優雅なる捕食



「上條先生。いらっしゃいますか」
「はい、何でしょう北森先生」

疲れ果てた、を絵に描いたような表情で保健室に訪れた真奈美を、上條は笑顔で迎え入れた。

「相談があるんです」
「おや。どうぞこちらに腰かけて。ゆっくりとお聞きしましょう」
「ありがとうございます。実は…」


悩み1.佐伯先生が校内はおろか出勤・帰宅までついてくるのです

「最初は新しいclassZのことなど相談する時間が増えたので有難かったのですが」
「今はご迷惑なのですね」
「そんな風に言うのも申し訳ないんですが、ええ、すごく」
「それを影虎さまにはお伝えしたのですか?」
「やんわりとは。でも、“遠慮しなくてよい”の一点張りで」
「…困った方ですね」
「実際副担任としてとても助けて頂いているし、心苦しいんですが…」
「わかりました。その件に関しては私から忠告しておきましょう」
「ありがとうございます上條先生」


悩み2.生徒に本気で対抗心を燃やすんです

「それはどういうことでしょう」
「神経質になってらっしゃるのか、私に話しかけてくる生徒…特に男子生徒にやたらと厳しく当たるんです」
「どのように」
「例えば…質問に来た生徒の対応をしていると、“そのような問題も解けないのか”と言って間に入り、関係ないことまで叱り始めるんです」
「それは問題ではないですか」
「ただそのうちにいつの間にか佐伯先生がその生徒の質問にしっかり答えていたりするので、勉学の邪魔をしているわけではないんですが…」
「教育熱心ですからね、影虎さまは」
「油断していると、“北森先生が嫌がっているだろう”“私はお前よりももっと近くに寄れるぞ”なんて訳の分からないことを言い始めて、生徒もぽかんとしてるんです」
「一体どうされたんでしょう、影虎さまは…」
「私にもさっぱり…。軽く文句を言っても、“わかっている”としか言わないし」
「困った方ですね。ああ北森先生、お茶はいかがですか」
「わあ、ありがとうございます。頂きます」
「次は授業は無いのでしょう」
「よくご存知ですね」
「影虎さまがよく先生を探している時間ですから」
「そうなんです、いつも二人で過ごすことになるんですが、たまには翌日の準備をしたい日やこんな風にお茶を飲んだりしたい日もあるので」
「ふふ。うまく逃げ切ることができたら、いつでも保健室にいらしていいですよ」
「ありがとうございます」
「それで、まだあるのですか?」
「はい、それが…」
悩み3.最近やたらと胸元がはだけているのです

「ああ、そういえばそうですね」
「どうしたんでしょう、あれ。あんなにぴっちりと襟元正しくしてらしたのに」
「確かに…最近はまるで天童先生のようですよね」
「天童先生よりもひどいです。おへそまで見えちゃいそうです」
「目のやり場に困っているのですか」
「当然です。隣の机だから余計気になってしまって…!しかも佐伯先生ったら、なんだか見せ付けるようにこちらを向くので恥ずかしくて恥ずかしくて」
「見惚れているわけではないのですか?」
「まさか!私、普通の格好した方が良いです」
「それはそれは…影虎さまが聞いたら悲しみますね」
「あ、いえ、嫌っているわけではないんですよ。ただ…」
「ただ?」
「正直、怖いです…」






***
一日の職務を終え、上條はいつものように保健室に鍵をかけ影虎のもとへ向かった。その背はわずかに愉しげに見えた。


「影虎さま、準備はよろしいですか?帰りますよ」

職員室でそわそわとしていた影虎は、焦ったように声を上げた。
「待て、元親。北森先生がいないのだ」

上條はおや?といったように眉を上げて答える。

「北森先生なら先程帰られましたよ。てっきり、今日の送りはいいと影虎さまにもお伝えしてるものと思っておりましたが。だからお迎えに上がったのです」
「何!聞いていないぞ、何も聞いていない!」
「そうでしたか。どうされたんでしょうねえ」

