彼は、胎児のように丸まっておりました。それが弱々しく、まるで母胎にすがり付くようなものでしたから、彼には胎内回帰願望でもあるのだろうかと、ジャックはふと思ってしまうのでした。
 薄い麻布でできたカーテンの向こうに、気休めほどの寝室がありました。そこに遊星は膝を抱えて横になり、春を待つ蛹(サナギ)のように丸まっておりました。眠っているのかと思いきや、彼は生気のない瞳を薄く開いて、どこともわからぬ方向を、ただ呆然として見ているのでした。
 遊星は精悍な顔つきの、冷静で、しかし熱い心をもった少年でした。ですが今の彼は、冷や水を浴びてガタガタと震えているように思えました。
 遊星、とジャックが名前を呼ぶと、彼はぴくりとして、半分ほど開いた目蓋の隙間から濁った藍色の眼を覗かせ、緩慢な動きでジャックを吟味しました。

「……ジャックにとって、鬼柳はどんな人間だっただろうか」

その問いに、ジャックは苛立ちを覚えました。しかし一方、心のどこかで、あぁやはり、と納得しているのです。遊星のその問いは、すとん、と腹の底に落ちていくようでした。

「鬼柳は俺たちの救世主であり、希望であり、友だった。だがそれと同時に背徳者であり、罪人であり、悪だった。鬼柳とはそういう人間だ」

彼の望んだ答えであったかどうかは、ジャックにとってさしたる問題ではないのです。ただジャックは、己の抱く答えをそのまま遊星へとぶつけました。遊星はごろりと体を反転させ、口許だけでふと笑うのです。力無きそれは、一方で嘲笑のようでもありました。

「ジャックの救世主は、俺が殺してしまったんだ」

鬼柳京介の死は、やはり巨大な氷となって、遊星の心身を壊死させているようでした。それは遊星を震わせ、またひとつひとつの機能を壊し、確実に死へと追いつめているのです。それが肉体の死であるのか、心の方であるのか、はたまた両方であるのかなどは定かではありませんでしたが。
 ジャックにはわかっていたのです。遊星の心を凍てつかせているのが、鬼柳の死であることは火を見るより明らかでした。ですが、故に彼はふつふつと、腹の辺りが煮えるような思いを抱くのです。

「遊星、万が一貴様が鬼柳の死を嘆き悲しみ、また失意のうちに生気を失ったのだとしたら、俺は貴様を思い切り殴り飛ばして、それから怒鳴り散らしてやっただろう。だが今はそれをしてやらない。何故だかわかるか? 今のお前には殴るだけの価値もないからだ」

遊星は相変わらず、奇妙な方向へ視線を巡らせておりました。少し侮蔑の言葉を並べれば、すぐに飛びかかって雄弁に持論を語った彼だというのに、その拳すら彼は忘れてしまっているのです。
 ジャックにはそれが憎たらしく、また哀れに思えてなりませんでした。
 遊星というのは、幼い頃より、かけっこでも身長でもデュエルでも、何度も肩を並べてはその高さを競い合ってきた生涯の好敵手であるのに、今やその遊星は友と呼ぶにも恥ずべき醜態を晒しているのです。その事実は、誇り高いジャックの自尊心をかまいたちのように切り裂いて行くのでした。

「鬼柳が死んだのが貴様のせいだと言うならば、鬼柳が理性を失い暴走したのは誰のせいだ? クロウがチームを抜けたのは? 俺がお前たちから黙って離れたのは? それら全てが貴様のせいだとでも言うのか。見上げた自己犠牲だ、不動遊星。お前はそれが、ひどく傲慢な考えだとはつゆにも思わんのだろう。確かに、鬼柳はどうしようもない男だった。だが、そうまでして庇ってやればならぬ程、情けない男ではなかったはずだ。逆に俺は問いたい。鬼柳は果たして、お前にとってどんな男であったか」

遊星は何も告げず、二人の境界線は沈黙により支配されました。
 遊星の淀んだ藍色の水晶を、ジャックのアメジストのそれが凝視していました。突き放すような、しかし必死に説得を繰り返すようなそれが、果たして遊星にどう映ったでしょう。それはジャックの知るところではないのです。
 しばらくそうした後、口を開く様子のない遊星に、ジャックはとうとう身を翻しました。多くの人間を受け入れる器用さを持ち合わせていながら、同時に遊星が信条を曲げない頑固さを兼ね備えていることを、ジャックは十二分に把握していました。
 カーテンを閉めぬまま、ジャックの足は地上への階段を目指しました。こつこつと、地下に足音が反響します。

「……ジャック」

その音に紛れて、遊星はジャックを呼び止めました。呼ばれた彼は素直に足を止め、視線だけで返事を返します。遊星はというと、一見して相変わらずのその表情は、どこか悲しそうに歪んでいるのでした。

「俺にとって鬼柳は……兄のような存在だった」

遊星は昔から、不思議と周囲の人間に好かれる少年でした。彼自身は決して饒舌に語る方ではありませんでしたが、その多才な才能と、それでいて驕らない性格が、とても魅力的であったのです。人柄が生真面目なこともあって、周囲から頼られることが常でした。
 ですがそんな彼が心より信頼し、また心酔し、みっともなくすがることのできたのが、鬼柳京介という人でした。鬼柳は遊星とはまた違ったカリスマ性を誇り、自信と才能に恵まれた彼は、遊星に持ち得ない全てを、保持しているように思えました。
 多くの知識と独特の人生観を与え、遊星に笑顔をもたらした彼は、まさしく兄と呼ぶのに相応しい人物でした。

「教えてやる、遊星」

そんな遊星を見つめたまま、深海届くまでに深い声でジャックは言います。

「俺たちが救世主だの兄だのと崇めた男はな、なんということはない、たった一年か二年多く生きただけの、ただの人間だったのだ。それに気づけなかったのが、俺たち全員の過ちだ」

言い捨てて、ジャックは今度こそ地上を目指しました。カーテンの向こうの藍色が、そっと目蓋の奥へと閉じられたのを、ジャックは視界の片隅に見た気がしました。


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