ふと気がついたとき、遊星は城にいた。禍々しい雰囲気に包まれた異形の城だ。暗闇に支配されたようなその城は、しんとして、不気味なほどに冷え切っていた。
 どうしてこんなところにと疑問に思ったところで、彼ははっとする。目が、見えている。手を持ち上げて自分の前に掲げてみる。開閉を繰り返す自分の指が、以前のように鮮明に見えた。
 すると様々な疑問が一遍に流れ込んだ。どうして自分はこんなところに、どうして目が見えているのだろう、ここはどこだろう、自分は部屋にいたはずではなかったか、十代はいったいどこへ。しかしそれらの疑問は、彼方に視線を巡らせても解決するものではなかった。
 見るに、ここは廃城のようであった。廊下にはまだ艶があり綺麗であるが、一方で人が歩いた気配が無いとも言える。ところどころに設けられた燭台には、火が灯らなくなって久しいのだろう。しんと沈黙の落ちた城は、遊星が盲目の中に見つけた暗闇によく似ていた。




 無人に思われる城を遊星は歩く。彼はひとりであるが、孤独感は無い。取り巻く空気は、それまで遊星を取り巻いていたそれと酷似しているのだから。恐怖感は無い。闇の心地よさを彼は知ってしまったのだから。
 ゆるく螺旋を描いた階段を上った。かつんかつん、と堅い音が反響していた。確かに、この城は既に役目を終えたものであるのだろう。城はずっとここで眠りに沈んでいて、しかし今、再び目蓋を持ち上げようとしている。ならば、今この城の役目とはいったいなんなのだろうか。無機質で、不気味であるともとれる城の内装が、尚のこと遊星の思考を助長させているのだった。
 階段を上りきった先にあったのは、異様な空気を孕んだ巨大な両開きの扉だった。その威圧感に圧され遊星は息を呑む。ともすれば、背を向けて走り出したくなるような。膝から崩れ落ちるかのような。
 その扉の向こうから人の気配がした、否、人かどうかなどわからないが、その扉の向こうには確かに、何者かが存在していた。そして、遊星がそれを認識するのとほぼ同時、ごう、と風を巻き込みながら扉は開く。まったく予期せぬ出来事である。遊星がそれにあっ気に取られているうちに扉は完全にその口を開き、引き寄せられるように遊星はその部屋に足を踏み入れた。




 天上の高いその部屋は、おそらくこの城の最上階だろう。その部屋にはバルコニーがあって、そこだけはぼんやりとした光に照らされていた。バルコニーに面した外は、遊星の知っているそれと違って、まるで明るくないのである。世界ごと闇に沈んでいるのだった。
 バルコニーには、闇に染まった世界を見下げる後ろ姿があった。扉の外から感じた気配がその人のものであると気付く。それは、細い身に黒の上下を纏って身動きもせず外を眺めている。扉が開いていることはわかっているはずなのに、その人はちらりとこちらを向こうともしない。
 遊星は、その後ろ姿に既視感があった。後ろに流れて少し癖のついたあの栗色の髪は。

「十、代さん……?」

こつんこつんと、音を立ててその背中に近づく。その足音は最初は遠慮がちに、そして次第に力強いものへと変わっていく。

「十代さん! 俺はいったい、どうして……」

その背中は途端にくるりとこちらを向いた。ああやはり彼であったと安心したのは刹那。あと数歩で触れられるという位置で遊星は足を止めた。おかしい。彼をとりまく雰囲気がまるで違う。今目の前にいる人物は顔こそ同じであるが、致命的な部分で欠落している。何より、足が竦んで肩が震えるような恐怖感はどう説明すべきであろう。知っている十代とは、真逆だと言っても過言ではない。
 目の前の男は無表情のまま。だが、その黄金の瞳は嘲笑うかのように細められ、表情も無く彼は笑ったかのようだった。
 黄金……? 遊星は疑問を抱く。十代の瞳は髪と同じ、明るい色であった筈だ。それが何故、人間味を失ってしまったかのような目をしているのだろう。防衛本能が働いてか、無意識のうちに遊星は彼と距離を取っていた。警戒と確信を孕んで、遊星は目の前の男に言う。

