白といえば潔白で、純粋で、かつ高貴なイメージがあった。何にも染まらない、ただそこにあるだけの白。かと思えば、それは時に、全てを受け入れる寛大さで、どんなものでも自身の中に取り入れる。そして白は、自身が包み込む他の色をおくびにも出しはしない。あぁそれは、なんて崇高な色なのだろうか。白は俺にはない色だ。俺には到底届かぬ色だ。
 俺は白に憧れていた。焦がれるほどにその色を願った。しかし白は俺の前では存在出来ぬ色だった。俺は白を、無垢の存在である白を、犯すかのごとく醜く染め上げてしまうのだ。純白のそれを、俺は泥の沈殿する濁色に汚してしまうのだ。それがわかっていてわざわざ白に近づこうなどと、なんておこがましい考えだろう。太陽に近づきすぎた英雄が翼をもがれたように、白に近づこうとする俺は、どす黒い何かに飲み込まれるのだ。俺はそれが恐ろしかった。
 俺は白が愛おしい。それと同じほどに、俺は白が恐ろしい。


***


 目の前の男は白かった。肌も白ければ、髪も白い。ひたすら闇だけが続くこの世界で、その男だけが異端だった。
 俺は白が恐ろしい。俺は白を汚してしまう。来るなと叫びたかったが、朽ち果てようとする俺の体は、そんなささやかな抵抗の意すらも、汲み取ってはくれなかった。横たわる俺の口から洩れた吐息は意味をなさず、情けない喘ぎだけが世界の暗闇の中に落ちてゆく。手を伸ばした先で、白の男は嘲るように口の端を歪めた。

「無様だなぁ、鬼柳京介」

何故、この男は俺の名前を知っているのだろうか。白の男はゆっくりと俺に歩み寄る。
男が身につけているのは清廉な白だというのに、彼が纏う雰囲気は潔白でも、純粋でも、まして高貴でもなかった。強いて言うならば、それは孤高。だれも届かぬ場所に存在し、なおかつ、自分に触れる何かを許さない。何かを包み込むなどもってのほか。彼の白は、生も愛も、慈悲も慈しみも拒絶する。

「俺はお前をもう少し高くかっていたんだがな。とんだ期待はずれだぜ」

まるで、ずっと前から俺を知っているような口ぶりではないか。男の笑みを、俺はただ疑問に思う。もちろん俺は、その白い男を知らない。

「哀れだよなぁ」

男の紫の瞳は、嘲りの感情をもって俺を見下ろした。哀れと言いつつも、男はそんなこと微塵も思ってないに違いない。男は言葉の裏に張り付けた意味を隠そうともしないのだ。

「死んだお前は、生き返ってまで復讐しようとしたってのに、まんまとそいつに丸めこまれ、挙句倒されちまうなんてなぁ。オチが弱ぇっつーか、ネタにもなりゃしねぇよ」

ツマンネ、と言わんばかりに、男は無責任に言葉をはきすてる。白い男の感情はドス黒かった。
 男は白だ。だがその白は俺を拒絶しない。そんな白を俺ははじめて見た。何にも染まらない。関わることすら許そうとしない。
 白の中に住まわせた黒の感情。白の男は黒を飼い馴らす。

「運命ってのは、どうしてこうも残酷なんだろうなぁ」

屈んだ男は俺に視線をあわせ、顔にはあの笑みを浮かべたままだった。俺を、いや、世界の全てを見下しそうな、彼の紫。俺はその瞳に一種の魅力を感じた。かつて、周りから全てを排除しようとしていたあの時分、俺もまたそんな目をしていただろうか。しかしそれほど無慈悲になれていたのなら、俺はとっくに、遊星に捨てられていただろう。その方が良かったかもしれない。そうしたら、俺は遊星を恨み、憎むまでもなかった。自分の中途半端さを自覚し、思わず俺は、ふと笑った。
 男に、指で吊り上げるようにして顎をもちあげられたのは、そんなときだった。息と唾液が変な場所で混ざりあって、ぐぇ、と変な声が零れる。ろくに喋れやしないのに、こんなときだけ体は律義だ。息が苦しくなって目を閉ざせば、降ってくるのは、耳を塞ぎたくなるような高笑いだった。

「ヒャーハハハ!っとに無様だぜ、鬼柳京介!哀れな男の復讐劇は、あっけねぇもんだったよなぁ!」

そのまま転がされて、されるがままに俺は上を向いた。途端に空気が流れ込んできて、喉の中がかき混ぜられるような感覚に、痛いまでにその場所が震える。
 ゲホゲホとむせる喉を気遣う間もなく、次に男は俺の鳩尾を踏んだ。男の全体重が、俺の存在を否定するほどにのしかかる。容赦ないその行為に、体の血液が逆流したのを感じた。空気を取り戻そうと大きく口を開くが、無力にも、酸素を吸うことも、吐き出すことも叶わなかった。苦しい。死んでしまいそうに苦しい。助けてくれと請うように見上げた先には、楽しそうに笑う紫水晶の瞳があった。
 男が腰を屈め、服の上から心臓を掴んだ。

「ぐあ……っ!あ゛あ゛あ゛!」

本当は、実際に心臓を掴まれたわけではないのに。それなのに、駆け抜けた痛みは本物だった。本当に心臓が潰されてしまいそうだった。このまま命はこの男の手の中で朽ちていくのだと本気で思った。そんなはずはない。わかっているはずなのに、痛みが死を信じこませていく。

「なぁ京介、てめぇ、こんなんでいいのかよ」

「がはっ!うあ……!」

 純粋な白。汚れなき白。俺の中で高尚な響きをもっていたそれは、今は歪な色に染まった牙を剥いて、俺の命を奪おうとする。けれどもその白は、決してその色以外には染まらない。その白は、決して他の色に呑まれることはない。まるで狂気のような強さを、男の白は持っていた。

「なぁ、てめぇの望み、俺が叶えてやろうか?俺は不動遊星とやらに恨みはねぇが、この世界そのものには恨みがあるんでね」

この白は、いったいどこまでの狂気を孕んでいるというのか。こんな人間を、こんな白を俺は知らない。
 遊星を守らなければならないと思った。遊星を巻き込んではいけないと。だが、俺の体は、声は、意思は、もう拒絶の術を知らないのだ。ただ呼吸の維持と、同時に洩れる絶叫に必死で。

「だからよぉ、京介」

白が冷徹な意図を含んだ。グッと男は俺の心臓を握り、俺の命を支配する。

「あ゛、あ゛!」

「その体、俺様によこしな」

 俺は白が欲しかった。決して汚れない白が。俺が触れられる白が。この男の白は、俺の色には染まらない。俺が汚してしまう恐れもない。だが俺が望んだのは、たぶん、こんな色ではなかった。
 白とはたぶん、お前だったのだ不動遊星。俺はお前に触れるのが恐ろしかった。純真無垢なお前を、汚してしまうのが怖かった。
 
「しかし皮肉だよなぁ、不動遊星とかいうやつ、俺が憎んだ男にどっか似てんだよな」

白の男のその呟きを最後に、俺の意識は白に呑まれた。
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