ピンク色のそれが自分の上に降り注ぐのを、甘んじて受け止める。ひらひらと踊るように舞ってきたそれは、ふわりと、ベンチに座る十代の髪に着地した。彼はそれを指の腹に乗せてこっそりと楽しむと、再び吹いた春の風に、その花びらを遊ばせた。
 十代の頭上には、淡い色に着飾った桜の木があった。そこからはらはらと、桃色の花びらが舞い降りて、その年の春を彩っている。満開を少しばかり過ぎているが、桜は散り際が美しいのだと、十代はどこかで聞いた覚えがあった。
 世界を渡り歩き、各地の様々な情景を目の当たりにしてきた十代であったが、やはり四季の美しさといえば、日本に敵うものはない。そういえばアカデミアにも桜があったなと、ぼんやりと、花びらに視界を奪われながら、数年前に思いを馳せた。
 彼の人生といえばアカデミアだけではないのに、こうして真っ先に思い出すのはあの場所での三年間である。アカデミア時代の三年間が、遊城十代という人間を形成したのだと言っても過言ではないのだ。もちろん、そこにあるのは綺麗な思い出だけではないのだが。

「あれ、十代くん?」

薄桃色に包まれた、春の情景。今にも眠りに落ちそうな意識を引き上げる、穏やかな声音。驚いた十代が目にしたものは、数年前に会ったきりの、尊敬してやまない人物だった。緩んだ目元は優しげで、その風体は桜の花びらによく似合う。

「あ! お久しぶりです、遊戯さん! 偶然ですね!」

十代に歩み寄るその人は、伝説として後世にも名を馳せるデュエリスト、武藤遊戯だった。彼もまた十代同様世界を転々としており、こうして偶然の邂逅を果たすのは、奇跡とも言える出来事だった。

「うん、本当に偶然! そして久しぶり。懐かしいねー。最後に会ったのは、いつだっけ?」

「えーっ、と……二、三年前ですよ。ほら、遊星と一緒に未来を救ったのが最後だから」

「え、十代くんにはそのあと数回会ってるよね?」

「え? いや、それは俺がアカデミアを卒業する前だから……」

難しい顔をして十代が唸る。彼の切れ長の目尻は随分と大人びた印象だったが、本質は変わらないのか、その瞳の輝きは未だ純粋なままだ。
 考えこむ十代であったが、元来彼はこういったことを長く続けられる性分ではない。間もなく根をあげた十代に、遊戯は笑みを零すと、隣、いい? と彼の隣に腰掛けた。

「なんかややこしいことになってるけど、それって君たちが、時代を飛び越えてきたせいかなぁ」

「というと?」

「卒業した十代くんは、ある地点の僕の時代へとやって来た。その後僕は十代くんに会ってるけど、僕の時間軸では、それは僕にとっての未来。けど、僕よりも未来の時代に生きてる十代くんにとっては過去になるわけだ」

「うーん……難しいことはよくわかんないけど」

「わかんなかったんだ」

「つまり、遊戯さんと俺は、歩んだ人生が違うってことですね!」

「ものすごくかいつまんだけど、まぁ、そういうことでいっか」

あっけらかんと笑う十代に、遊戯は、細かい事などどうでもよくなってしまうのだった。ややこしい時間軸の齟齬など、今こうして出会えたことを思えば、さしたる問題ではないのだろう。例え順序は違えど、過ごした時間は変わらないのだし。
 しかし、こうして改めて問題と直面すると、やはり自分たちは違う時間にいたのだと実感する。遊戯と十代と、さらに遊星と共闘した過去は、一口に数年前といってもその厚みが違う。十代にはそれでも最近のことであるのに対し、遊戯にとっては、それは過去の思い出になりかけているほどであった。

「そういえば遊戯さん、いつこっちに帰ってきたんですか? 世界を飛び回って、ろくに帰って来ないって、遊戯さんのじーちゃん言ってたけど」

「え? もう、じーちゃんてば訪ねてくる人みんなに言うんだもんなぁ……。確かに、普段は海外にいることが多いけど、この時期だけは、毎年日本にいるんだよ」

「そうなんですか?」

「うん。ほら、桜は日本人の心って言うじゃない? 桜が咲く時期だけはここにいるようにしてるんだ。そう言う十代くんこそ、どうしてここに?」

「俺は、モーメントの噂を聞きつけて」

無意識に、十代の視線は、より大企業へと成長した海馬コーポレーションの外壁をなぞった。つられて、遊戯の視線もそちらへと辿る。

「ああ、数年前からKCが開発に乗り出しているアレのこと? 僕もニュースで聞いたよ。より大きなエネルギーを低コストで産み出せる。それにより、デュエルもより発展するって」

「そう、それ! わくわくする話ですよね! 俺、もういてもたってもいられなくて、帰って来ちゃいました」

「ちょっと早かったみたいだけどね」

遊戯の言葉に、十代は苦笑するしかない。
 巨大な回転により、世界中のエネルギーを賄えるというモーメントの開発は、順調と言えど、実用化までにはまだ日がかかるそうなのだ。さらに、デュエルに応用するとなると、また幾許かの年月を要するのだろう。最先端技術に触れる日は、遠くはないが、近くもない。

