生きているのが嫌になった?その問い掛けに僕は笑った。名前はただ悲しそうに僕を見ている。
戦場は鉄と火薬と肉が焼ける様な臭いとが混じりあっていて、とてもじゃないが耐えられるものではなかった。しかしその臭いにいつか慣れてしまった僕の嗅覚はもう何の役にもたたないだろう。
忍とはなんたるかを理解していないわけではなかった。しかし、こうも治療した人達は簡単に死んでいく。
白装束を纏い、夏休みの課題を行うために戦場に来ていた。敵味方関係無く治療するのはいつものことになっていた。しかし今回違うのは、治療していた場所が何者かによって爆撃されたということだ。幸い僕は調度落とし穴にうまいことはまり大事には至らなかったが、あっという間にその場にいた人達は死んだ。微かにうめく声が聞こえていても、虫の息の人を治療することはできなかった。
ただ立ち尽くすばかりの僕に、後ろから声をかけてきたのが名前だった。
「生きているのが嫌になった?」
男物の私服を身に纏った名前の姿は煤だらけで全体的に灰色がかっていたが、傷はどこにも見当たらない。
「どうしてこんなところに?」
僕の問いかけに名前はゆっくりと歩みよりながら口を開いた。
「夏休みの課題をやりにきていたの」
「終わった?」
「なんとかね。伊作こそこんなところで穴に落ちてどうしたの?」
この落とし穴は調度横に広く縦にはそこまで深くなかった。立ち上がり背伸びをすれば容易に辺りが見渡せるような深さだ。
「僕も課題をしに来たんだ。その帰りに怪我している人達を敵味方関係無く治療していたら爆撃されたんだ」
「そう、だから、生きるのが嫌になったのかと思ったの」
「どういうこと?」
名前が手を差し伸べてくれた。その手を掴み穴から這い出る。名前は表情を少しも変えないまま僕の質問に答えた。
「助けた命が亡くなることに、嫌気がさしたかと思ったの」
「それで僕が死にたくなるの?」
「死にたそうな雰囲気だったのよ」
改めてぐるりと辺りを一望すれば、そこにはもう生きている人はいなかった。探す気にもならなかった。
「普段なら生きてる人を探すかな?」
「さあ?さすがにこれだけ派手にやられたら諦めるんじゃない?」
確かに一撃でこれだけの人数と範囲がやられたのだ。相当の火薬量だ。もしかしたら新しい火器の実験にこの場所は使われたのかもしれない。誰がやったか何て興味もなかった。ただ救った命が無駄になった。
「僕は今でも死にたそうに見える?」
そう言って笑いかけると名前は一瞥をくれただけで何も言わなかった。しかし積み重なった死体を一人ずつ丁寧に寝かせはじめる。重たい鎧をまとっている人もいる。ガチャガチャと音が響く。遠くでは戦火が上がり、人の声が重たく聞こえる。
「何してるの?」
「伊作が助けた命だもの」
「もう死んでるよ」
「知ってる」
「じゃあなんで」
「まだ、魂はあるかもしれないじゃない」
「それになんの意味があるの?」
「じゃあお墓になんの意味があるの?こんなのは自己満足だよ。伊作が生きてる人に施した治療はなんなの?保健委員だから?それも自己満足でしょう?卒業したら伊作は治療しないの?保健委員ではないから?それともするの?保健委員じゃないのに?傷付いた人は癒すけど死んだ人の弔いはしないの?目の前で死んだのに?伊作が助けようとしたのに?」
名前は淀みなく僕への言葉を紡いでいく。弔いと言って死体を一人ずつ丁寧に並べる作業を、大層重い鎧をつけている成人男性を続ける。
自己満足、それは確かにそうだった。間違いなく僕のする治療は自己満足だ。結果今回誰も救えなかったとしても。
迷いがないわけではない。忍に向いていないと何度も言われ続ける理由に、敵味方関係無く治療してしまう事は大きく関係しているだろう。放っておけないのだ。傷ついている人を。それは何故か?皆生きているからだ。戦がくだらないと思っている。必要悪だと割りきることはできない。たかが忍にこの国を統治する力はない。ただ生きていくために必要なのだ。殺したいわけではない。傷付けたいわけではない。争いたいわけではない。はっきりと治療する手は淀みないのに、言い訳のように理由をつけては繰り返す。例えば保健委員ではなくても治療はしていただろう。だってそれが僕にできることで、忍だとして、人を殺すとして、傷付けるとして、今その瞬間に助けられるならば助けたいのだ。
まとまらない思考を隅っこによせて名前の隣に行く。名前の腕から死体を半分ずつ抱えるようにして死体を運ぶのを手伝う。名前は何も言わずに僕のその行為を受け入れた。治療を施した人数は30人程度だった気がする。しばらく黙々と作業を続けて、終わる頃には空は橙に染まる頃だった。
「始めから手伝いなさいよ」
「うん、そうだね、ごめん」
名前は作業が終わると少し離れたところまで行き花をつんだ。名前も知らないような小さな花だ。
「これ伊作の分」
そう言って半分花を渡される。死体の重ねた手の部分に花を一輪ずつ置いていく様を習って名前とは反対側から花を置いていく。全員に置き終わると、名前は静かに手を合わせて目を瞑った。僕も同様に手を合わせる。既に辺りは薄暗く、戦は休戦に入ったらしい。風が通り抜ける音だけが耳に響く。
長いようで短い時間が流れて顔をあげると、名前はじっと僕を見ていた。
「な、なに?」
見られていたことにたじろぐ。名前はただ無表情に口を開いた。
「生きているのが嫌になった?」
それはこの場所で会って言われた言葉と同じだ。その問い掛けに僕は笑った。
「いいや、生きたいよ」
恐らく卒業した後に城勤めをしたとして、きっと敵の治療もどこかでこっそりしてしまうのだろう。だけどそれでいいじゃないか。理屈じゃないんだ、こんなのは。放っておけないからという理由だけで十分じゃないか、全ては自己満足なんだから。きっと今日こうして吹っ切れた悩みをまたぐちゃぐちゃ悩む日も来るだろう。けれどそれでもいいじゃないか。そうして僕という人間は形成される。今はこの単純で大事なことに気付かせてくれた名前にお礼が言いたい。
一歩足を踏み出して名前に近付こうとした瞬間、盛大に僕は穴の中に落ちる。
「なんでこんなところにまだ落とし穴があるんだよ!」
名前は小さくくすくすと笑いながら僕に手を差し伸べた。
「もう、死にたそうには見えないよ」
名前の手をつかんで穴から這い出ながら気付いた。この言葉はさっき僕が名前にした質問の答えだと。
「ありがとう」
僕がお礼を言うと名前はもう穴に落ちないでよねとだけ言って歩き出す。
「どこにいくの?」
「家に帰るの」
「途中まで一緒に帰ろう。送るよ」
「だから、穴に落ちないでって言ってるの」
もう引き上げるのも疲れたんだから。と悪戯っぽく笑って名前はたくさんの死体が眠る自己満足の場所から離れた。
自己満足の行き着く場所
end
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