※受攻未確定
※殺したり殺されたり


「なんだか無性に、本が読みたくなって。ああたぶん、古物商のじいさんが、店番をしながら文庫本をひらいていたからだ。だから夕方、港の方にある古本屋に立ち寄ったんです。……ボクは、意外に本が好きなんですよ、おまわりさん?」

少年は、にいと頬をつり上げて笑った。彼の強い眼差しが、目の前の牛尾を、挑発的に見つめている。小首を傾げる彼の容貌はなるほど整っていたが、上目遣いでこちらを見上げる様がどうにも不快で、牛尾には嫌悪感しかわかなかった。

「とりあえず、そのわざとらしいしゃべり方をやめろ。やりにくくてたまらん」
「へー、あんた、オレがどんな人間かわかってんだ」
「セキュリティをなめるなよ、クソガキが」
「うわ、怖い怖い。今の一言、裁判所に持ってったら一発だと思うんだけど」
「その前に公務執行妨害でしょっぴいてやるから安心するんだな」

すると少年は、やれやれといった感じで肩をすくめながら、パイプ椅子の背もたれに体重をあずけた。きい、と年期の入った音が響く。
 無駄話は終わりだ、と牛尾は告げた。彼は少年と雑談をしに来たわけではない。
 少年は相変わらず人をくったような態度で、牛尾の言葉に、ふふんと笑った。

「本が好きなのは本当だよ。最近賞を獲得したあの作家、あの人の小説を、賞を取る少し前に読んだんだ」
「ほお、それで?」
「サテライトの市場にも、すっごく小さな古本屋があるんだ。この間そこに行ったら、新刊だし、ちょっとだけだったけど、そいつの小説が積まれていた。だから遊星に言ってやったんだ。こいつの小説おもしろくねぇよ、って」
「……遊星ってのは、お前のツレか?」
「うん、そう。年下だけど落ち着きがあって、すっげぇいい奴」

自分の爪をいじりながら、少年は言う。しかし、遊星という友人のことを話す彼は、ひどく気だるげで、どうでもよさそうな雰囲気をはらんでいた。遊星については、さほど関心もないのだろう。
 それよりさ、と少年は再び、賞を受賞した作家について語り出した。曰く、彼の作品は、有名になる前のものの方が、よほど面白かったとのこと。小説だの作家だのについて、たいした興味もない牛尾は、彼の言葉を適当に聞き流す。しかし、少年はとても生き生きと、その作家について語った。

「やっぱり、評価や人気に媚びるような話はダメだ。一般受けする物語なんて、だいたい相場が決まってんだから。それよりか、好き嫌いが分かれるような、奇想天外な話の方がオレは好きだね」
「だったら、その作家はもう見切るこったな」
「本当、昔は好きだったんだけどな。……それで、以前から目をつけていた文庫本を買って、遊星と古本屋を出たんだ。空はどんよりと曇っていたけど、まだ雨は降っていなかった」

雨、と牛尾は反芻する。ちらりと振り返り目配せすれば、このやり取りを記録している部下が、こくりと頷いた。
 それから、と牛尾は先を促す。

「特にすることもなくて、ぶらぶらと工場街を歩いた。夜の8時くらいかな。そしたらぽつぽつと雨が降り始めて、もう使われていない倉庫で雨宿りしたんだ」
「その倉庫で、何をした」

途端、牛尾の声のトーンが低くなる。話の確信に触れ、部屋の空気がずしりと重くなった。
 だが、それでも少年はへらと笑う。好戦的な眼差しは変わらないが、やはり少年の意図はわからなかった。

「別に、なにも。雨が酷くて、砂粒をばらまいたように、屋根がうるさく音をたててた。隣で遊星が寒そうにしていた。だから、それで、ああ……」

不意に、少年は黙り込んだ。視線を落とし、溌剌とした表情が消え失せる。
 どうした、と牛尾が問う。少年はゆるくかぶりを振った。意味のない、音ばかりの単語が吐き出される。
 帰った。突然、少年はそう言った。顔を上げ、何事もなかったかのように、また頬をつり上げて笑った。

「帰った。朝になって、雨が止んだから帰った。遊星と帰った」

牛尾はなにも言えなかった。彼の言葉が不自然だとわかっていても、追及するのは気が引けた。
 もういいと言ってやると、少年はげらげらと声をあげて笑った。そしてまた、かの作家の話を、楽しそうに繰り返すのだった。