「だから、しばらくここでのんびりしたら、また旅に出ようかなって」

「そして、モーメントが完成したら帰ってくるんだ?」

「そういうこと!」

春風が吹き、また頭上の花弁を散らす。不思議と眠気を誘うそれに、ノスタルジックな思いを抱いてしまうのは、自分たちがこの国の人間だからだろうか。
 十代が遊戯に近況を尋ねようとすると、それと同時に遊戯はベンチから立ち上がった。何も言わずに歩き出す彼に、十代は怪訝の瞳を向けるしかない。そして、遊戯が声をかけたのは、桜並木を歩く、若い夫婦だった。
 遊戯がその夫婦と言葉を交わす。穏やかな表情で二言三言の言葉を交わして、彼らは桜の下を歩いて来る。事の成り行きを見守っていた十代だったが、女性の姿を正面からおさめた途端、彼は遊戯の意向を理解し、すぐに立ち上がった。ほほ笑んだ彼女の腕の中には、まだ小さな赤ん坊が抱かれていた。
 どうぞ、とベンチを譲れば、ありがとう、と夫婦から感謝が帰ってくる。共に若く、二十代の中頃か後半に見えた。赤ん坊を見下ろす夫婦の眼は慈愛に満ち、幸福に包まれた家族なのだと、遊戯や十代にも一目でわかるほどであった。

「産まれたばかりですか?」

遊戯が問いかけると、そうなんです、とそれはそれは嬉しそうに父親が答えた。端正でありながら幼いその顔立ちが、ふにゃりと歪む。愛おしいように、彼の手のひらはわが子の額を愛撫する。
 四か月なんですよ、この間ようやく私にも寝返りを見せてくれて……。あ、抱っこします? 大丈夫です、この子はぐずったりはしないので。えぇ、いい子なんです。
 嬉しそうにそう語った父親に、思わず十代は、苦笑とも呼べる笑みを零した。きっと彼らは幸福で、それを喜ばしく、また羨ましくも思うのだが、素直に受け止めきれないのは、十代の性格云々という話ばかりではないのだろう。一方遊戯は、父親の言葉に笑顔で応え、赤ん坊をその腕に抱いていた。
 蒼く澄んだ瞳が印象的な赤ん坊だった。父親の言葉通り、泣き出しなどはせず、興味深そうに遊戯の顔を見上げている。不思議そうに瞬く様は、なるほど愛らしい。しかし遊戯は、その無垢な輝きをかつてどこかで見たような気がした。
 ごめんなさい、親バカなのよこの人。照れ臭そうに母親がそう詫びる。口元に手をあてて上品に笑う母親に、気にしなくてもよいと彼らが返事を返す前に、父親が彼女の肩を抱いた。あぁそんなひどいじゃないか、私は君とわが子を愛しているだけなんだからと冗談めかして答えながら。

「この子、男の子ですか、女の子ですか?」

弾力のある赤子の頬をつつきながら十代は夫婦に問いかけた。十代の指先に遊ばれ、赤ん坊は少しばかり目を細めるが抵抗は全くしない。そして母親の方が、男の子です、と答えた。

「男の子かー! 俺と一緒だなぁ! こいつのほっぺたマジ気持ちいいー」

「こら、いじめないでよ十代くん。
名前は、なんて言うんですか?」

遊戯の言葉は、後半は夫婦に向けたものである。その問いかけに夫婦、特に父親は、どこか誇らしげに笑むのだった。
 遊戯は生後間もない赤ん坊を胸に抱き、春の風に合わせて、ゆりかごのようにそっと揺らしてやる。そしてその隣で十代は、赤ん坊の頬をつついては明るく笑いかける。そんな二人の青年に、桜の花弁が降り注いだ。太陽に照らされ、たおやかな時間が流れるその公園から見えるのは、現代科学の象徴であるモーメントだ。
 遊星といいます。父親はそう答えた。
 全ての時間が止まった気がした。遊戯は一瞬だけ、赤ん坊を揺らしていた腕を止める。また十代は、大きな瞳を更に大きく見開いていた。遊、星……? と彼の唇は疑問をこぼす。
 そう、遊星。遊星歯車というものがあってね、その歯車は、周囲の物質を引き寄せる性質を持っているんです。私はこの子にも、そんな人間になって欲しい。多くの人間を惹きつけ、多くの人を愛し、愛されるような、そんな幸福な人に。
 愛おしむように父親はわが子を見つめ、そう語った。
 遊戯と十代には、遊星という名前に聞き覚えがあった。かつて、世界を破滅から救うために共に肩を並べ戦った青年。あのとき彼は、時空を飛び越え、未来からやってきた。
 もし、あのときバラバラだった時間軸が、ここで一直線に全て繋がるとしたら。

「……素敵な名前だと思います」

まるで平静に、遊戯はそう答えた。遊星を抱き揺らすその腕に、もう動揺の影はない。
 そのとき、ひらひらと舞った桜の花びらが、遊戯の前髪に着地した。遊星の瞳はそれを捉え、可愛らしい声をあげながら、小さな指先を、懸命に花びらへと伸ばす。ただ必死に、桃色のそれを手にしようと。そして刹那、自分はこの子を知っていると、遊戯は確信した。

「きっと遊星くんは、素敵な人になるでしょうね」

遊戯がそう笑いかけると、父親もまた嬉しそうに笑い返すのだった。私もそう思います、と。

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