【願求環】2終ノ始. ガン、と大理石を金属のハンマーで打つような音がして、それまで吹雪のようだった空気が、ピシリと凍りついた。 「始めようじゃないか」 “当主”はいつも通りにやりと笑った。 俺は下腹部に軽く鋭い痛みを覚え、思わず手を当てた。 恋人がこの場に居たなら、こんな事は出来ないが。 俺の隣に佇んでいた彼が、一歩進む。美しい姿勢だ。光る白髪が柔らかく揺れた。 「罪人は」 ゆっくりと、内臓を挽き潰すように、ゆっくりと、その言葉が発せられる。 「罪人は、己の罪を述べよ」 にやにやしやがってーー俺は下腹部を強く掴んだ。 俺のざわつきとは裏腹に、彼は背筋を伸ばして涼しげに、高らかに謳い始める。 「わたくしの罪は」 凛とした声が、氷の塊にあたって響くような心地。 彼はきっと、その姿勢と同じように真っ直ぐに、愛する人に視線を向けているのだろう。 「あなたを愛し」 彼が僅かに、左手で服の裾を擦ったのが見えた。 「あなたに愛されたことです」 言い終わるか終わらないかのところで、右側から小さな悲鳴があがる。 すかさず俺はその方の側に行き、肩を抱く。後頭部に突き刺さるような視線。 「椿嬢、俺に掴まっていて下さい」 耳元で囁くと、その方は強く目を瞑り、一筋の汗を流して、俺の腕を頼りに体勢を立て直した。唇が震えている。 その震えが氷の空気を振動させている。気付いているのは俺だけなんだろう。 その方はほんの数秒間俺の袖を強く掴み、ふっと緩めた。 「大丈夫よ、ヤマト。離して。ちゃんと見たいの」 俺は黙って、小さな肩から手を離す。多少乱れた着物を直して、姿勢を正す。 次の、この家の長になるであろうことを自覚している所作だ。 いつの間にか彼がこちらを見ていた。 俺は目で、大丈夫と言う。すると彼の視線は再び愛する人に向かう。 それを眺めながら俺は、視界の端で、まだあどけない顔に一瞬だけ影が差したのを認めた。 裁判は続く。 彼の高らかな声は弱ることなく、自分の罪を連ねた。 「わたくしはあなたを犯しました」 彼の声は、その姿勢とその視線と、同じように真っ直ぐに、愛する人へ届いている筈なのに。 「それは確かだな?」 愛される人はぐにゃりと身を捩って、声も視線も躱してしまう。 「確かです」 彼の声が追う。 「詳細を述べよ」 愛される人が躱す。 「わたくしはわたくしの3本の指を以ってあなたの眼球を掬い出しました。わたくしはわたくしの性器を以ってあなたの眼窩を犯しました」 彼が手を伸ばす。 「その時の心情を述べよ」 愛される人が躱す。 「幸福でした」 まるでいたちごっこだーー。 「それは合意の上だったか?」 「合意の上でした」 「それは性交渉と言えるか?」 「少なくともあの瞬間は性交渉をしていました」 「それは×か?」 「はい、それは×です」 きっと誰にも聞き取れなかっただろう。 このふたりにはあまりにもそぐわない言葉だったから。 「許されると思っているか?」 「許されないことをしました」 「それでも×だと言い切るのか?」 「それでも×しています」 「自分も×されていると思うか?」 「少なくともあの瞬間は×し合っていました」 「自分も×されていると?」 「思いました」 「今は×されていないとしても?」 「わたくしは×しています」 心から、と、そっと唇が動いた。 ガン、と再び打ち鳴らされ、“当主”がにやにや笑いながら宣言した。 「罰が決まった。この罪人への罰は、 (9/20) 前へ* 目次 #次へ栞を挟む |