「あんた、十代さんじゃないな?」

「十代さん、か、やつも立派になったものだ」

くつくつと彼は笑う。嘲るように、嬉しそうに。その顔には似合わぬ表情で遊星を侮蔑する。十代によく似た彼は、十代よりも冷徹に低めた声で言った。

「我が名は覇王。そして、お前が探している遊城十代だ」





この人はいったいなにを言っているのだろう。遊星にはわからない。見えているのに、わからない。答えはそこにあるはずなのに、遊星にはそれがとてもおぼろげで、霞んで見えた。
 はおう? と遊星は繰り返す。遊星の知る十代とは、縁の無いように感じる言葉だ。それも、目の前の彼、覇王が纏う空気から察するに、それは決して語感のいい言葉ではないのだろう。

「どういうことだ。あんたは覇王と呼ばれる存在で、また十代さんであるというのか? デタラメを言うな!」

「理解できぬか。まぁ、当然だろうな」

「……十代さんはどこだ」

遊星の藍色が覇王の黄金を貫く。視線が合致した途端、遊星の背を冷たい汗が伝った。無感動な覇王の瞳が見下ろしている。絶対的な力を誇示するかのように。もし、遊星がこのまま殺されてしまったとしても、なんら不思議なことでもないのだろう。覇王の前では、弱者は容赦なく叩きのめされる。それが至極当然な摂理に思えた。
 それでも、遊星は覇王から視線をそらすことはなかった。ただ、十代を助けたいが故に。しかし覇王は、必死の彼をも嘲笑うのだった。

「先刻から目の前にいるだろう。折角見えるようにしてやったその瞳も、能なしではまるで意味がないな」

「見えるように……?」

「そう、貴様の目に一時的に光を宿したのは俺だ。もっとも、それはこの空間だけの話だがな」

「……何故そんなことを。俺が視力を無くしたのとあんたは、何か関係があるのか?」

「くだらん。俺には貴様に干渉している暇などない。見えるようにしてやったのは、単にそれが十代の望みだからに過ぎん」

つまり、十代と思考や肉体を共有しているが故に覇王もそれに従わざるを得ないと。しかし遊星にはますますわからないのだ。覇王と十代の姿はあまりにもかけ離れすぎている。その二つの影を、いったいどうしたらイコールに繋げるというというのだろう。それに、覇王の言い様ではつまり、覇王と十代が同一存在でありながら別存在であるという矛盾が生じるではないか。十代が一時的に遊星に視力を与えたのも意図の掴めぬ話だ。一時的な光など、遊星には無用の代物だ。仮初の存在がいかに残酷であるか、十代も知らぬわけではないだろうに。
 妙な怒りが自身を包んでいた。わからない。全部。どうして? 見えているのに。




 遊星は覇王に歩み寄った。恐怖心などとうにかなぐり捨てて、覇王の肩を掴んで、押し倒す。彼の下半身を自分の身体で押さえつけ、胸倉を掴んで上半身だけを持ち上げる。覇王は一瞬だけ不快に目を細めたが、他は目立った抵抗もせず、ただ息を荒げる遊星を見上げていた。無感動な黄金は、心底藍色を軽蔑しているように見えた。

「十代さんを返せ……!」

「何度も言わせるな、煩わしい!!」

覇王の感情が露わとなり、がっと、凄まじい力で胸倉を掴み返された。ひそめられた眉は嫌悪と憤怒の象徴か。

「遊城十代の心の闇から生まれたのが覇王という存在だ。それは虚像などでも逃避などでもない。俺もまた遊城十代であり、覇王は十代の心の側面だと言っていいだろう。これでわかったか小童めが!」

「そんな話を信じろと? 十代さんはあんたみたいな人じゃない」

「貴様は十代の何を知るというのだ。所詮貴様は人の一部分しか見ていないのだということを知れ。貴様は自分を貶め他人を崇拝し、その他人に理想を押し付ける傾向がある。そのモラトリアムが貴様から視力を奪ったのだ」

