「ごめんね。君に危害を加えるつもりはなかったのだけど」

随分と落ち着いた声だった。とっさに遊星が振り返れば穏やかな微笑みが彼を包む。

「遊戯さん……」

彼の視線の先で、武藤遊戯はただ微笑んだ。
 そこは広く白い空間で、いつの間にか城は完全に消失していた。覇王が支配した、あの重苦しい空間は白に呑まれたように消え去って、破片すら見当たらない。
 殺風景なその純白の中で、遊戯はたおやかに座っている。遊星にはそこには何も無いように見えるのだが、どうやら彼は、椅子か段差に腰掛けているようだった。

「ただ、僕は知ってほしかったんだよ。人間には、世界には、色んな一面があるってことを。覇王十代もまた、否定しようのない、遊城十代という人間の一部なのだから」

「じゃあ、あなたが俺をここに連れてきたのですか? 覇王や十代さんの言っていた、友というのはあなたのことだったんですね」

「ちょっと強引だったかな。でも放っておけなかったから」

どうして、何故、どうやって、そのようなありふれた問いは無意味に思えた。遊戯の笑顔が答えの全てであるような気がしたし、その笑みに全て誤魔化されそうな気もした。だから遊星は、目の前の事象を真実として受け入れることにした。遊戯がここにいることも、自分がここにいることも、おそらくは起こるべくして起こった出来事なのだと。
 遊星は遊戯を見下げる。相変わらず、遊戯は物柔らかに遊星の瞳を見つめ返している。

「覇王も言っていたように、君の目はちゃんと見えているんだよ。君が目を背けてしまっただけで」

遊星は自分の目蓋に手をあてる。盲目のときとなんら変わらない感触。この目は見えているのだと、にわかには信じられない話だ。現に遊星の視界は、しばらくの間光を失っていたのだから。
 遊星の視線の先で、遊戯は安心させるような表情をする。ああ、自分は情けない顔をしているのだなと、遊星は自嘲するかのように思うのだった。

「だから、僕は君にこの世界を見てほしい。受け入れるか、拒絶するか、それは君の自由だけど」

「俺は目を背けたつもりはありません」

「君はたまに悪い癖が出るんだ。これも覇王が言っていたでしょう? 君は他人に理想を押し付けるときがある。その人の弱い一面を否定してしまう」

「そんな、ことは」

「鬼柳はそんなことをする人間じゃない。自分の父親はそんなことするはずがない。この世界がそんな悲惨な運命をたどるわけがない。だからお前の言うことは全てデタラメだ。……心当たりがあるでしょう?」

それらは全て、遊星自身が他者に向けた言葉であった。口をつぐんで下を向く。言ったことは記憶に新しい。だがそれが、自身の視力を奪うなどと。

「覇王のときもそうだったね。あれは紛れもなく十代くんの一面だよ。明るい彼にも影はある。人間も世界もそう。光と闇両方を兼ね備えている。君にはそれをちゃんと見ていてほしい。そうしなければきっと君の未来は救えない」

「でも、遊戯さん、俺は……」

落ちた遊星の視線は、自分の握った拳を見つめる。いつの間にか彼の手はがたがたと震えていて、切なる恐怖を訴えていた。
 怖かったんだな、とそこでようやく遊星は気がついた。一度、ゼロリバースという事故を受け止めようとした心は、世界が滅ぶのだという事実に耐えられなかったのだ。そして身体は心を守るために、世界を見ることを止めた。

「大丈夫だよ、遊星。君には仲間がたくさんいるじゃないか」

顔を上げた先では遊戯が柔らかな表情をしている。遊戯、が……? 遊星は遊戯の言った言葉の違和感にふと顔をしかめた。

「遊戯さん……あなたは、誰ですか?」

「……どうしてそんなことを聞くの?」

「遊戯さんは俺を呼び捨てにしません。それに、これは今気がついたことですが、俺をここへ導いたのが遊戯さんだとしたら、十代さんが遊戯さんのことを、君の友、だなんて呼ぶのはおかしい。そもそも、遊戯さんが俺の父さんや鬼柳を知っているはずがない。だって、遊戯さんと俺はそもそも生きている時代が違うのだから。……あなたは、誰ですか」

ふと、遊戯の姿をした彼は息を吐いた。そしてゆらりと立ち上がる。そしてその瞬間、ごうと凄まじい風が遊戯の背後から巻き起こった。とっさに遊星は腕を交差させてその強風をやりすごそうとする。その風の中でなんとか目を開くと、遊戯の皮膚がぺらぺらと剥がれて、別のなにかへと変貌しようとしていた。信じられない光景に、思わず彼の瞳は見開かれる。

「確かに、武藤遊戯の姿は仮初にすぎない。でも、」

光に包まれたソレは言った。その姿はもうなにとも形容し難い姿になっていたが、性別も年齢も不詳なその澄んだ声は、風の中でも、不思議と遊星の頭に心地良く響いた。

「ぼくは(おれは)(わたしは)、ずっと君のそばにいたよ、遊星」

風が止む。しんとあたりが静まりかえる。更に大きく見開いた潤んだ遊星の瞳の中に無数の星屑が散っていた。

「スターダスト……」

遊星の目の前にいたのは、星屑を纏った白銀の竜だった。




そして遊星は目を覚ます。途端、涙で潤んだような声が鼓膜を揺らした。
 遊星、遊星、と迷子のように肩を揺らしている。太陽の光がまず飛び込み、そして少し目を細めた先で彼女は泣きそうに顔を歪めていた。

「アキ……?」

呼ぶと、アキはハッと目を丸くして、ああよかったと、また別の意味で涙を零しそうになるのだった。

「よかった! 遊星、目を覚ましたのね! お友達が来てるって聞いていたのだけど、具合が気になって、そしたら、あなたがひとりでベッドに倒れているじゃない。全然目を覚まさないから、私心配で……!」

おそらくアキは、いつものように学校帰りにここに立ち寄り、そして遊星を発見したのだろう。彼女の話によると、ここでずっと気を失っていたようだ。
 少し眩暈がしたが、たいしたものではない。遊星は幾度か瞬きを繰り返し、動く自分の手を見つめてから、心底不安で仕方ないといったアキを見上げた。

「俺は大丈夫だ。だから、そんな顔をするな」

穏やかにそう言ってやると、アキはほっと頬を和らげたのも束の間、すぐに、驚いたと言わんばかりに猫目の瞳を見開いた。そして彼女は、歓喜にうち震えた高い声で半ば叫ぶように言うのだった。

「遊星、あなた私の顔が見えているの!? 目が見えているのね!?」

遊星が横になるベッドの上に、カードが一枚零れ落ちていた。彼はそれを拾い上げる。そして彼は、いつかのように優しく微笑んだ。

「ああ、よく見えているよ、アキ」

彼の手の中では、星屑の竜が輝いている。





非現実に絆される
end


「ガラス玉の太陽」の『無』-騎跡様と同じテーマで書かせていただきました。
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