※学パロ

 半分夢の微睡みに沈んだまま、鬼柳京介は拾い上げた目覚ましの音で目を覚ます。
 窓から射し込んだ光に目を細め、昨夜の夜更かしを憂いながら髪をかきあげた。大きな欠伸を吐き出すと、体内の空気が朝のそれと入れ代わるのを感じる。
 彼の脳内は未だ幻想に沈んだままである。どこまでが夢で、どこからが現実なのか、その境界線を明解にするところから彼の朝は始まる。そしてぼんやりとした視界の中で、今は何時かと、ようやく現実味を帯びた思考へと切り替わるのだった。
 携帯電話で現在の時刻を確認する。そしてその数字の羅列を認識した途端、彼の意識は唐突に浮上した。やべぇ、と無意識に呟いて、大きく布団を広げ、ベッドから跳ね起きる。壁にかかる制服を引ったくるように取ると、脳内を循環するのはずいぶん遅くなってしまった就寝時間への後悔だ。
 鬼柳京介の趣味はころころと変わる。一時は企業へクレームをつけることであったし、一時はウィンドショッピングという名の冷やかしであった。もっぱら最近彼が熱心なのは、SNSでのコミュニケーションである。
 もっとも、彼はそこで友人を作るのが目的でも、遊びの恋人を作るのが目的でもなかった。
 SNSには多くの人間が集う。その中には出会いを期待している者も少なくない。彼はそんな男たちに女を装って近づくのだ。少し期待感を持たせてやると、媚びるように擦り寄ってくるのがたまらなくおかしい。昨夜も三人の男を相手にしているうちに、あっという間に夜が更けてしまっていた。しかし今思えば、そんなくだらないことに睡眠時間を削るよりも、明日に備えて寝ていた方がよっぽど利口だった。
 簡単に制服に着替えた彼は、ばたばたと足音を立てて洗面所へと向かう。なんで起こしてくれなかったんだ! などと叫びたいところであったが、生憎彼は独り暮らしであった。
 被るようにお湯になりきらない水を浴びて、寝癖を直すついでに顔も洗う。そうしながら、朝食はどうしようかと考えて、タオルで髪を拭きながら、その辺にあったバナナ一本で済ますことにした。だが、健全なる男子学生の腹はその程度では膨れない。また今日も空腹に喘ぐことになるのかと、彼の気分は憂鬱に沈んだ。
 もちろん、学校をサボることは可能である。幸いにも彼はそういったことをなんの躊躇いもなく行ってしまう生徒であった。しかし、彼を学校に向かわせるのは一重に、待ち合わせをしている友人のためであった。
 バナナを平らげた直後に歯を磨く。バナナの甘味と歯みがき粉の苦味が混ざってなんとも不快だ。口の中を洗浄しても、まとわりつくようにそれが残るのだから尚更だ。
 鞄をひっつかみ、履き潰したスニーカーをひっかけるとぶつかるようにドアを押し上ける。慌てていても、ドアに鍵をかけることは忘れない。髪の毛は走っているうちに乾くだろう。
 学校までの道を走り抜ける。登校のピークを過ぎた通学路は静かなものだ。そして――