「なに……? どういう意味だ」

くつくつと覇王は笑った。全てを悟ったように。不快だ、そう思い遊星は顔をしかめる。こんなに他人に嫌悪を抱いたのは久しぶりかもしれない。そしてますます、同じ顔をした覇王が、十代と同一存在であるとは信じられなくなるのだった。

「医者にかかっても原因がわからない。病気でもない。ならば見えない理由はひとつだ。貴様自身が見ることを拒絶しているのだ。光を恐れるが故に」

「なにを言って……っ」

「否定しきれるか? 現にお前は闇に安心感を見出した筈だ。凡人が恐れるそれをひと時でも愛した筈だ」

「違う……」

「ああ、その気持ちならよくわかるぞ。俺は闇から生まれたからな。この闇に満ちた世界が心地よくて仕方がない。貴様もそうだろう?」

「違う!」

「十代は誰しもに光と闇があることに気がついた。そしてそれらに絶望しながらも全てを自身の中に受け入れた。貴様はどうした? このまま目を閉ざしているか? それとも」

瞬間、景色がぐるりと変わった。遊星がはっと息を吸う間に、覇王の黄金のまなこが遊星を見下ろしていた。
 恐ろしい。再び恐怖が遊星を取り巻いた。殺されるとすら思った。覇王の存在は絶対的であるのだ。闇の支配者は、闇の恐ろしさを示している。遊星の見つけた暗闇の安息が浅はかな物であると嘲笑している。

「それとも、このまま闇に呑まれるか?」

覇王の後ろで、まがまがしい何かが渦巻いていた。黒い靄のようなそれは、大蛇のようにじわりじわりとこちらへと這ってくる。遊星は恐怖した。ひぃっと引きつった情けない悲鳴が喉から零れ落ちる。怖い。怖い。自分が暗闇で縋ったのは、こんなものではなかった。

「逃げた先に必ずしも安息があるなどと思うな」

平淡な声が残酷に遊星に降り注ぐ。ああ、これが本当の闇かとどこか冷静な頭で彼は思った。目の見えなかった自分が絶望して閉じこもったのは、所詮は自分の世界でしかなかったのだと思い知らされる。
 大蛇は舌舐めずりをして遊星を取り込もうとする。審判を下すように覇王はそれを見下げている。遊星の思考にあるのはただ仲間の顔で、もう一度だけでも彼らの笑顔を見たかった、などといったことをぼんやりと思うのだった。




 覇王がはっと身を引いたのはそのときだった。彼は立ち上がり闇による遊星の拘束を解く。舌を覗かせていた大蛇はいつの間にか姿を消しており、覇王の双眸は、煩わしいとばかりに細められているのだった。

「……ほんの冗談だ。ただ、闇がどういうものか、こいつに教えてやっただけだ」

まるで弁解するかのように覇王は不機嫌そうな声音で告げる。おそらく彼は遊星以外の誰かに話しかけているのだろう。しかし、いったい誰に。ここに、遊星と覇王以外の影はない。腕の痣が光っていないことを考えると、赤き竜が助けてくれた、ということでもないようだ。
 ちっ、と覇王が舌を打った。

「貴様の友に感謝するんだな。もともとそいつさえいなければ、こうして俺が世話を焼いてやることもなかったのだからな」

「俺の、友……? いったい誰のこと言って」

そういえば、十代もそんなことを言っていた気がした。十代を呼び、覇王と引き合わせた友とは誰なのだろう。遊星に心当たりはない。
 途端、覇王は身を翻しかつかつと音を立てて歩き始めた。もう用はないとその背中が言っている。細身でありながらその後ろ姿に隙は無く、闇を従えて歩くだけの威厳があった。
 待て、と遊星は覇王を追って立ち上がる。彼にはまだ聞きたいことがあった。ここはどこなのか、どうしたら元の世界へ戻れるのか、そして、友、というのは果たして誰のことか。覇王の背を目指し、一歩足を出したその瞬間。覇王は、消えていた。否、景色がぐるりと変わった。
 遊星はまた、違う空間に身を落としていた。

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