心配そうな声色で言うと、影虎は不安そうにカリ、と爪を噛んだ。

「おかしい。…最近おかしいのだよ、元親」
「何がですか?影虎さま」
「北森先生に避けられている気がする」
「まさか、そんな」
「いいや気のせいではないぞ。送り迎えだって最近はなにやら不機嫌そうなのだ」
「北森先生はそんな方ではないですよ」
「だが…。元親、北森先生は本当に私と一緒に帰りたい、通勤したいと言っていたのだろう?」
「ええ、もちろんそうおっしゃっておりました」
「ならば何故…!わからん…!」
「きっと影虎さまの気のせいですよ」
「だといいのだが…!それにだな、元親、先生は本当に男子生徒たちが怖い、男性とは佐伯先生としか会話したくないと言っていたのだろう?」
「ええ、もちろんそうおっしゃっておりました」
「ならば何故…!北森先生が男子生徒に捕まった瞬間助けに行くようにしているのだが、何故だか最近迷惑そうなのだ」
「嬉しすぎて笑顔になってしまいそうなのを、男子生徒の手前隠しているのではないですか?」
「本当にそうか…?そうなのだろうか…」
「そうですよ」
「そうか…?」
「北森先生は嬉しくて仕方がないのです」
「だといいのだが…!あと一つだ元親、先生は本当に天童先生のようなスタイルが好みだと言っていたのだろうな?」
「ええおっしゃっておりましたとも。影虎さまもあんな格好をしたらいいのに、見てみたい、と」
「だから…肌を晒すのは好ましくないが思い切ってみたのに、最近まともに私を見てくれないのだ」
「素敵過ぎて直視できないのですよ。北森先生は初々しい女性ですから」
「本当か?本当にそう思うか?」
「もちろんですとも」
「しかし何故だ…露骨に顔を背けるのは何故なのだ…」
「恥ずかしいのですよ」
「何も恥ずかしがることはないというのに…」

自信無げに肩を落とす影虎に、上條は優しい声をかけた。


「大丈夫ですよ、影虎さま。北森先生は照れ屋なのです」
「…今日の空き時間も、探したのに見つからなかったのだ」
「どうやら、用事があって校外にいらしたようですよ」
「何、そうだったのか。そんなことは一つも…」
「忙しそうでしたから、つい忘れていたのですよ」

唇の端をあげ淡々と答える。
何も気付かず影虎は、渋々帰り支度を始めながら真奈美の机を眺めている。
上條は、その背を眺めながら、くつくつと喉の奥で笑った。



***

「ごめんなさい、上條先生。佐伯先生の愚痴なんか言ってしまって」
「いいのですよ、北森先生。私で良ければ何なりと」
「本当にすみません…。少し楽になりました」
「それは良かった」

上條は優しく微笑み、真奈美の手にそっと手を重ねた。

「上條、先生、」
「貴女は頑張り屋さんですが、たまには弱音を吐くことも大切ですよ」
「は、い…ありがとうございます」
「こんなに小さな手で、たくさんの生徒たちを纏めるのですから凄いものです」
「そんな…まだまだ未熟者ですけど」
「そんなことはない。貴女は素敵な教師です」


ぱっと赤くなる真奈美を見て、上條は無害そのものの笑みを浮かべたまま静かに手を離す。

「すみません、つい、触れてしまいました」
「い…いえ!だ、大丈夫です!」
「…今日は、終礼までに荷物をここに運んでおくといい。帰るときはここから隠れてお帰りなさい」
「そんな、いいんですか?」
「一日くらいならバレないでしょう。静かに帰って、ゆっくりと休むといい」
「ありがとう、ございます」
「またつらくなれば、いつでもお待ちしていますよ」

真奈美の頬が安堵に緩むのを見て、目を細めた。

(あと、少し)

小さな手はいまだ桜色に染まっている。




(貴女はもう、)




―…私の胸に飛び込むしかないのですよ。






20090714

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