外は茹だるような暑さで、どこもかしこも太陽の熱光線にやられてしまっている。
直射日光もアスファルトの照り返しも厳しく、武蔵野の逃げ水がゆらゆらと揺れて見える。
額を、頬を、鼻を、顎を、伝って落ちる汗が首筋を伝う。脇も腕も背中も尻も脚も、どこもかしこも汗まみれだ。
灼熱地獄のような外から、蒸し風呂のような家について直ぐにエアコンをつける。
適当な服を掴みシャワーを浴びにいく。
肌に当たる水滴が心地よく火照った体を冷やしていく。
シャワーをしばらく浴びてから出れば、いつの間に来たのか、兵助がソファーに座っていた。
「何?」
下着だけを身に付けた私を一瞥して兵助は別に、と答えた。
「俺もシャワー借りていい?」
「どうぞ」
兵助は立ち上がり、ふらりと私の横を通りバスルームに向かった。
私は首からかけていたバスタオルで乱暴に髪の毛を拭きながらエアコンのリモコンを手にして温度を下げた。私の中に節電の二文字は今はない。
兵助はたまにふらりと私の家にやって来る。
合鍵を渡しているのだし、いつ来てくれてもいいが心臓に悪い。シャワーを浴びていても声くらいかけてくれたらいいのにと思う。
エアコンが低く唸る音をききながら体を冷やす。体育座りをして床にへたりこんでいると、今自分が何をしようとしていたのか見失う。
時計を見ると夕方の3時で、外には買い物で出ていたのだ。洗剤、トイレットペーパーを買っただけで汗が滝のように出てきて、晩ごはんの材料を買おうと思っていたがあんまり熱くてだるかったのでそのまま帰ってきたのだ。
今日と明日は休みで、兵助も休み、なのだろうか。
最近まともに兵助と話してもいない事を思い出す。
程よく冷えたところで服を着る。それと同時にバスルームから兵助の声が聞こえた。
「服、出してくれる」
私はタンスから兵助の置いていった服を一式出して洗濯機の上に置く。
「おいといたから」
「ああ」
バスルームで体を拭きながら兵助は短く返事をした。それを聞き流しながら兵助のためにコップに氷を入れてお茶をいれる。それをリビングのテーブルに置く。
しばらくして兵助が出てきた。濡れた髪の毛からは水が滴っている。
「何しに来たの」
再び体育座りをしながら聞けば、兵助はお茶に手を伸ばし一気に飲み干した。そして私を無感動に見詰めて口を手の甲で拭った。
「何かないと来ちゃダメなのか」
「そうじゃないけど、兵助さ、連絡ないじゃない。デートも3ヶ月前きりだし、何してたの」
兵助の連絡がマメじゃないことはわかっていた事だけれど、3ヶ月間も放っとかれたのだ。てっきり自然消滅に傾いているものだと思っていた。
「それとも、この家にある荷物とりに来たわけ」
兵助の私物も少なからずあるこの部屋で過ごす3ヶ月間は辛いを通り越して呆れさえ感じていた。
「…悪い」
「本当に思ってるの?」
「思ってる」
「じゃあ前に何て言って約束したか覚えてる?」
「…」
兵助は一瞬苦虫を噛んだように顔をしかめた。この様子では覚えていないらしい。
「じゃあ3ヶ月間私をほったらかして、どこの誰と遊んでたの」
「遊んでたわけじゃない」
「じゃあ本気だとでも言うの」
「違う」
兵助はシャワーを浴びて少し赤い頬に水滴を伝わらせている。
兵助が何も考えずに3ヶ月間生きていたのであろうことは察しが着く。他に女をつくったわけではないだろう。仕事が忙しかったわけでもないだろう。ただ、兵助の中で私という存在が必要なかっただけにすぎない。もっと言えば彼女というものを必要としていないのだ。
「前に最低でも1ヶ月に一回は必ず連絡しろって言ったでしょ」
「あ、ああ」
「兵助は私と付き合う気あるの」
「ある」
「信じられない。何回目だと思ってるの」
「…3回目」
「じゃあ3回目は別れるって言ったことも覚えてるよね」
兵助はぎうと眉間にしわを寄せる。
わかっている。わかってはいるのだ。豆腐以外に対しては無頓着な兵助が、それでも兵助なりに私を大切にしてくれていることも、仕事以外では一切出ない電話も私がかければたまに出てくれることも、私以外のメールは返事どころか読まないのに私のはきちんと見てはいてくれてることも、わかっている。ただ、あまりにも無頓着すぎるだけなのだ。
だけれどただ待つのは淋しくて、会いに行くには勇気がない。
エアコンの稼働音だけが響く部屋は今、外とは違って驚くほど冷えている。
人工的に冷やした部屋じゃ、感情も干からびて空っぽだ。
兵助がいなきゃ感情を上手く伝えることもできやしない。
