昨日のバレンタイン | ナノ


「滅べリア充」

「……どうした、急に」

遊星がそう問いかけたので、鬼柳はそれに答えるべく、再び口を開いた。

「今日はバレンタインデーだ。世の中のおなごが恋心を寄せる異性にチョコを渡していちゃこらいちゃこらする日だ。そんなもんに現を抜かしてるリア充は爆発しちまえちっくしょおおおおおお!!」

鬼柳は叫んで(主にシティの方へ向けて)鬱憤を晴らすかのように、音をたてて椅子へと腰を下ろした。

「鬼柳、つかぬことを聞くが」

「はいはい、非リアの鬼柳先生が答えましょう」

「リア充ってなんだ」

鬼柳の動きが、一瞬止まる。彼の双鉾は見開かれて、そして遊星の無垢な藍の瞳と合致すると同時、その唇からは呆れの感情が落とされた。しかしその呆れは、親愛に満ちた呆れであった。

「大前提を聞くのな、お前って。リア充ってのはリアルが充実してるやつ。今この場合は、主にカップルを指す」

「じゃあ、非リアは……」

「いつまでたっても独り身でバレンタインにチョコなんて貰えやしないリアルが充実してない俺みたいなやつのことだようがああああああ! わかってて聞いたのかお前えええええ!!」

一方的に捲し立てた彼は立ち上がり、すくんだ遊星を脇に抱え、その頭部をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。
 違う、そうじゃない。離してくれ。痛い。遊星はそう訴えるのに、恨み言を呟く鬼柳には、そんな言葉は届きはしない。

「んだよちっくしょおおおおおお! チョコ食ってないで、乳こねくり合ってろって話だよなぁ!?」

「おい、鬼柳やめろ! 遊星にそんなこと言うんじゃねぇ!」

制止の声をかけたのはクロウで、彼のグレーは咎めるように鬼柳を睨み付けている。
 クロウは遊星の幼なじみである。遊星の性質上、下世話な話が似合わないのは、彼はよく知っていた。また同時に、下品なことにいつまでも疎いままであってほしいというのは、クロウの願望であった。
 だがしかし。そんな思いを裏切るかのように、鬼柳はいやらしく頬を吊り上げる。

「お前さぁ、遊星がいつまでたっても無垢で純粋な草食男子だと思うなよ? 夜中はいっつも俺と汚ピンクトークだもんなー、遊星?」

「はぁぁ!? 鬼柳てめぇ! ふざけんなよ!」

「誤解だクロウ。鬼柳がいつも一方的に話してるだけだ」

「けど、知識はやたらついただろ?」

「……否定はしない」

「鬼柳てんめぇぇぇぇぇ!」

「なんだクロウ! やんのか!? 今の俺を鎮めたかったらチョコもってきやがれチョコ! あ、でもやっぱお前からのチョコじゃ満足できねぇわ。女の子からのチョコじゃなきゃ満足できねぇぇぇぇぇ!」

「うっせぇわ黙っとけ! 周りをよく見渡せ! いいか、よーく見ろよ? このチームサティスファクションのどこに女の子がいる?」

「……あああああああああ!! ゆうせぇぇぇぇぇ!! クロウが、クロウが、俺に現実を突きつける……!」

「よしよし」

「甘やかすな遊星! リア充になりたかったら、滅べだの爆発しろだの言ってないで、まずは現実と向き合え! 話はそれからだ!」

効果音でも聞こえてきそうな剣幕で並べ立てるクロウとは対照的に、鬼柳はすっかり意気消沈しているようだった。クロウの言うことが正論であるから、反発する言葉すら見あたらない。
 首筋に顔を埋める鬼柳に構いながら、遊星の左手はドライバーを回し続ける。鬼柳のモチベーションが激しく上下するのも、またその度にクロウに怒鳴られ自分にすがり付いてくるのも常日頃からのことであるから、遊星の対応は手慣れたものだった。
 そのとき、アジトの階段を登ってくる足音があって、遊星とクロウはそちらに視線を向けた。鬼柳は遊星に凭れたまま、顔を上げようとしない。

