もう誰も愛さないよ。と雑渡さんは言った。何を考えているかわからない笑顔だ。ことあるごとに、雑渡さんは私に言う。そんな残酷な言葉を吐くその唇で私の名前を呼ばないで。その目で私を見ないで、その手で私に触れないで、優しく私を抱き締めないで、激しく私を抱いたりなんかしないでよ。

「何で、そんなこと私に言うんですか」

雑渡さんの伸びてくる手をよけて私が聞くと、一つしか見えない目を細めて笑う。

「分かっているくせに聞くなんて、馬鹿だねえ」

一つしか敷かれていない布団の上に雑渡さんは片膝をを立てて座っている。私は布団に触れない位置で、必死に泣かないように唇を噛み締めながら白い布団の上のシワを睨み付ける。
気を抜けば泣いてしまいそうだった。触れられたら許してしまいそうだった。
私は彼を許せないくらい憎んでいるのに、ぐちゃぐちゃに絡まった糸を一つ一つ丁寧にほどくように、雑渡さんの嘘が私の憎しみをとかしていくから、いつだって都合のいい女になってしまう。

「雑渡さんといると、辛い」
「うん」
「だからもう、呼ばないでください」
「どうして?」
「どうしてって、そんなの、それこそわかってるくせに、狡いです」

雑渡さんは笑みを深めて手招きをする。
雑渡さんが嘘でも私を愛していると言ってくれたならこんなにも辛くはなかったのだ。

「おいで、名前」

まるで子供をあやすような声で私を呼ぶ。その声が憎くてしょうがない。辛くてしょうがない。
私は首を横に振る。

「お願いです。もう私を呼ばないと誓ってください」
「おいで」
「私の姉に手を出さないと言ってください」
「名前」
「もう、耐えられないんです」

雑渡さんは私を愛してくれない。私を抱いている間だけ、私に愛を囁き、優しくするのだ。最初から分かりきっている関係だった。好きにならなければよかった。だけれど私は愛してしまった。こんな身を焦がす様な思いしか募らないならば、いっそ死んでしまいたかった。それが許されるのならば。
「耐えられないのならば壊れてしまいなさい」
「ならいっそ殺してください」
「だーめ」

くすくすとわざと卑しく笑う雑渡さんを見て、ついに涙が出てくる。殺されるつもりでこの部屋に来たのにそれすらも叶わなかった。
「名前、おいで」

雑渡さんは布団をぽんぽん叩く。私は首を横に振ることしかできない。
そもそも雑渡さんが私を簡単に手放すはずがなかったのだ。

雑渡さんは一国一城の姫に恋をした。たかが忍にその恋が叶うはずもない。その姫は私の双子の姉で、私は双子というだけで、忌み子として、姉の影武者として育てられてきた。
一国一城の姫と公式にどうこうしようというのは雑渡さんでは無理だ。だけれどその忍という力を使えば姫を拐うことも殺すことも容易い。そこで姫の側近たちは影武者である私を利用した。私を差し出して、雑渡さんに手を引いてもらおうという魂胆だ。たかが忍風情殺してしまえばよかったが、タソガレドキ城とは同盟を結んだばかりで、その国の忍組頭を殺めたことが万が一ばれればこの小国は簡単に潰れる。それくらい弱い国なのだ。私は人質という立場に他ならなかった。忍一人にここまで気を使うほど、うちの国が弱いのか、雑渡さんが強いのか、私にはわからないし、どちらでもいいことだった。
顔や声が同じというだけで、性格は違う。だけど雑渡さんは私を求める。都合のいいように扱って、抱いているときにしか優しくしない。こんな男を、好きになった私が悪い。けれどこんな関係は終わりにしたかった。だからこそ、私は死んででも彼から逃れたかった。それなのに。

「名前」

また今日も名前を呼ぶ。優しく、甘く、とろけるような声で。誘うような瞳で。決して逃げ出せない力強さで、名前を呼び、私に触れる。

「雑渡さん」
「名前、名前、決して逃がさないよ」

雑渡さんの艶やかな笑みに、私はまた捕らえられる。
嗚呼、逃げ出すことなど、どうしてできるだろう。
私はまた、束の間愛される。



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end



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