もうダメだと、そう思った。


***


 気がつけば、俺はただ、白い空を見上げていた。雲が空を覆っているわけでも、靄がかかっているわけでもない。ただひたすらに、そこは白かった。そしてその白い空を、俺はただ、見つめていた。
 何もない。先にも後にも、ただ白しか見えない。地面と空の境さえもわからない。何もわからない。自分が何故ここにいるのか、一体どこへ向かえばいいのか、それさえもわからない。唯一、色を持った俺だけが、この世界から浮いていた。
 誰か、と声を出しかけて、やめた。俺に、助けを乞う資格などありはしない。開きかけた口を、そのまま閉じた。
 進まなくていけない。けれど、一体何を目指せばいい。自分の目的はわかっている。でも、何を目指したら、俺はそこにたどり着けるんだろうか。
 右足を踏み出す。そのとき気がついたが、俺は裸足だった。右足を追いかけるように、今度は左足を。辺りを見回す。景色は何もかわらない。ただただ白い。俺は今、本当に前に進んだんだろうか。
 ふと、小さく頭を叩かれた気がした。小さな衝撃に、俺は空を見上げる。すると、それが合図になったかのように、白い空から、透明な滴が降り注いだ。それはぽつぽつと、俺の髪を、鼻先を、つま先を濡らしていく。雨だ。
 濡れた前髪が視界を遮り、まるで涙のように、滴は頬を流れていった。泣けない俺の代わりに泣いてくれているんだろうか、と、らしくもない、女々しい考えが頭を過った。
 体が冷えていくのがわかる。唇が震え、素足の足は血色を失っていた。自分の感覚が遠い。早くどこか雨のしのげる場所へ行かねば。けれど、そんな場所がどこにある。
 視界が悪くて、余計に前が見えない。冷たくて体も動かない。ただ小刻みに、自分の意思とは関係なく震えるだけだ。ザーと、無情に降り注ぐ雨音だけが、無力な俺を支配した。
 震えた唇から息が漏れる。それは諦めの感情か。だって、俺はもう何もできない。こんな状況では、俺は、何も、

「遊星」

雨の向こうから声が聞こえた。温かい声音をもって、騒がしく響く雨音を遮る。聞き覚えはあるけれど、でも、誰の声かは特定出来ない。

「ゆーせいっ」

もう一度、体を冷やす滴の壁の向こうから。今度はさっきの声とは違う。違う人の声なんだろう。だけど相変わらず、それが誰のものかはわからなかった。
 雨と霧で霞む視界の中、俺は声の主を探した。誰だ、どこにいる、答えてくれ、と言葉にしたはずなのに、それはただ息として、雨の中に消えていくだけだった。無性に泣きたくなった自分を抑え、すがる何かを探すかのように手を伸ばす。しかし、その先に何もないと知って、俺は大人しく手を下ろした。自嘲気味な笑みが零れる。俺は、何をしているんだ。動けなくなって、すがるものを探して、それで一体何になる。

「何をしているんだ、遊星」

はっとなって顔を上げた。その声は近い。とっさに俺は後ろを振り返った。

「遊戯さん、十代さん……!」

「よっ」

「久しぶりだな、遊星!」

視界は霞んでいたはずなのに、二人の姿ははっきり見えた。震えている俺とは対照的に、二人は寒そうにしている様子もなければ、濡れているようにも見えない。雨は平等に、全てを濡らしていくというのに。
 何故、二人がここにいるのだろうか。混乱する頭は正常な思考回路を導き出せないでいる。すると、十代さんが笑って、一歩俺に近づいた。

「あーあ、こんなにびしょ濡れになって。いつまでもこんなとこに居んなよ。風邪ひくって」

服の裾が俺の顔に当てられて、そのまま顔についた滴を拭った。自分の服が濡れるのも構わない様子で、なんだかすごく申し訳なくなった。

「すみません……」

「気にすんなって!」

「さぁ、お前はこんなところで立ち止まってる場合じゃないぜ」

どうやらここは、俺がいるべき場所ではないらしい。その言葉に少しだけ安心して、そしてまた、不安になった。
 俺はどこに向かえばいい。その前に、どうやって足を踏み出したらいい、前を向いたらいい。何も見えないのに。何があるか、わからないのに。
 遊戯さんの方を見る。俺は、どうしたらいいのか。その瞳の中に答えを探した。遊戯さんは、優しく微笑んだ。

「そんなに不安そうな顔をするな」

「けど……」

震える体を叱咤して、何があるかわからない恐怖を抑え、目的地も見えぬまま、歩いた先に何があるのか。何かあればそれでいい。けれど何もなかったら。あったとしても、それが最悪の結果だったら。
 歩く手段も理由も無くしてしまった。もう俺は、歩けない。もう、どうしようもないんだ。

「何も見えないんです。自分が進むべき道も、理由も。俺は、どうしたら……」

「なに言ってんだよ!」

呟く俺とは対照的に、やはり十代さんの声は明るかった。

「見えないから、面白いんじゃねぇか!一歩進んだ先になにがあるか、進む度にわくわくするだろ?」

「遊星、完璧にやらなくていいんだぜ?失敗したら、ちょっと戻ってくればいいんだ」

「それに、お前の前に道はちゃんとあるぜ」

十代さんが前を指差す。無意識に、自分の視線がそれを追う。見えるのはやはり白。限りのない、白だった。

「360°、これ全部お前の道だ!一本に絞る必要なんてねぇよ」

俺が見ていたものは白い景色で、その中に道を探した。見つからなくて、嘆いていた。十代さんは、そうでないと言う。ここに広がる白い全てが、俺の道だと。そして、どこを選んでも、いいのだと。
 まだ体は冷えている。視界は白い。ぼやけている。でも、体は動く。大丈夫だ、まだ行ける。自分に言い聞かせると、自然と目線は、行くべき道を見定めた。

「俺と十代は、この先へは行けない」

白い世界に、まだ色はない。色がないだけで、きっとこれから世界は染まる。この人たちのように、俺の世界も輝いたらいい。

「けど、お前はまだ行ける。お前だけが、この景色の向こうを見られるんだ。さぁ行け、遊星。仲間がそこにいるんだろう」

遊戯さんの言葉に、俺は頷く。頷いて、一歩を踏み出す。さっきとは比べ物にならないくらい足が軽い。そうか、まだ歩けるのか、と他人事のように思う。道は見えない。それはそうだ。俺が歩いたその場所が、道になっていくのだから。
 背を向けた方から、声が聞こえた。それを邪魔する雨音は、もうしない。

「思いっきり楽しんでこいよ、遊星!」

「応援してるぜ、遊星」

道はある。仲間がいる。見守ってくれる人がいる。
 白い空を見上げた。いつの間にか、雨は止んでいた。


***


 つんざくような声援が、俺の意識を取り戻した。前を見据える。世界には色が溢れていた。
 ここはスタジアムで、今は、大会の真っ最中だった。ジャック、アキから引き継いで、今は俺の番だ。戦況は良くない。むしろ、悪い。
 もうダメだと、そう思った。けど、まだ道はあった。残り僅とはいえ、カードも、ライフもある。諦める理由はない。なら、やるしかない。
 対戦相手に視線を送る。俺は全力で立ち向かおう。この舞台を、このピンチを、俺は楽しんでみせよう。
 右手でアクセルを捻る。Dホイールが大きくエンジン音をあげた。




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