 太陽の光を感じて、不動遊星は目を覚ます。あぁ、今日はいつもの悪夢を見なくて済んだと安堵しながら、彼は枕元の携帯電話へと手を伸ばす。パチ、と気味のいい音を響かせてそれを開くと、起きるには少しばかり早い時刻であった。
 しかし、もう一度意識を放すには些か心もとない時刻であったから、そのまま彼は身を起こした。口に手をあてながら欠伸をし、昨晩来ていたらしいメールを開く。
 メールの送信者は、同じクラスのブルーノだった。なんでも、今日は用事があって休むから、代わりに社会科教師のもとへ行ってプリントを取ってきてほしい、とのことらしい。彼は一瞬躊躇ったあと、わかった、と返事を返した。
 正直、不動遊星はあの社会科教師が好きではなかった。長い前髪から覗く瞳は爬虫類のようだと思うし、どうにも、教師は自分をひどく毛嫌いしているように感じるのだ。嫌われるような粗相をした心当たりはないし、成績もそこまで悪いわけではない。
 パタンと布団の上で横になった。学校は嫌いではないが、あの教師の元へ行くとなると話は別である。いったいどんな嫌味を言われることだろう。この思いを、憂鬱以外のなんと呼ぼうか。
 このまま眠りこけてしまうことも十分可能である。意外にも、彼はそういったことは既に何度も経験していた。今さら躊躇するまでもない。
 しかし、彼を再び布団から叩き出したのは、待ち合わせをしている友人の存在であった。教師に会うことはもちろん避けたいが、そのために友人をないがしろにしたくはない。
 ため息をついて制服に手をかけた。比較的ゆっくり着替えながら、片手間にブルーノとのメールのやり取りを続ける。このタイミングで休むというブルーノを少しばかり恨めしくも思ったが、ブルーノには社会科教師が嫌いなのだということを告げていないのだから仕方がない。元来彼は、誰々が好きだとか嫌いだとか、そういったことを話す性分ではないのだった。
 ネクタイを緩くしたまま階下へ下りると、笑顔の母と、眠気眼の父が出迎えた。新聞を広げる父は、どうやら今日はわりかしのんびりとした出勤であるらしい。
 両親への挨拶もそこそこに、用意してくれた朝食を口へと運ぶ。彼は食に細いどころか疎い程の性格なのだが、それを知っている母は、食べ盛りなんだからもっと食べなきゃダメよ、とベーコンをふんだんに盛りつけた。すると父は、そうだよ遊星もっと食べないと、などと言い、自身が嫌いな野菜の葉を彼の皿へと移しては、母に叱られるのだった。
 食べ終わると彼は身支度を整えるために洗面所へと向かう。顔を洗い、歯を磨き、髪を整え、ネクタイをしめると、鞄を肩にひっかけて、まだ幾ばくか固い革靴に足を通した。
 いってきます。そう言うと共に玄関を開ける。見送る両親の声は温かかった。
 程よい時間であるため、社会人やら学生やらで朝の住宅街は賑やかだ。歩を進めた彼は、とある三叉路で足を止めた。そして――




 そして、約20分の遅れを伴って走ってきた鬼柳に、遊星はため息をこぼした。

「また寝坊しただろう」

「さて、なんのことやら」

ここまで盛大に遅刻しておいて、よくそこまでとぼけられるものだ。
 膝に手をついて息を調える鬼柳の髪に触れて、ここ、と遊星は言った。

「まだ濡れてる」

「超局地的豪雨に合ったんだ」

「それは災難だったな」

「だろう?」

「せっかく早く来たのに、超局地的豪雨に遭遇した挙げ句に待ちぼうけをくらった俺も大概だけどな」

「ごめん」

くだらないやりとりに終止符を打ったのは鬼柳の謝罪であり、その様子に微笑んだ遊星は、さして本気で責任を追求していたのではないと察せられる。鬼柳の遅刻は今さらであるし、ふたつ先輩の彼が兄のようでも弟のようでもあるのは、出会ったそのときから変わらない。

「またSNSか? 痛い目見る前に止めといた方がいいと思うぞ」

時の経過は深刻に彼らを遅刻へと追い込むので、ふたりは歩調を強めながら学校を目指した。遊星の言葉に、鬼柳は気だるげに頭を掻く。

「大丈夫だって、メールしてるだけだし」

「他の趣味でも見つけたらどうだ」

「例えば?」

わずかばかり逡巡したのちに、遊星は鬼柳の元へと視線を返した。

「バイクだとか、カードだとか」

「あー、カードねぇ……」

悪くないな、などと呟くも、さして興味も湧かないらしく、鬼柳の意識は遠い。
 雑談の隙間で、鬼柳は不意に、あ、と間の抜けた声を上げた。その意図を掴み損ねて、遊星は怪訝そうに彼を見る。

「言い忘れてた」

「なにを」

鬼柳の空色の髪が、さらりと揺れた。彼の笑顔は、太陽のそれに酷似している。

「おはよう、遊星」

「あぁ、おはよう」

こうしてまた今日が始まる。

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