「あっ……! 悠君!」

 え?

 と、皆が振り返ると南木瀬奈(みなき せな)が立っていた。
 彼女は宏と同じく付き合いが長い、所謂幼馴染ってやつだ。
 彼女はふんわりとしたピンクブラウンの髪が邪魔らしく今日は耳にかけている。珍しい。もう夏だし、暑いのもあるのだろう。
 彼女がいつからいたのかと思い返す。
 随分前から自分達の会話を聞いていた気もする。
 彼女の事だからタイミングを見計らって声をかけたのだろう。
 彼女の控え目の赤みがかったブラウンの瞳と視線が交わる。
 俺に用があるのは明確だ。

「どうした?」
「国語科の鉋(かんな)先生、悠君の事す  っごい探してたよ! 『桜川知らないか? あいつ、また男子寮の大浴場の掃除さぼって』ってとても困ってたよ?」

「悠……またそんな事やってたんだ……」

 呆れ口調の宏。
 南木が忙しく喋るという事は焦っている証拠だ。少しハの字になってしまった眉からも困っている事が分かる。

 その様子の南木(みなき)を見て、宏は、わざとらしく、うわぁという顔をして、俺に向かってげんなりとしている素振りを見せた。

 これには、きっと南木を困らせるなという警告も含まれている。

「大丈夫、大丈夫! だって鉋先生だろ!?」

 ガラッ。

 俺がそれを言った瞬間、音を立ててドアが開いた。
 鉋先生が見た事もないようなにこやかな笑みを浮かべ、教室に入って来た。

「か……鉋先生!?」
「見つけたぞ? 桜川、今日いう今日は掃除をやってもうらうぞ! 本当は僕もこんなふうに無理矢理やらせたくないけど、この区域の掃除監督になった以上そういうわけにはいかないんだ。わかるかい?」


 くどくど鉋先生の説教が始まる。
 めったに怒らない彼がここまで言うって事は余程だったのだろう。

 今、彼が怒っている男子寮の大浴場の掃除とは。

 俺達が通う凰葉(おうは)学園は全寮制で、毎年エリートを送り出しているマンモス校でもある。という事は、男子寮の大浴場は、この学園の設備が何処よりも整っているのもあるが、死ぬ程広い。そりゃあもう気が狂いそうになるぐらい。
 よって誰もやりたがらない。

 皆、月に一度させられるか、させられないか程度なのに俺は何故か、毎週やらされている。

 悪意があるとしか思えない。
 前々から雪里先生の仕業だと俺は思っている。

 遅刻ギリギリで送る毎日の制裁とでも思っているのだろうか。
 実際どうなのか分からないが、こうやって温厚な鉋先生がわざわざ出向くという事は、先生は先生の方で今日、俺とぶつかって腹を立てた雪里先生に何か言われたのかもしれない。

 生徒指導の雪里先生の事だ。目ざとく俺のような生徒はチェックしているのは違いないと思う。

 もしこれが本当に雪里先生の差し金だとしたら、だいぶ嫌な先生だなあ。

 ふつりと彼に対して色々思っていることが浮上して来たが、無理矢理押し戻して、

 鉋先生のことを考えてみた。

 確かにそれを担当している鉋先生の身からしたら迷惑なのも事実なわけで。鉋先生は鉋先生で他の先生にやりたくもない男子寮の大浴場掃除監督を押し付けられてしまっているのは目に見て分かる。
 それは純粋に少し可哀想だなと思う。

 でも、それとこれとは別で。これは、言い訳だが、俺はその割に合わない分、ただ掃除しなかったわけで。皆がやるであろう、月に一、二回程度、いやそれ以上は間違いなく掃除をやっている。

 そして、南木は南木で俺とよく話しているというしょうもない理由で鉋先生に捕まってしまい、彼の溜め込んでいた鬱散を吐き散らかされたのだろう。いい迷惑だ。

 彼女の事だからそれを聞かされた事に腹を立てる事もなく、うんうんと静かに聞いていたに違いない。
 そして、今までに見た事ないぐらい怒っている先生を見てびっくりして、俺のことを心配して、伝えに来てくれたのだろう。

 南木にも、とても悪いことをしてしまった……。

「鉋先生こわっ……」
「つくづく悠って、運わるいよね」

 机に行儀悪く腰掛けている進と、その隣にいる宏が、グダグダと鉋先生に怒られている俺を見て、聞こえないように何やら会話をしている。

 聞こえてますけど!?

 敢えてなのかもしれない。
 俺は“五月蝿い”と、瞳で訴えておいた。

 鉋先生の長ったらしい説教が終わったかと思うと、そのまま俺はズルズルと鉋先生に引き摺られて男子寮の大浴場まで連れて行かれた。



「悠君、連れていかれちゃった……」

 と南木の心配そうな声。
 南木が不安そうな顔をしているのを見て、僕は、

「大丈夫だよ、いつもの事……」

 連れていかれてしまった悠に対して内心呆れながら、南木を宥める言葉を吐いた。

「あいつ馬鹿だよな、先に寮に戻っとこうぜ」
「そうだな」

 馬鹿だと進には、言われたくないよなあ。
 進の言葉でわらわらと皆が、自身の寮部屋に戻り始めている。皆の背中を見送りながら、南木の方を見た。

 何やら少しそわついているようだ。

 なので、僕は

「今日さ、悠、お疲れだろうからジュースでも買っといてあげようか」
「うん!」

 と、声をかけてみた。
 南木がふわっと嬉しそうに笑う。
 世界がその微笑みで先程よりも澄み、輝きを増したかのように思える。

 それが、僕はとても苦手だ。

 でも、だからと言って、南木の事は別に嫌いではない。長い付き合いであるし、よく知っているし、
 寧ろ、好きだと思う。

 悠の事となると彼女は分かりやすく、とても嬉しそうな顔をする。多分、他の人が見たところで、いつもと変わらないと言うのだろう。
 それは僕にとって分かりやすいというだけの話で。僕は何やらそれに対して変なものを感じるのだ。俗にいう苦手だ。

 人間が体内に入って来た異物を嫌がり、吐き出そうとする感覚に似ている。

 漠然とした気持ち悪さを感じていると言うのが正しいのかもしれない。

 言ったところで多分、誰にも分からない事だし、それに、きっと、こんなにも可愛くて美しい少女に対してそんな事を思うなんて、何かもの申すなんて、彼女に対しての冒涜だと言ってくる輩がいそうで、それそれで恐いことだなあと思う。

 まあ南木は喜んでいるようだし、良いか。
 悠は、愛されてるなあ……。

 ジュースは、買うだけ買って寮室のドアノブにでも袋をかけておこう。

 他人ごとのように、ぼんやり思いながら僕は南木を連れて売店へ向かった。


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