


今思えば、あの時彼に勇気を出しておめでとうとたった一言伝えていたら、今日ももしかしたら二人で過ごしていたかもしれない。街のざわめきにこの言葉が消えることもなかったかもしれない。そう思いながらもわたしは、おめでとうと口を動かした。何故か胸が熱くなった。何年も閉まっていたはずの思いが飛び出してくるように、全身が静雄との思い出に満たされて、まるでそれが過去ではなく、わたしを見かけて手を振る人の姿でさえ、他人のように思えた。けれど、これが今のわたしの現実。静雄のいない、わたしの人生。



「静雄、お前今日誕生日だったよな」
「ああ、そう言えばそっすね」
「飯奢ってやるよ、っていつもと大して変わんねえけど」
「あざす」
「そうだ、あの店行ってみっか?通る度見てるあの、なんつったっけ。まあむさ苦しい男二人で行くのは相当浮くけど」
「や、あそこは流石に」
「はは、だよな。んじゃあサイモンのとこでも行くべ」
「……そっすね」



今のわたしにとっては、今日はなんでもない日。目の前で微笑む彼にもまた、なんでもない日。でも、

「ねえ、甘いの食べに行かない?」

あの時のわたしと静雄にとっては、それはそれは特別な、不器用に過ぎてしまった1月28日。

130128
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