※母の日
※過去捏造


 いらない、と。冷たくあしらわれ、女性の手からはらりとこぼれた。
 幼子は、その様子をただ、見ていた。落ち葉のように舞った赤いそれが、幼子の、金の瞳に虚しく映る。それは地面に着地し、ぐしゃりと、女性のハイヒールの下敷きになった。

「こんな紙切れもらって、どうしろっていうのよ」

紙切れではなかった。乏しい知識で折った花だった。だが、靴底に押し潰された今は、やはり紙切れである。
 その紙切れを、幼子は拾い上げた。無感動な瞳で、幼子は言った。今日はなんの日か知っている?

「知らないわよ。今日もまた遅くなるから、適当になんか食べといてね」

カツカツと高いハイヒールを鳴らして、女性は幼子の前を去った。おそらくは今日も帰ってこないのだろうなと、幼子はぼんやり思う。
 いってらっしゃい、おかあさん。幼子の呟きを、女性が知るはずもなかった。





 局地的繁忙期。クロウが母の日をそう名づけたのだと、遊星が言っていた。どうにも、クロウはここ数日、赤い花を持って、あちらこちら飛び回っているそうなのだ。

「で、なに、クロウは、鰊(にしん)のパイとか届けて、これあたし嫌いなのよねー、とか言われたりしてんの?」
「……鬼柳すまない、その状況がよくわからない」
「知らないの? 見ろよ、名作だぞ」

遊星がクラッシュタウンにやって来たのは、午前中のことだった。数日前から約束は取りつけてあって、クラッシュタウンで取れる鉱物を、いくつか分けてほしいとのことだった。
 鬼柳はいくつか、Dホイールの部品に使えそうなものを選んでやって、反対に遊星は、長期間の保存がきく食料や水を、町の倉庫に置いていった。遊星はすっかりこの町に馴染んでいて、いっそ住めばいいのにと、飲み屋の女将にしつこく勧誘されていた。
 昼食を共にして、昼下がりの今は、ニコとウェストの相手をしてもらっている。昔から遊星は子どもが好きで、クロウが連れ込んだ孤児たちの面倒も、すすんでみてやるほどだった。

「遊星兄ちゃん、ここがわかんない……」
「ああ、大丈夫だ、折り方は合ってる。ただ、折り目はきちんとつけてやらないと、こうやって後々困るんだ」
「ウェストは雑だから」
「なんだよ、ニコ姉さんだって……!」

いったい何に興じているのか、鬼柳の位置からはまるでわからない。覗きこもうとすれば、鬼柳兄ちゃんには内緒! と隠されてしまった。それとなく会話から聞き出してやろうとしたのだが、それも遊星にたしなめられてしまったのだ。昔はもっと口下手だったくせにと、鬼柳はこっそり悪態をついた。

「遊星さんは、手先が器用なんですね」
「昔から、細かいことばかりやっていたからな」
「鬼柳さんはね、とっても不器用なんです」
「ニコー、聞こえてるぞー」

くすくすと、ニコが笑う声が聞こえた。悪口なら聞こえない場所で言え、と拗ねたふりをすれば、聞こえてるから悪口じゃありません、とへりくつが返ってくる始末だ。

「そうだな、鬼柳は昔から、繊細というより大胆だった」
「遊星、それほめてんの?」
「ジャックもクロウも鬼柳も大胆で、その後始末を俺がしていた感じだな」
「おーいゆうせー、俺の話聞けー」
「最後にここを折ってやれば……、ほら、完成だ」
「わあ、すごい!」
「遊星兄ちゃん、ありがとう!」

どうやら何かが完成したらしい。ニコとウェストが歓声をあげていたが、既に机に伏せってしまった鬼柳には、関係のないことだった。
 しかし、ぱたぱたと、弾んだような足音が鬼柳に向かっていた。仲良く並んで2つ。後ろにある、ゆったりとした足取りは、遊星のものだろう。

「鬼柳兄ちゃん!」
「ぐへっ」

背中に、小さくも重い何かが衝突した。その衝撃で、ぐっと胃が押し潰されたような苦しさにおそわれる。

「ウェスト! っとになんだよ、あっち行けっつったり、のしかかってきたり!」
「鬼柳兄ちゃん、これあげる!」

ずい、と背後から差し出されたのは、赤い花だった。見ると、それは器用に折り紙で作られていて、遊星に教わっていたのはこれかと合点がいった。これは俺には作れねぇわ、と妙な関心がわき上がってくる。

「鬼柳さん、いつもありがとう」

ニコもまた、紙で折られた赤い花を鬼柳に差し出す。

「今日は、母の日、ですから」

ニコがはにかむ。いや、俺、母ではねぇし、などと思うが、思うだけで、どうでもよかった。
 花を受け取り、まじまじと見つめる。丁寧に型どられたその花は、少しも現物に見劣りしないように感じた。

「いやー……、せめて父の日だろ」
「鬼柳兄ちゃんは、兄ちゃんで父さんで母さんだから、いいんだよ!」
「うっそ、俺万能すぎんじゃん」
「お母さんと同じくらい、鬼柳さんには感謝しているんです」

鬼柳は椅子から立ち上がり、膝をつくと、ウェストとニコの肩を抱いた。すう、と息を吸って、小さな声で口にする。

「ありがとう、すっげえ嬉しい」

ニコとウェストの、喜ぶ声がそれぞれ耳元で聞こえた。なんだかくすぐったくなって、わしわしと2人の髪をかき混ぜる。
 あのとき、あの女に自分はこうされたかったのだろうかと考える。答えは否であった。鬼柳はあの女に愛されたかったのではない。母親に愛されてみたかった、それだけだ。
 つまるところ鬼柳は、あの女を愛してはなかったのだ。





「本当に、遊星って器用だよなあ」

遊星は鬼柳の目の前に座って、コーヒーを飲んでいる。角砂糖が3つほど入れられたコーヒーは、かなり甘いのだろう。彼は甘党だ。

「折り紙は、サテライトでずいぶん世話になったからな。自分が遊ぶのも、子どもに教えるのも」

鬼柳はまじまじと、指先でつまんだ赤い花を見る。それはお手本として、遊星が折った花だった。

「こんだけ綺麗折れたらさ、俺も、母親に受け取ってもらえたかもな」

それに遊星は答えない。思うところがあるからだろう。彼は優しい。いつだって真剣に、相手にとって一番の言葉を考えている。
 鬼柳は、と遊星が言う。海の果てのように深い青が、じっと鬼柳を見つめていた。

「もし、ニコとウェストが下手な花を持ってきたら、それを捨てたか?」
「んなわけねえだろ」
「それは、鬼柳の母親だってきっと同じだ。下手だとか上手いだとか、器用だとか不器用だとか、それらは大した問題じゃない」

遊星は、優しい。決して誰かを悪者にはしないのだ。しかし、それは時おり、本人の知らぬところで、残酷な色を孕んだ。

「……ありがとう、遊星」

その礼が、慰めに対しての礼だったのか、ニコとウェストに折り紙を教えてもらったことへの礼だったのか、鬼柳にはわからなかった。
 ニコとウェスト、それから遊星にもらった赤い花を指先につまんで、目を閉じる。
 じゃあやっぱり結局、俺は母親に愛されてなかったんだなあと、そう思いながら微睡みに沈んだ。


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