鏡は案外脆い。だから、こうしてこんなことが起こっているのだ。僕は彼のなんだったか。彼のための僕なんていなかったはずなのだ。彼は僕がいなくても生きていけるし僕だって同じだ。何がいけなかった?たぶん、出会ってしまったことが間違いだった。僕はきちんと彼との関係を定義するべきだった。言葉にするべきだった。しかし誰が思おう、おじさんが僕に転移を起こすなんて、さ。
「こんなことして、満足?」
僕は問いかけた。けれど答えはない。きっとそういう類いのものではないのだ。おじさんは僕が恐ろしくてしょうがないのだろう。そんなに恐ろしいなら殺してしまえ、殺すことができないのなら愛してしまえ。そんな単純な思考の元に行われているのだろう。おじさんは僕を殺せない。僕はおじさんを殺せるけれどおじさんはできないんだ。なんでだろうね。僕の体格を考えれば簡単に首を絞めてしまえるだろうに。どうしてだろうね。僕とて殺されたくはないからそれを言葉にすることはなかった。しかし聞いてみればきっとおじさんは自分の行為を正当化するために「なにを言っているんだ、俺はお前のことを愛していると言うのに」なんて答えるんだろう。馬鹿みたいだ。僕は真っ黒な視界の中でそう思った。ここがどこか?そんなの僕が聞きたい。僕はおじさんに拉致されたんだ。気づいたらもう僕の目に世界はない。おじさんに僕の目を潰す勇気なんてないから、目隠しされているだけだけど。どうしておじさんはこんなに僕に攻撃することができないんだろう。こんなに丁寧な扱いを受けると僕も戸惑っちゃうね。おじさんに好かれているつもりは全くなかったのだ。だからこんな壊れ物を扱うようにされると困ってしまう。いや、実際おじさんは僕のことなんか好きじゃなかったんだろう。ただ、おじさんの本質を初めて映し出した鏡が僕だったから、僕に執着せざるを得なかった。当たり前のことだった。条件反射のようにおじさんは僕に焦がれている。本当に、吐き気がする愛だ。
「餓鬼」
「はぁい………おじさん。」
「おれは、おれ、は、お前を、どうすればいい?わからないんだ、」
「僕に聞かないでよ、おじさん。僕に責任を求めないでよ、おじさんはおじさんがやりたくて僕をこうしているんだ、」
そこで僕は口を塞がれた。最初からそうすればいいのに。やることは決まってるんでしょう。そうやってすべて僕のせいにすればいいじゃない。弱い大人。ヘドが出る。お酒の臭いが強い。僕まだ未成年なんだけどなぁ、飲酒は犯罪なんだけどなぁ。くらくらしちゃうよ、なんちゃって。キスくらいで僕がへばると思ったら大違い。おじさん、おじさんが初めて僕に映されたとしてもね、僕はおじさんだけの鏡じゃないんだよ。おじさんは僕に映された一人にすぎない。思い上がらないでよ。僕にはおじさんだけじゃない。おじさんだって僕だけじゃないでしょ。はやいとこ解放してくれないかな。自分に夢見るの、そろそろやめなよ。僕の体はぐ、と持ち上げられる。
「っ、ン、は、あぁ、」
「朱織、」
「なま、え、呼ばないでよ、気持ち悪い………」
「おれは、」
全部おれ、オレ、俺って。自分本意にもほどがある。そうやって僕にすべてをぶつければ僕の世界がおじさんしか映さなくなると思っているのだろうか。見くびらないでほしい。僕の世界は広いんだ。おじさん一人で満足できるはずがないでしょう。僕の知識欲、おじさんが満たせるの?そうやって子供みたいにいたいくせに、体は大人だからってこうやって力任せに全部解決しようとするんだ。汚い、酷い、それでも。おじさんのことは大嫌いだけど、おじさんのことを憎むことはきっとできない。僕は彼の鏡だから。反対側だから。見て見ぬふりはできないのだ。おじさんは今日も僕に愛と偽って欲望を押し入れる。僕は無感情にそれを受け入れた。嘲笑いながら。
「おれは、おまえに、あいされたいのか?」
「さぁ。僕は貴方を愛せない。」
「じゃあ、ころされたいのか?」
「さぁ。僕は貴方を殺せはする。」
「じゃあーー」
おじさんは僕の目隠しを外す。僕の視界に久々に光が差し込んだ。ちかちかしてしばらく目が慣れない。先に異変に気づいたのは鼻だった。アルコールの臭い、あまりにも強すぎないか?そして床がびしょびしょに濡れていることに気づいた。そのとき彼は床に火種を落としていた。暑い。僕とおじさんを炎が包んでいく。なんだ、おじさん。僕の思っていたよりは大人だったんだ。夢から覚めてたんじゃないか。自分に踏ん切り、ついてたんじゃないか。そしたら自分なんてどうでもよくなるもんね。火が回るまで僕もおじさんも声を出さなかった。ただじっとお互いを見つめていた。僕の目には赤色とおじさんが映る。きっとおじさんもそうだ。皮膚が焼けるような音がしてきたところでどちらからとも言えずに言葉を発した。
「おじさん」
「餓鬼」
「嫌いじゃなかったよ」
「愛してなんかいなかった」
パリン。