【願求環】 1始.願望は欲求、要求は悲願、願い求めて彼らは環る、その先に何があろうとも。 俺は自分より低い位置にある頭を見詰める。 彼が何を考え、何に苦しみ、何を見てきたのか。 その目で、その眼で、その珠で。緊張した空気、冷えた粒子が四方八方からぶつかってくるような空間で、これから彼は裁かれるのだ。捌かれるのだ……数多の不躾な、乱暴な、無知な、卑怯な、臆病な、手によって。そうだ。 彼の方が、よっぽど勇敢に違いない。彼はただ、愛する人を、愛する人の望みに則って、愛する為に愛したのだから。 何が間違っていると言うのだろう? その行為が? その精神が? その過程が? その結果が? その思考が? その志向が? その嗜好が? 間違っていたのならば、それは本当に彼だけなのだろうか? 何故彼だけが裁かれなければならないのか? この、物好き共の環の中心で。 俺は顔を上げた。 正面には、彼の愛した人がいる。 彼の愛する人がいる。 その人はただ、にやにやと笑って、俺を見、彼を見た。鱈腹贅沢をして重い腹を携えて、重石のような体になった猿のようだ。 てっぺんで、ただ、見物している。 その様子を苦々しく思いながら、俺は再び彼を見下ろした。彼は落ち着いて、ただ愛する人を見詰めている。その視線だけで焦げ付きそうなのに。 その相手は、雹のような空気しか吐かない。 「ヤマトさんは……」 小さな声。芯の通った、透き通るような声だ。視線を固定したまま、俺に囁く。 「あちらに行かなくて、いいんですか」 ただの疑問というより、確信を持った口調。俺は微かに笑った。 自然と顔の力が抜けたのだ。なんてこの子はしっかりしているのだろう。 うん、そうだね。なんだかんだ言ったって、どうしたって、俺もあちらの人間なんだ。 「うん。……もう少し」 だけど君の側に、もう少しだけ居たい。 これから君は俺の知らないところに行くだろう。 俺はそれなりに、君に思い入れがあるから、少しの間、お別れをする時間が欲しい。 強い芯を持っているけれど、だから、君は脆くて壊れやすい。 「……椿を、宜しく頼みます」 「勿論」 さようならは要らない。またねも要らない。 俺はごく軽い力で、彼の腰のあたりを叩いた。 それが合図になった。 (8/20) 前へ* 目次 #次へ栞を挟む |