十代、私あなたに、言えなかったことがあるの。
 遊城十代は振り返り、なんだよ、と口にする。彼は出会った頃よりも、幾分も大人になったような顔をしていたが、その姿には似合わない、優しい微笑をたたえていた。
 明日香はおもむろに口を開く。口の中は、不自然なほどからからに渇いて砂漠となる。十代は無垢な様相で明日香の言葉を待っていて、あぁ言わなければ、言わなければと思うほど、言葉は喉の奥へと吸い込まれて行く。
 十代、私ね、
 すると決まって、明日香はそこで目を覚ますのだった。




 遊城十代が帰ってくる。その一報は、海の向こうにいた明日香の元にも、電子メールという形で届けられた。

『意外ね。もう帰って来ないとばかり思っていたのに』

半分は皮肉であり、もう半分は本音である。その文字を、電気信号へと変換し送信する。メールの相手である丸藤翔の返信は早かった。

『僕もびっくりしたんス。でもアニキの方でも色々あったみたいで。みんなに早く土産話を聞かせてやりたいって、意気込んでたんスよ』

ますます意外だわ……。パソコンの前で明日香は額に手を当てる。確かに、会ったときから、読めない人だとは思っていたけれど。
 底冷えした2つの目が、未だ印象に残っている。彼自身は、他人を惹き付けるカリスマ性を誇っているのに、無感動な両の目が、容赦なく他人を拒絶した。相反する2つの要素を持ち得た彼は、危うげながらもやはり魅力的であって、そして一方、人ならざる者の恐ろしさがあった。明日香にとっての遊城十代は、その時点で止まっている。
 それが今さら何故。明日香の知っている十代は、知り合いに会うためだけに、異国の彼方からわざわざ飛んでくる人間ではない。

『十代の考えることは、私にはわからないわ。……ところで、亮の調子はどう?』
『ここのところは、発作もなくて安定してるんだ。同窓会にも、行ってこいって言ってくれて。……明日香さんは、こっちへ帰って来ないんスか?』

もしかしたら、明日香は帰国しなかったかもしれなかった。もし、十代が帰ってくる旨が、あと1日早く届いていれば、明日香は同窓会の参加を渋っただろう。しかし、明日香が決断を迫られる前に、答えは目の前に落ちてきたのである。

『兄さんが勝手に航空機のチケットを手配していたの。迷う間なんてなかったわ』
『吹雪さんも相変わらずっスね』

そのメールの文末には、汗をかいた顔文字がつけられている。それはそのまま、今の翔の表情を現しているのだなと思った。




 アカデミアの友人たちと会するのは、数年ぶりのことだった。世話になった教師たちに挨拶を述べ、ももえやジュンコたちと抱擁を交わす。懐かしい姿を見かけては声をかけ、久しぶりという言葉と共に、近況を伝えた。
 卒業生一同が集まるホールに、遊城十代の姿はなかった。
 会場で出会った翔に聞いたが、彼は十代の居場所はわからないと言う。密かに明日香は安堵していた。
 十代のことが、いつの間にこんなに苦手になってしまっただろう。彼は大切な仲間、そして、その仲間の中心であったはずなのに。 あの、人間味を失った彼の瞳が、明日香の喉元をしめつけている気がしたのだ。

「天上院くん」

振り返る。万丈目がグラスを持ち、どこか遠慮がちに佇んでいた。

「お酒は大丈夫かい?」
「ありがとう、もらうわね。……久しぶりね、万丈目くん。元気だった?」
「あぁ、おかげさまで。君の方は?」
「今は、教師を目指して勉強中。見聞が広がって、すごく楽しいの」
「意外だったな、君がそのまま留学先に残るだなんて」

淡い色のアルコールが注がれたグラスを傾ける。ほどよい炭酸が、喉を刺激しながら落ちて行く。体の奥が、じんと熱くなった。
 留学という選択肢に悩んだ在学時代がとても懐かしかった。未来に不安を抱かずにはいられなかったあの頃。それは、万丈目や翔もきっと同じだった。ただ違っていたのは、十代くらいで。
 あぁ、また。また明日香を、十代の瞳が射抜いている。明日香の身体は動けなくなる。
 卒業間際、彼とタッグを組んでデュエルをしたのち、彼はいつもの決めセリフを吐いて、笑っていた。しかしその表情も、どこか大人びていて。見せつけられている気がしたのだ。十代は、変わってしまった。それを成長と呼んで祝福するべきだったのか、今でも明日香にはわからない。
 彼に卒業後の不安を吐露したとして、十代はそれを鼻で笑っただろう。不自然に達観した言葉を向け、好きにしろと身を翻しただろう。しかし、以前の彼でも答えは変わらないに違いない。困ったように笑いながら、お前のやりたいことをやれよ、とそう言っただろう。それだけの違いだ。だが、それだけの違いがとても大きい。