「本が無性に読みたくなったんだ」

変化の乏しい表情が、まっすぐに牛尾に向けられている。これはこれでやりにくいと、牛尾は心中で悪態をついた。

「だから鬼柳と、古本屋へ向かった。サテライトにも、小さな古本屋があって」
「その話はさっきも聞いたぞ」
「そうか」

遊星の調子はまるで平淡で、機械のように言葉を吐く。話を牛尾に遮られても、さほど気にしていないようだった。

「最近、賞を受賞した作家がいただろう。あの人の小説はおもしろくないらしい。鬼柳が言っていた。人気に媚出すとそうなんだろう」
「おもしろさなんてのは、個人の受け取り方で変わるもんだ。読んでもないのに評価を下すのはおすすめしねぇなあ」
「サテライトを見境なくクズと呼ぶ、セキュリティのセリフとは思えないな」

さらりと言った遊星に、牛尾の額には青筋が浮かぶ。クズ野郎がと罵りたくなるものの、深く息を吐いてやり過ごす。
 牛尾の葛藤など知らず、彼の感情になど関心もない遊星は、構わずに話を続けた。

「本は好きだ。医療現場のミステリーだとか、本性を隠しながら生きる男子高校生の話だとか、娘を殺された母親の復讐の話だとか。整然としながら、最後に思いきりひっくり返される結末がたまらないな」
「そんなことは聞いちゃいねぇ。で、お前らはいつ頃古本屋を出た」
「夕方……、いや、捉え方によっては夜か。空はどんよりと曇っていたが、雨はまだ降っていなかった」

牛尾は、会話を記録したノートを、目線でたどる。そうしながら、遊星に話の続きを促した。

「そのあと、鬼柳と工場街を歩いた。くだらない話ばかりをしていたが、楽しかった。すると、とうとう雨が降りだして、使われていない倉庫に忍び込んで、雨宿りをすることにした」

話は佳境に差し掛かる。牛尾にとってはここからが本題である。聞く態度ががらりと変わった牛尾に対し、やはり遊星の変化は乏しく、淡々と言葉を続けるのだった。

「倉庫の壁は薄く、雨が屋根を叩きつける音が響いていた。コンクリで固められた床は冷たく、雨で気温が下がった倉庫内はとても寒かった。そうすると、鬼柳がオレの頬に手を伸ばして、大丈夫かと聞いた。その手をとって指を絡め、こうしていれば寒くないと答えた。鬼柳は穏やかに笑っていた」

彼の口調は、夢を見る少女のようにうっとりとしていた。無表情な彼とのアンバランスさが不気味であり、言い様のない不快感が、牛尾の中にこみ上げた。
 話の内容も大概である。牛尾は額に手をあて、一度苦い顔をすると、お前たちはそういう関係だったのかと聞いた。遊星は幾度か瞬きをして、どうだろうな、とあっさりとした答えを返した。

「男女のそれとは違うんだろう。告白なんてしたこともされたこともないし、互いに愛を囁き合ったりなんかもしなかった。そういう関係になりたいとも思わなかった。ただ、隣にいればもっと近づきたいと思ったし、すがり付きたくもなった。お互いに必要としていた。ただ、それだけだ」
「それだけで普通の男同士はキスもしないし、セックスもしない」
「じゃあ、オレたちが普通じゃなかったんだろう。手を繋ぎ、キスをした。性交もした。朝になって雨は止み、鬼柳と帰った。あの日、オレたちがしたことは、それだけだ」

ふー、と牛尾は息を吐く。ひどく疲れたような、軽蔑したような視線を遊星に向ける。だが、慣れているのだろう。遊星の反応は薄い。
 シャープペンシルの背で、これまでの取り調べのやり取りをたどる。頭が痛くなるな、と牛尾はぼやいた。

「赤裸々に語ったことは感謝しよう。だが、お前は嘘をついている」
「なんの証拠があってそんなことが言える」
「証拠? 証拠なんて事実だけで十分だ。お前はあの日、鬼柳京介と帰ってはいない」

はじめて、遊星の表情に感情が浮かんだ。怪訝そうに寄せられた眉は、強い疑問を訴えている。
 うんざりとしたまま、牛尾は告げた。

「あの日、鬼柳京介は、倉庫でお前に殺されたんだ」





「ずいぶんと、おかしなことを言うんだな」

止まっていた時間が、再び動き出したかのようだった。
 数秒の間をおいて、遊星は話し始めた。

「ならばお前は、オレの話を誰から聞いた。鬼柳が、オレと共にいたことを証言したから、オレはここに呼ばれたんじゃないのか」
「半分は正解だ。だが、半分は大間違いだ。今日、ここに呼ばれたのは、不動遊星、お前だけだ。鬼柳が証言したからじゃない。鬼柳の死体から、お前の精液が検出されたからだ」

牛尾の顔は、隠しがたい嫌悪感にひどく歪んでいた。もう既に、彼の理解の範疇は越えているのだろう。
 しかし、理解が出来ないのは遊星も同じである。やはり訝しげに顔をしかめ、その表情は牛尾に、明確な説明を要求した。

