※明日香と鬼柳
※捏造




「あなたは少し……考え方が卑怯だわ」

目の前で少女は言った。ブロンドの長い髪を持った、美しい少女だった。仕草は幼子を叱るかのようで、際どい丈のスカートが揺れる。清廉な青と白のそれは、どこかの制服だろうか。

「卑怯、とは」

それを聞く鬼柳京介は、僅かに唇を動かして応えた。語の末尾に疑問符はなく、ただの惰性で聞いていることがうかがい知れた。

「向き合いたいと望むばかりで、あなたは誰とも向き合おうとしない」

少女の声は凛としている。断言して、鬼柳の前に道を示そうとしている。しかし鬼柳にとっては邪魔なだけである。彼は既に、自分の歩みを諦めたのだった。
 彼の歩いてきた道は、世界の果てのように混沌としていた。歩む先では黒い渦がぐるぐると螺旋を描いて、今にも鬼柳を呑み込もうとしている。あれに呑まれれば鬼柳は死ぬのだろう。それを望んでいる筈なのに、拒絶してる自分がいる。
 死にたくない筈だった。鬼柳は生きたかったのだ。しかし彼は、それを望むのが傲慢なほどに、罪を背負いすぎていた。
 違うのだ、お前を裏切ったわけではないのだと首を振った少年に、鬼柳は刃を突きつけた。黙れよ裏切り者、俺を殺したくせに! その刃が激しい後悔となって鬼柳自身の心臓を抉ったのは、それから幾年もの歳月が過ぎたあとだった。

「どうして気がつかないの? 彼はまだ待っている。あなたがすることは拒絶することじゃない。その手をとって、もう一度向き合うことだわ」

耳障りだった。それがガサガサとノイズになってしまえば楽なのに、少女の声は小池の波紋のように、すうと鬼柳の中に広がっていくのである。心の中を緩やかに犯される。諦め、捨てた感情を、水底からずるりと持ち上げられる。それは醜い。それは人間らしく美しい。
 かつて手を伸ばしてくれた少年は、青年となった今でも手をとってくれるのだろう。深海に沈んだ腕を、持ち上げてくれるのだろう。しかしそれが恐ろしい。鬼柳に触れた瞬間、青年の身体は腐敗するのではないだろうか。誰彼も平等に愛する彼の腕は、根本から腐り落ちるのではないだろうか。それは、鬼柳がこの世界から消えることよりずっと恐ろしい。

「救世主の俺はもう、死んだんだ」

太陽のように輝いた黄金の瞳は、今は寂しそうに霞んでいて、その悲しみを業として受け入れていた。そうあることが正しいと言わんばかりである。自暴自棄に彼は笑う。救世主と崇められた彼は死に絶え、ならば今ここにいる自分というのは何であるか。
 馬鹿ね、と少女は呆れて言った。

「だからあなたって卑怯なのよ」

死神と名乗る男に少女は歩み寄る。彼女は厳しく咎めつつも、慈愛のような笑みを浮かべていた。

「彼が求めていたのは、救世主じゃなくて、鬼柳京介という人間だったわ」

どうしてそれを認めないの。あなたって本当に卑怯。
 少年は青年になり世界を知った。青年は自立と共生を知った。青年は、少年であったときの過ちを知った。

「だから彼は、自分が英雄になったんじゃない」

ふたつ年下の青年は、誰かのヒーローになっていた。
 ヒーローは誰にも手を伸ばす。惨めに這いつくばる救世主の頬を撫でる。しかし、彼が迎えに来るのは、救世主でもなんでもなく、苦しんでいる鬼柳京介なのだ。あぁ惨め。情けない。鬼柳は彼を拒絶する。だがきっと、水面下で鬼柳は歓喜しているのだ。英雄の訪れを渇望しているのだ。
 なんて醜い。救世主が死に絶えて、ここにいる彼は間違いなく、人間の鬼柳京介だった。

「じゃあ俺は、どうしろと言うんだ……」

覇気を無くした鬼柳の声は、押し殺した感情にぶるぶると震えている。しゃんと背筋を伸ばした少女は、そんな鬼柳を射抜いていた。救世主でも英雄でもない、勝ち気で普通の、少し世話焼きな少女は、いつだって誰よりも強かった。

「だから、生きなさいって私は言っているの」










「今日、あなたの夢を見ました」

逃げるように旅に出た鬼柳が、この町にたどり着いたのは一週間前。そこで、昔の友人に似ているだのなんだのと彼女に絡まれたのが五日前。そうして無理に家に連れてこられた鬼柳は、滞在する間だけ、彼女の家に厄介になっている。元教師だという彼女は、自棄になっていた鬼柳を叱ってくれた、貴重な人間だった。
 まさか夢の中でまで叱られるとは、と鬼柳は珈琲を嚥下する。

「若い頃から、随分とお綺麗だったんですね、天上院先生」

そんな鬼柳の前で、老婆は優しく微笑んでいた。




タイトル:joy様より



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