「天上院くん、このあとの予定は、なにかあるかい?」
「いいえ、なにも」
「仲間内だけで二次会をしようと思うんだが、どうだろう」

ちらちらと、窺うように万丈目はこちらに視線を向ける。落ち着かないらしく、グラスを持つ指が、それぞればらばらに動いていた。
 翔は来るし、剣山たちも来てくれるらしい。留学組にも声をかけた。どこかたとたどしい口調で万丈目は告げた。そんな様子を明日香は微笑ましく思い、自然と口角は、ふわりと持ち上がる。

「いいわね、是非参加させて」

すると、万丈目ははっと顔を上げて、本当かと聞いた。明日香は肯定。途端、万丈目の表情はぱぁっと晴れるのである。ともすれば、ガッツポーズでもしてしまいそうな。この雰囲気が懐かしかった。

「ありがとう、天上院くん! 君が来てくれるなら、皆も喜ぶ!」
「私も、みんなと落ち着いて話がしたいの」
「十代のやつにも声をかけてやろうと思っていたんだが……。やつめ、どこをほっつき歩いている」

アルコールに火照った身体はひやりと凍った。じゅうだい、と小さく反芻してみる。万丈目はそれに気がついた風もなく、馬鹿だの自分勝手だの、十代への悪口を並べていた。
 万丈目に、飲んでいたグラスを渡す。ごめんなさい、と告げて。きょとんとした万丈目に、何でもないように言った。

「やっぱりお酒、強かったみたい。外で酔いをさましてくるわ」
「あ、あぁ……」

逃げるようにその場をあとにする。今は、彼のことは考えたくなかった。




階段に腰かけ、夜風にあたる。アルコールにはそんなにあてられていないけれど、頭の中が冷えていく心地がして、気持ちがよかった。
 街灯の少ない中を、誰かが歩いていた。砂利を踏む足音に、明日香はそっと耳をすます。いったい誰だろろ。自分と同様にアルコールをさましていたのか、遅れてきた参加者か。しばらくして暗闇に慣れてきた明日香の目に、赤い衣服が浮かび上がった。
 あの人を明日香は知っていた。立ち上がり、会場へ戻ろうとする。しかし、何故か足が動かない。吐息のような、声のような何かが漏れる。すると、赤い衣服のその人は、ゆっくりと顔を上げて――
 冷たい瞳に睨まれるかと思った。けれど、ホールから漏れた光の中で、明るい色の瞳は丸く開かれ、そして、笑った。ふにゃりと、子どものように。

「明日香!!」

予想外に、明るい声だった。
 明日香は何も言葉を返せない。ただ驚きと、動揺ばかりが広がって行く。赤い服を纏って笑う彼は、いったい誰だろう。だって、明日香の知りうる彼は、ひどく冷たい目をしていて、まるで自分らを蔑むような。
 明るく名前を呼ぶ彼など、とうに忘れたものであった。彼は他人から外れて、遠くの何かを見つめているような人だった。触れるのも躊躇うような、そんな異質なものを纏っていたのだ、遊城十代という人間は。
 十代は小走りにかけてきて、明日香に軽く手を振った。重いであろう荷物を肩にかけたまま、切れ長の瞳をほんのりと緩めた。

「明日香だよな? あぁ、懐かしいなぁ。卒業以来会ってなかったから、もう何年ぶりだ? 久しぶりだな!」

十代は大きく手をまわして、明日香の肩を抱こうとして、やめた。気まずそうにこぼれる苦笑。癖なんだ、と咎めてもいないのに彼は弁明を口にした。

「ちょっと欧州の方にいて……ほら、向こうって挨拶がさ……。サンマルコ広場ってとこの近くにいたんだ。明日香なら知ってるだろ?」
「え、えぇ……」

曖昧に頷く。問題は会話の中味ではなく、彼の態度だ。ひどく混乱する。目の前で朗らかに話す彼は、いったい誰だ。

「そこでも、精霊がどーのこーのって問題に巻き込まれてさ。無事に事なきを得たんだけど、あんときはさすがに死ぬかとおも」
「あなた、なにを考えてるの?」

十代の言葉を遮り、強く口にした。途端、十代は目を丸くして、呆然とこちらを眺めている。
 小さく唇が動いた。同時に、ぐっと眉が寄せられる。彼の喉に十分な空気が通っていたら、は? と発音されたことだろう。

「だってあなたは、変わってしまったじゃない。あなたは私たちから離れていった。寂しくて辛かったけど、それが、アカデミアの三年間を経ての遊城十代なんだと思った。そう思って割りきったのよ。ありのままを受け入れるのが、仲間として私ができることなんだって、それなのに!」