「なぜ鬼柳を殺した? 痴情のもつれか?」
「殺してなどいない。オレが、鬼柳を殺すはずがない。何より、鬼柳は死んでなどいない……!」

遊星は、怒りをはらんだ瞳で睨み付ける。それを目の当たりにした牛尾は、深く深くため息をついた。ここまでいくと、オレの専門外なんだがなあと、誰に言うでもなしに呟く。

「不思議な2人だったと、周囲の人間たちが証言している。歳も違えば、性格も違う。それなのに、お前たちは仲が良く、連れ立って出歩くことも多かったそうだな。まあそれが、肉体関係にまで及んでいるとは思わなかっただろうが」
「それがどうした」
「正反対だからこそ、上手くいっていたのかもしれないがなあ。饒舌な鬼柳と、寡黙なお前と。デュエルの戦略も、鬼柳は力押しで、お前はちまちまコンボを繋げていくタイプらしいな」

牛尾にも、回りくどく言っている自覚があった。だが、焦らしているつもりはないのだ。
 遊星は苛立っているのだろう。言葉にこそしないものの、じっとこちらを見据える彼は、その瞳に不服を携えていた。

「鬼柳は本が好きだった。物語や、登場人物の心情を紐解くのが得意だったからだ。だが、お前はそれらが苦手だった。だから本はあまり読まなかった」

すると、遊星は一瞬大きく目を開いて、す、と逃げるように視線をそらした。

「そんな、ことは」
「いや、本自体は好きだったんだろう。だがお前は、数式や難しい単語は読み解けるが、誰かの作った空想の物語はいまいち理解できなかった。違うか?」
「……オレは本が好きだ。医療現場のミステリーだとか、本性を隠しながら生きる男子高校生の話だとか、娘を殺された母親の復讐の話だとか。整然としながら、最後に思いきりひっくり返される結末がたまらないと、さっきもそう言っただろう。それに、その話が、鬼柳の死とどう関係がある」
「そいつらはお前が好きな本じゃない。鬼柳が好きだった本だ。お前は、そんな小説を読んだこともなかったはずだ」

すると遊星は、たいへん困惑した色をもって、牛尾を見上げるのである。どうやら彼には、自覚というものがまるでないようだった。牛尾の言っている言葉の意味も、さっぱりわかっていないに違いない。

「なぜ、そんなことが、言い切れる」
「じゃあ、その本の作者とタイトル、主人公の名前をお前は言えるのか」
「……」

遊星は何も言わなかった。言えない自分にも戸惑っているようだった。
 遊星は、かの小説たちを読んだのだろう。しかしそれは、彼の中だけでの話だ。

「不動遊星、お前は先日、サテライトの倉庫において鬼柳京介を殺害した。そこにどんな理由があったかは知らん。だが聞けば、最近の鬼柳は自暴自棄で、問題行動も数多く起こしていたそうじゃないか。かつての仲間にも見放され、鬼柳のもとに残ったのはお前だけだった。まあ、問題児を押しつけられて鬱憤でも溜まっていたんだろう。だがお前は、自分が鬼柳を殺したのだと認められなかった。だから、自分の中に、都合のいい、かつての兄貴分で気さくな鬼柳京介を作り出したんだ。最初はお前の単なる逃避、もしくは妄想であったのかもしれない。しかし、そいつはお前の人格を徐々に侵食していった。そして、そうしている内に、自分と鬼柳の境界がわからなくなった。お前はいつの間にか、自分と鬼柳を同一視するようになっていったんだ」

事実をねじ曲げようとしたのか、はたまた、元から鬼柳に成り代わろうとしていたのか、牛尾にはわからなかった。だが、その時点で既に、遊星の精神は破綻していたと言えるのだろう。かつての鬼柳の友人たちは、鬼柳のことを散々、イカれた男だなんだと称していたが、それは案外、遊星にも当てはまる言葉であるのかもしれない。
 がたん、と大きな音がした。見ると、遊星が椅子の背に体重をあずけ、うつむいていた。口が小さく動き、ぼそぼそとなにかを繰り返す。
 彼の放つ異様な雰囲気に、牛尾は言葉を失った。先ほどの、無口でありながらも誠実さのあった彼の人格は、どこかへ投げ捨てられたかのようである。それほどまでに、彼の様相は不気味であった。
 遊星が顔を上げた。彼は挑発的に牛尾を見上げ、くつくつと笑った。頬はつり上がり、彼には似合わぬ表情を浮かべていた。

「オレは、本が好きだよ。さっきもそう言ったろう、おまわりさん?」

牛尾は生前の鬼柳京介を知らない。だがおそらくは、彼はこのような口調で喋り、ころころと表情を変えたのだろう。
 げらげらと、鬼柳京介のように不動遊星は笑った。



タイトル:diana様より
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -