人ごみの冷たさが嫌いだ。そのなかに取り残される寂しさが怖い。
 通りすぎる足音は、掠める視線は、どれもよそよそしくて居心地が悪い。こんなに人がいるのに、そのだれひとりとして自分は知らないし、また知られていないのだ。その不思議な孤独感が、相変わらずアキは苦手だった。
 それまで隣にいた彼の名前を呼ぶ。しかし、返事が返ってくる気配はまるでない。振り替えってみても、ぶつかるのは見知らぬ顔と見知らぬ髪型と見知らぬ匂いだけだった。

「遊星……!」

こんなに人の多い場所で、それなりに距離を置いて歩いていれば、はぐれてしまうのも当然なのかもしれない。変に気をつかって、わざと歩幅を外したりせず、当たり前のように肩を並べたら良かったのかもしれない。彼はそういったことには疎い人だから、はぐれてしまわないように手を繋ごうと言えば、きっとなんの疑いも持たずに素直に応じただろう。だがそれ故に、アキはますます意識し、遠慮してしまうのだ。
 彼はおそらくなにも思わない。彼にとってそれは当たり前のことだからだ。そうして彼はきっと、頬を染めてうつ向いた自分の顔をのぞきこんで、すました顔で、どうした? などと問いかけるのだ。そんなこと、アキにはとてもたえられなかった。
 遊園地の雰囲気は暖かく、夕暮れせまるこの寒空にも、穏やかな笑い声と明るい悲鳴が解けてゆく。その空気が、尚のことアキに孤独を訴えた。どうして今、私はひとり佇んでいるのだろう。

「遊星……どこへ行ったの……?」



 シティにある大規模な遊園地、海馬ランドに行こうと言い出したのは龍亜だった。龍亜、それから龍可の両親は今年もまた帰って来られないらしく、その腹いせだった。
 わざわざ人ごみに入るだなんて御免だと、最初こそ文句を言っていたジャックとクロウだったが、双子の孤独を理解しているふたりは、それからすぐに、予算はこれくらい、日程はいつがいい、と計画を立てはじめた。その意見にブルーノや彼は異論はなく、アキも誘われてこうして海馬ランドへとやってきたのである。
 着いたとたんに、龍亜とジャックは互いに牽制し合いながら絶叫マシンへと走りだし、ブルーノはそんなふたりに引きずられていった。クロウは龍可を、女の子が好みそうなお城へと連れていってやり、必然的に、アキは彼と行動を共にすることとなった。
 アキも彼も、アトラクションへと走り出すような性格ではなく、のんびりと景色とパレードを眺めながら、その世界観を楽しんでいた。せっかく遊園地に来たのだから、と言われそうだが、彼らはその一時に幸福を感じていたし、それが自分たちにはよく合っているように思えたのだ。
 そう、確かに幸せだった。ほんの一瞬前、彼の背中を見失ってしまうまでは。


 流れていく人波に、彼とおぼしき姿はなく、弾んだ声音は、ひとりぼっちのアキをなおのこと焦らせる。
 ずっとひとりでいることが多かった。けれど、いつの間にか、まわりに彼らがいることが当たり前になってしまって、そうしたら今度は、ひとりが途方もなく怖くなってしまった。ずっと気づけなかった寂しさを、人の温もりの中で知ってしまった。
 きっとそのうち日も完全に沈んで、自分は暗闇のなかにぽつりと取り残されてしまうだろう。そう思うと不安でたまらなくなって、じわりと目蓋の奥が揺らいだ。楽しかった気分も全て、孤独への恐怖に掻き消されてしまう。本当は、楽しかった時間の方が長かったはずなのに。

「アキ!」

そのとき、聞き覚えのある声と共に手を引かれた。アキの細い手首をしっかり掴んで離さない手。アキが振り返ると、そこあったのは、自分が必死に探していた彼の、困ったような安心したような、複雑な表情だった。

「遊星……!」

「すまないアキ……いや、でも、見つかってよかった……」

はぁ、と彼は浅く息をつく。きっと彼も、人ごみのなかを歩きまわっていたのだろう。見知らぬ匂いに、戸惑いながら。
 先ほどとは違う意味で、乾いたアキの瞳が水気を帯びる。今自分は、とても安心している。しかし、その安心の先にあったのは、自分でも驚くほどの怒りだった。

「……っ! もう、いったいどこへ行ってたの!? 心配したのよ!? 気がついたら遊星がいなくて、私、ずっと探して……!」

「す、すまないアキ……」

彼はたじろうようにそう言って、それからアキの前に、ひとつの袋を差し出した。彼はおもむろに、そこから何かを取り出して、アキの腕の中にぽんと置く。それは、かわいい赤いドレスを着た、クマのぬいぐるみだった。

「途中、こいつと目が合って、アキが好きそうだと思った。それでつい……」

「買いに行ってたってこと?」

「あぁ」

「ひとこと言ってくれたら良かったのに」

「すまない……」

彼はポーカーフェイスだが、心なしかしゅんとして、すごく申し訳なさそうに謝罪を繰り返す。どきどき可哀想になるくらい誠実で。彼という人は、こういう人間なのだ。
 腕の中に抱くクマに視線を下げると、おおよそ彼には似合わない、かわいく微笑んだ顔がそこにあった。いったい彼は、どんな表情でこのクマを買ったのだろう。
 アキは一度ぎゅっとクマを抱くと、口許をその中にうずめながら言った。

「……許してあげる。
……ありがとう。うれしい」

すると彼は、ほっとしたように、目許を緩めて微笑むのだ。


 今度ははぐれないように、彼はアキの手をひいて、他のみんなとの集合場所へと足を進めた。恐ろしかった孤独感は、今はもう微塵もない。あのときもこうやって、彼は自分の手を引いてくれた。
 彼の握る手首が熱い。風はこんなにも寒いのに、外気に触れる頬は熱い。
 振り返らないでほしいと、アキは彼の背中に祈った。振り返ったらきっと自分は、この手をほどいてしまうから。
 アキの腕の中では、相変わらずに、クマが穏やかに笑っている。
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