※91、92話前後捏造
※クロウと鬼柳


 熱い。机に額を押し当ててクロウは唸る。熱い。とにかく熱い。
 夏の真ん中。いわゆる盆と呼ばれる時期。暦の上では残暑と呼ぶそうだが、この酷暑はどう考えても残暑などではない。
 もしかしたら、ずっと昔のこの夏は、今と比べるよりもっと涼しかったのかもしれない。8月の中頃を過ぎれば、秋がほんの少しだけ顔を覗かせたのだろう。しかし今クロウの過ごす夏はどうだろうか。太陽は容赦なく彼の背を焼いた。

「あっちぃ……」

部屋にいるだけなのに、シャツの中はもうびしょびしょで、首筋には、つぅと幾本もの汗が伝っていた。一般住宅とは造りの違うガレージは、熱気がこもってひどく蒸し暑い。
 ここへ住居を移したとき、三人で金を出し合ってエアコンを買った。そうでなければ、夏は外より暑く、冬は格段に寒いガレージで過ごすことなど出来ないと思ったから。省エネ機能を兼ね備えたエアコンは皆の人気者で、特にジャックは、エアコンの風が一番よく当たるソファの上をまるで玉座に座るかのように独占していた。
 しかし、今クロウがそのソファに身を置いてみても、涼しい風はこれっぽっちも当たらない。
 エアコンが壊れたのは、ちょうどお盆の初日。太陽が一番高く登り、気温が飛躍的に上昇する時間だった。スイッチを押してもエアコンは素知らぬ顔をして、ジャック共々絶叫したのは記憶に新しい。修理に出そうにも、この盆休みに通常営業している電気屋など無く、やっと見つけたと思ったら、部品を製造している方の会社が盆休みだから修理は出来ないと言われた。なんというタイミング。思わずクロウは携帯電話をソファに投げつけた。
 本来彼らは電気製品等の修理には事欠く筈が無いのだった。同じく住居を共にする遊星は、そちらに関してはめっぽう強く、新エンジン製作の傍ら、修理屋として働く側面もあった。
 しかし、その遊星は奇しくも、その日の午前中に外出していたのである。お盆だから二、三日休みが欲しい、などと似合わぬ事を口にして。クロウがそれに許可を出せば、彼はそそくさとDホイールに股がり、急いだ様子でガレージを飛び出したのだった。余程急用でもあったのか、行き先も告げずに。
 それから今日で二日。遊星は帰って来ない。連絡もない。ついでにエアコンも直らない。
 ジャックはとっくに向かいの涼しいカフェへと避難していて、クロウもそうするべきか悩んだが、結局ガレージに留まることにした。クロウは、新エンジンの開発費用のために盆休みも取らずに働いているし、宅配業故に、いつ仕事が入るともわからない。ならばどこかに出かけているより、家にいる方が賢明だった。
 ただ問題は、茹だるようなこの、暑さ。

「遊星……どこ行ったんだよあいつ……だいたいよ、あいつはいつも、大事なことはなーんにも言わねぇんだから……っとによぉ」

熱さ故に、クロウの不快度指数は上昇し、愚痴ばかりが口をつぐ。
 思えばあいつはいつもそうだ。ジャックが裏切った(本人は裏切られたなんて思ってないだろうが)ときも、俺には何も言わなかった。自身の親がゼロリバースに関わっていたのだと知ったときだってそう。鬼柳のときだって……。

「鬼柳、か……。」

懐かしい響きに、思い出されるのは楽しかったあの刹那。どんなに暑かろうと寒かろうと、馬鹿みたいにはしゃいだあの頃が懐かしい。
 思い出した瞬間、ぞくりと、心臓に冷たいものを押し当てられた気がした。楽しかったのはあの一瞬。その瞬間は悲惨な破滅を迎えた。何もかもを、巻き込んで。
 遊星は、鬼柳を殺してしまったのは俺だと言った。そうではないとジャックは言った。自分もそう言った。鬼柳を、殺してしまったのは。
 ダークシグナーとして復活した鬼柳が、遊星の手の中で砂となって消えるとき、「お前を憎みきれなかった」と言った。遊星だって、鬼柳を裏切る筈がなかった。最初から二人は、少しもすれ違ってなどいなかった。そんな二人を、決別させて、しまったのは。

「俺、じゃねぇか」

耐えられなかった。幼き頃、デュエルによって救われた自分が、デュエルによって子どもを苦しめることが。鬼柳とは、もはや意見が違うという次元ではなくて、相容れることなど決してないのだろうと背を向けた。
 言い訳にしかならないかもしれないが、鬼柳を追い詰めるつもりなんてなかった。むしろ鬼柳の方が既に仲間を必要としていないように思えた。そして自分は決して、鬼柳を嫌いになったわけではなかった。
 けれど運命は思わぬ方に転がり始めて、酷いかたちでセキュリティに捕まった鬼柳は、遊星を恨んだまま獄中死を遂げた。最後まで友として側にいた遊星を。遊星がそんなことする筈なんてないのに。それは一番、鬼柳自身が知っていたのに。

「馬鹿だよな、あいつ」

恨むのだとしたら、俺だろう。他人事のように、そしてごくごく自然のようにクロウは思った。
 あのとき自分が、もう少し冷静に話をしていれば、結末は少しだけ変わっていたかもしれない。