「相変わらず愉快な連中だな、貴様らは」

彼らのやり取りは外部まで洩れていたらしく、呆れ調子で言いながら上ってきたのはジャックだった。その言葉に若干の軽蔑の色があるのは、ジャック自身も否定しないだろう。それに過敏に反応したクロウの眉間にシワが寄る。
 そして、ジャックは何故か、その手に小さな箱を携えていた。

「お前に言われたくねぇんだよ、ジャック!」

「おかえりジャック。どこへ行っていたんだ?」

遊星の問いかけに、ジャックは持っていた小さな箱を遊星に差し出した。持っていたドライバーを机に転がして、遊星はそれを受けとる。シンプルに包装されたそれは軽い。
 怪訝そうにする遊星に、ジャックは言った。

「マーサからだ。お前だけじゃないぞ。みんなで食え、とのことだ」

「マーサから? つーかジャック、マーサハウス行くなら声かけろよなー」

「俺が行きたくて行くと思うか? 市場で偶然捕まったんだ」

クロウとジャックの会話を片耳にはさみしながら、遊星の指先は包装を解いていく。現れたのは白い箱で、その蓋を開けると、刹那、甘い香りが辺りに漂った。

「……チョコレートだ」

「お、マジで!? さすがマーサだぜ!」

「そうか、今日はバレンタインデーだったな」

「ほら、起きろ鬼柳。お前が望んだチョコレートだ」

遊星に呼ばれ、ぽんぽんと頭を叩かれ、鬼柳はゆっくりと顔を上げる。だが、その顔は浮かない。

「……俺、ハウスの子じゃねぇもん」

施設で育った三人とは違い、鬼柳は自力でこのサテライトを生き抜いてきた。育ての親も、いたのだろうが、鬼柳の中にはその姿は留まっていない。
 自分だけが、幼い頃の境遇を共有していない。その疎外感を、鬼柳は改めて感じていた。
 だが、そんな鬼柳に向けて、驚いたように遊星は言った。

「なにを言っているんだ。マーサはちゃんと、お前の分も作ってくれてるぞ」

「へ?」

「1、2……8個か、確かに4人分だな」

「3人では割り切れないからな。4人で食べるしかあるまい」

鬼柳は、しばらく箱の中身を凝視していた。驚いたように目を丸めて、どうしたらいいのかわからないように緩む頬を必死に抑えて。そして、とうとう堪えきれないというように、遊星からその箱を奪い取った。

「よっしゃああああああ! 俺はチョコを食う! チョコを食うぞ!」

「だーから4人分だっつってんだろうがああああ!」

「そもそも何故お前がいの一番に持っていくのだ鬼柳! 貴様は最後だ! 余り物だ!」

「なぁ遊星、俺リア充!? 俺今リア充!?」

「たぶん、違うと思う」

そうは言っても、笑う鬼柳は楽しそうで、鬼柳にとっても、それは至福のひとときであった。
 だが今となっては、それも過去の話である。










 ふと鬼柳が目を覚ますと、それは暗い冥府の底だった。見上げた空は遠く、あの頃とは何もかもが違う。亡者となり、恨み意外の全ての感情を手放したはずであるのに、何故だか無性に肌寒く感じた。
 夢か、と鬼柳は呟く。夢と言っても、彼が見たのは過去の思い出の一部であり、決して彼の妄想でも捏造でもない。鬼柳は確かに、数年前まで彼らと笑い合っていた。
 過去の光など、とうに恨みの闇へと消え果てたというのに。何故だか鬼柳の感情は、ぽっかりと抜け落ちたかのように寒々しかった。

「チョコ……」

亡者の印である真っ黒な瞳を切な気に細めて、鬼柳は呟く。

「チョコ……食いてぇなぁ……」

だがその呟きは、もう誰にも聞こえはしない。


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -