僕の嫌いなこと。生産性のないこと。
どんなに時間をかけても何も生み出すことのできない行為のこと。
じゃあ今していることは何を生み出しているのだろうか?
それを問われたとしても僕は何も答えることができないだろう。ただ、呼吸をするようにそれを繰り返すだけだ。もしかしたら、これが人間的に正しい行動なのかもしれない。異端のように扱われているけれども、みんな隠しているだけで全員思春期には通った道筋なのかもしれない。ちゃんとデータを取らないと誰にもわからないことじゃないか。そしてデータをとったところでそれに信憑性があるかといえばきっとそうではない。
誰だって隠していたいのだ、自分を。そんな簡単に見せびらかしたくないのだ。だって、自分と言う切り札は一つしか持っていないのだから。だから僕のこの行為は生産性うんぬんというよりは生物種における一つの呼吸と同じ役割を果たしている可能性も一概に否定できないのだ。
つぷ、ぷ、っ、つぅ、
僕と言うものを塞ぎこんでいる外側のハリボテが切り裂かれていく。裂かれて、溢れ出す僕を構成する中身。ごぽごぽと、そこにあるのは地獄のような未知のものかと思えばただただぱっくりと開いているだけ。それでも真っ赤に零れる僕はまるで僕から切り離されたことを悲しむように腕に絡みつくのだ。開かれた皮膚から流れ出したのは果たして血液だけなのだろうか。
こんなものですっきりしたり、苛々や鬱々とした気分が晴れるなんて僕は思っていない。むしろ全く違うものだ。外部から受けた僕以外のすべてを流してしまえばいいと思っている。今まで愛した人も、愛された人も、僕を抱いたすべての人を忘れてしまえ、と思いながら今日も僕は僕の中からその記憶だけが流れていけばいいと思うのだ。だからこんなにも赤は綺麗で、輝いていて僕の涙腺をゆるませるのだろう。
愛が、愛が、愛が、
こんなにも綺麗なものだなんて、信じられないのだ。
どうして、どうして、どうして?
僕は愛を受け取ることも、愛を渡すこともできるけれども、僕にはそれを僕以外のものとして新たなものを作り上げることはできないのだ。どろどろと注がれた熱量と何億もの命は今日も僕の太ももを伝って干からびて死ぬか、溺死して死ぬかどちらか。僕にはその悲鳴がきこえるような気がするのだ。僕は愛を受けることはできても命を受けることはできないというのに、そんな僕を責めたてる泣き声がいつだって僕から離れてくれない。僕じゃない誰かに向けられていれば今頃こうはならなかっただろうに。
ごめんね、とつぶやいても彼らが僕を許してくれることはないのだろう。だからこうして受け取った愛もすべて水泡に帰してしまえばいいと思う。受け取った愛も殺してしまえ。飽和した愛で首を絞められるよりは、愛と言う毒に蝕まれるよりはまだましだ。だから、この行為は何も生み出さない。けれど、やらないと生きていけない。僕が僕であるために、紛れもなく僕が僕でしかないように、余分なものは流してしまわないと。
今日も僕を塞ぐ皮膚は僕を逃がさないようにしっかりと細胞を増やして傷を縫合する。一度開かれた扉はしっかりと白い涙の痕のように刻まれて残っていく。何本目?そんなものはわからない。血管を分断して橋のようになったその痕に僕はキスをした。当たり前のように何の味もしない。僕を塞ぐ白線がいつになれば増加することを止められるのか、僕にはわからない。
僕以外の異物を異物と思わなくなるまで、
きっと、ずっと、僕はこれをやめられない。