(無理だろう。あの鬼柳と冷静に話し合いなんて)

しかし一方、心の底でうんざりするほど現実主義な自分がそう言い捨てる。
 そうかもしれない。本当のところ、鬼柳とまともに言い合える自信が無かった。きっとどちらかが壁を殴って飛び出していただろう。けれど、それをやってみたのだとしたら、もしかしたら、鬼柳は死ななかったのかもしれない。少しは意思が通じたのかもしれない。肩を組んで笑い合った過去は、嘘でも幻想でもないのだから。
 鬼柳は冷たい男だった。優しくないだとかそういう意味ではなくて、低血圧で体温が低く、夏は少し羨ましかった。
 あるとても暑い日。プレート状に加工された氷を工場から拾ってきたことがあった。汚いというのに、鬼柳はべたべたとそれに触って、あろうことかその手をクロウの襟に突っ込んで、ひんやりとした手を背中に押し当てたのだ。当然クロウは素っ頓狂な声をあげて、鬼柳はケラケラと声をあげて笑っていた。
 そのときは勢いに任せて怒ったが、少ししたらその冷たさが恋しくなって、鬼柳、と友の名を呼んで、おもむろにその手を握った。低血圧な友の手は、未だひんやりとして気持ちがよかった。あぁ、羨ましい。
 今日限定でお前大好きだわ、と言うと、鬼柳は一瞬目を丸めたあと、なんなら一緒に寝てやろうか? とにやりと頬を吊り上げて笑った。気持ち悪ぃ! とクロウも笑いながら鬼柳を突き飛ばして、お前ひっどいな! とまた鬼柳は声をたてて笑った。楽しかった。
 エアコンの効いてない部屋の中はとても暑い。あの手が恋しい。心地よく冷えたあの手が。

(会いてぇな、なんて)

そしてクロウは自嘲の笑みを浮かべた。

「馬っ鹿じゃねぇの」

切り捨てたのは、自分だったのに。
 やはり暑さは深刻なようだ。仕事よりも我が身を案じ、クロウは立ち上がった。ジャック同様に、どこかへ涼みに行こう。なるべく金がかからないところがいい。
 身支度をして立ち上がり、携帯電話をポケットに突っ込んだところでふと思う。一応、もう一度遊星に連絡しておこうか。連絡がついたら居場所を聞いて、怒って、それからエアコンが壊れた旨を話しておこう。
 携帯電話を取り出して、リダイアルで電話をかける。駄目で元々であったが、長い呼び出し音のあとに遊星は電話に出た。二日ぶりだった。

「! 遊星てめぇ! 連絡も寄越さずどこほっつき歩いてやがる!」

『すま……い。……が……いて』

がざがさと雑音ばかりが届く。いったい彼はどこにいるのだろう。電波が悪くて何を言っているのかさっぱりわからない、と告げると、少し場所を変えたらしく、話がわかる程度には声が聴こえてきた。

『……聞こえ、か?』

「さっきよりはな。どこにいるんだよ、遊星」

『クラッ、タウンだ』

クロウは目を見張った。クラッシュタウンといえば、シティから随分離れた荒野の町だ。シティにも、サテライトにも身を置く場所が無い者が集まる地だと聞いたことがある。物資も治安も、以前のサテライトと同等かそれ以下だと聞く。
 何故遊星はわざわざそんな場所に。追求しようとしたクロウの口を、遊星が告げたひとつの名が塞いだ。

『鬼柳、が』

(鬼柳が……?)

頭が混乱する。何故今さら鬼柳の名が出てくる。鬼柳はダークシグナーから元の人間として復活したあと、逃げるかのように旅に出た。遊星は鬼柳と和解してよかったかもしれないが、クロウやジャックは、あれ以来なにも言えずに距離を置いた。
 そんな彼が何故今さら、クロウの生活に、人生に、関わってくるというのだろう。

『手紙がとどい……だ。きりゅ、がこの町……いる……。この町に殺さ、てしま……と。だから俺は鬼柳、助けに……。だが、これが、なか複雑なこと……なって……。……しばらく帰れそうも……。だが、俺は、なんとし、でも鬼柳を……っ!?』

「遊星? おい、遊星!」

不審な音がしてから、電話の向こうは全て雑音に変わった。未だ電話口に相手がいるとは思えずに、クロウは舌を打って電話を切る。
 ほら、遊星は、大事なことをいつも言わない。
 丁度その時、玄関が開いてジャックが帰ってきた。ジャックはガレージの蒸し暑さに思いきり顔をしかめて、遊星はまだ帰らんのか! と吐き捨てる。そんな彼に、クロウはジャックのヘルメットを投げつけた。

「おらぁ! 出かけるぜジャック!」

「は?」

一方ジャックは、わけがわからないという顔をして、間抜けな顔だなぁ、と思いつつクロウはエンジンをふかす。
 とりあえずヘルメットを被り、同じくDホイールに跨がったジャックが乱暴に言った。

「待てクロウ! 貴様どこへ行くつもりだ!」

「決まってんだろ、クラッシュタウンだ!」

部屋の中はひどく暑い。熱中症でも起こして倒れてしまいそうだ。荒野の中の町はもっと暑いかもしれない。
 それでもクロウは向かうのだ。あの冷たい手を、もう一度掴むために。

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