視界は何故か潤んでいた。語気を荒げたまま、激しく十代へと詰め寄る。

「それなのに、今さらなんなの! どうしてあなたはそうやって、かつてのように笑っているのよ! いったいなにがあるって言うのよ……っ、あなたは、なんで……! 十代、私、あなたがわからないわ。なんで、なんで、あなたはいつも、そうやって……!」

せっかく纏めた長い髪も、明日香の指先に絡んで、ほつれていった。自分がなにを言っているのか、そしてなにを言いたいのかわからない。ただ、十代に激しい憤りばかり感じるのだ。彼はいつだってマイペースで、自分勝手だ。

「なぁ、明日香! 俺さ、遊戯さんとデュエルしたんだ!」
「……え?」

しかし、その勢いは削がれてしまう。再び彼の、その奔放さによって。

「一回目はな、遊戯さんと、それから遊戯さんに宿るファラオの魂とデュエルしたんだ。すぐに生け贄揃えて、オシリス召喚されて……。やっぱな、とにかくすげぇんだ、遊戯さんてデュエリストは!」
「ちょっと待って十代、私、話が見えな」
「二回目はなんとタッグを組んだんだ! もうさ、遊戯さんがいるだけで百人力だよな! 俺、すっげー楽しかったんだ! ブラマジも、ブラマジガールも生で見られてさ! もちろん、俺も全力だったんだぜ? でも、遊戯さんの戦術を見ると、やっぱりかなわないなぁ、って思うんだよなー」

そんな人が俺の隣にいて、アドバイスをくれたり、励ましてくれたり、褒めてくれたりする。ときには頼ってくれたりなんかする。そのとき、俺はすっげぇ幸せで、すっげぇデュエルが楽しいって思うんだ。
 あぁそれからな、シンクロ召喚て知ってるか? 未来に存在する、モンスターの召喚方法なんだって。それがまた、すごくかっこいいんだ!
 遊星は未来から来たやつだった。デュエルがすごく強いのに、なんだか謙虚なやつでさ。シンクロ召喚なんて、かっこいいことをやってのけるくせに、自信がないんだよな。でもなんか、そういうとこが長所、みたいな。後輩と接してる気分だったよ。
 遊戯さんや遊星とのデュエルは最高だった。なんだろう、強いだけじゃないんだよな。人柄? ああいう人たちのことなんて言うんだっけ。ほら、語感は悪いけど、すごくいい意味で……。あぁ、そう、クレイジー?

「クレイジーはあなたの方よ!!」

明日香が怒鳴ると、十代はまた呆然と口を開けた。大人びた顔つきに、再びの幼さが宿る。目を大きく見開いて、きゅ、と肩を竦めた。
 一拍も置かずに、明日香は、目の前の十代に詰め寄るのだった。

「だから……っ!、あなたは、どれだけ言ったら……!」

一度深く息をする。途端、明日香を包んだのは巨大な脱力感だった。熱くなった目蓋に手を当てる。
 おそらくは、十代という人間は、昔からこういう人間であった。時が流れ、様々なことを経験した。そして十代は成長し、また、明日香も変わったのだ。
 座り込みたくなるのを抑え、手を当てたまま明日香は言う。

「十代、私あなたに、ずっと言えなかったことがあるの……」
「お、おう、なんだよ」

明日香はきっ、と顔を上げる。情けない色は、既にそこには存在していなかった。

「その自分勝手なところは直すべきよ!」
「はぁ!? なんだよ藪から棒に!」
「藪から棒じゃないわ! あなたの奔放さに、どれだけ振り回されたと思ってるの!?」

その奔放さに律儀について行って、勝手に失望した自分にもほとほと呆れた。
 相づちをうたせる間もなく明日香は続ける。

「よーくわかったわ十代。私ってきっと物好きなの。馬鹿みたいに」
「明日香が馬鹿なら俺はどうなるんだよ」
「だから言ったでしょう」

明日香は十代の腕を掴んだ。しっかりと手に馴染む感触。あぁ懐かしい。
 明日香は笑う。制服を着ていたころと同じように。すっかり忘れていたものであった。共に過ごした三年間、明日香は幸福だったのだ。

「あなたはクレイジーなのよ」

なんだよそれ、と呆れた顔をする。そんな十代の腕を引く。
 翔や万丈目たちとどんな話をしようか考える。十代を見た彼らは、相変わらずだなと笑うだろう。呆れたように言って、かつてのように肩を組むだろう。まるで何事もなかったかのように。しかしその実しっかりと、彼の変化を受け止めたうえで。そして――

(そんなあなたに付き合う私も、本当に馬鹿だわ)

 彼らはようやく、乗り越えたのだ。



問ひたまうこそこひしけれ(島.崎藤.村/初.恋 より)



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