膝を抱えたまま兵助から視線をそらす。
別れ話になるだろうか。それともまだ引き留められるだろうか。
お互いに無言のまま、少し肌寒くなった部屋に膝をしっかり抱え直す。
ソファーが軋む音がして、ピピ、と電子音が鳴る。エアコンの設定温度を兵助があげたらしい。
「…俺は」
兵助の柔らかな息づかいまで耳に届く。兵助の声音は怒ってるでも、呆れるでもなく、ただただ優しい。
「俺は、名前と別れたくない」
それはさとすような言い方で、まるで私が駄々をこねているようじゃないか。
唇をきゅ、と結ぶ。眉間にはしわがより、今にも泣きそうな表情なのだろう。兵助はより優しい声を出す。
「正直何も言い返せないくらいに、名前が正論なのだと思う。だけど、こんな俺を受け止めてくれるのは名前しかいないし、名前だからこうして甘えてしまう。甘えすぎなのは自覚している。3ヶ月間も連絡しないっていうのは今度こそ直す。だから、別れるなんて言わないでほしいのだ」
兵助は私の目の前にしゃがみこみ、私と目を合わせようと覗き込む。すると兵助も泣きそうな顔をしていて、3ヶ月前にあったときよりも短くなっている前髪や、整った顔立ちに、私の涙腺はいよいよ決壊しそうになる。
「本当は、1週間に1回は、連絡ほしい」
喉の奥が痛くて上手く声にならず震えてしまう。兵助は真剣な眼差しを私に向けて深く頷く。
「努力する」
「1ヶ月に一回は、会いたい」
「うん。俺も会いたい」
「嘘じゃない?」
「嘘じゃない。名前じゃなかったら会いに何て来ない」
「なら、なんで3ヶ月も放っとくの」
淋しかった。自然消滅してしまったんじゃないかと怖くなって、別に女が出来たんじゃないかと嫉妬さえした。
「名前は、会いたいって言ってくれないから」
「それは、だって」
会いたいって伝えて、無視されるのが怖かったから。
喉の奥につっかえて、言葉にならない。兵助だって伝えてくれないのに。
「言って。名前の言葉でちゃんと聞きたい。俺は正直恋愛に疎いから、きちんと上手く愛せれているかわからない。だから、ごめん。言ってほしいんだ」
真っ直ぐ私の目を見て言った兵助は、出会った頃と何も変わらない。
豆腐が好きで、同級生だった友達が好きで、それ以外には無頓着だけど、私には構ってくれる。兵助なりに一生懸命、愛そうとしてくれてる。
「兵助は平気で、メールも、電話も、無視するから、会いたいって言って、無視されるのが怖かったの。だって、そんなの、耐えられる気がしない」
「…そうか」
とうとう涙腺は崩壊して、涙が溢れて止まらない。
「ごめんな名前」
兵助の腕が伸びてきて私の涙を指で拭う。
「それに、兵助だって、会いた、い、なんて、言わ、ない、じゃない」
嗚咽がもれて上手く話せない。兵助は肩からかけていたバスタオルを私の顔に思いきり押し付ける。どうやら涙を拭いてくれているらしい。
「俺は名前と毎日一緒にいたいから、会いたいなんて伝えられなかったんだ」
そしてまた小さくごめんな、と呟かれる。
「うん、もういいよ、だからバスタオルやめて」
兵助はちーんする?と聞いてきたがそれを断る。私の涙は引っ込まないまま、安堵と嬉しさがごちゃまぜになって唇が緩む。
バスタオルは涙を吸いとってふやける。
何も見えないまま手を伸ばせば、兵助の胸板であろう場所に当たる。
「俺たち一緒に住もう」
バスタオルが顔から離れると、真剣な兵助の瞳とぶつかる。今日はそれを言いに来たんだ、とも続ける。
「本気?」
涙を指で拭いながら聞けば、兵助は一つ頷いた。
「さっきも言ったけど、俺は毎日名前には会っていたい。連絡をする必要もなくなるし、名前も淋しくないだろ?一石二鳥じゃないか。お互いの仕事場の中間で部屋を探そう」
優しい声と、柔らかい笑顔で話をしてくれる。いつもより少しだけ饒舌で、熱っぽく語る彼を、やっぱりいとおしいと思う。
体感温度は少しだけ上がる。
それは外の夏の温度より優しい熱で、私は3ヶ月ぶりに兵助の熱を確かめるために抱きしめる。
「うん、一緒に住みたい。兵助と二人で」
首筋に顔を埋めて言えば、兵助の腕が私の背中に回り、強く抱き締められる。
涙が兵助の肌を濡らしても、汗がお互いの触れている場所から吹き出しても、今日だけはまだ離してあげない。
干からびた感情は、0.7%食塩水で二人一緒にふやかすして満たすのだ。
sense of sufficiency
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