熱にうなされていた時間は、そう長くはなかったみたいだった。
 射し込む光の熱を目蓋に感じて、オレは思わず目を開けた。何度かまばたきをして、今自分が置かれている状況を、ゆっくりと整理する。
 パンツ一枚で、バイクを引きながらサテライトを歩き回ったオレたちは、見事に熱を出して寝込んでしまった。それが確か、このマーサハウスに着いた夜明け前の話。今は太陽がずっと高く昇っているから、それから半日以上は経つことになる。ベットでぐっすりと眠ったせいか、熱はほとんど引いていた。
 ふとそのとき、ベットに横たわるオレの額に、冷たい何かが当てられた。その気持ち良さに、思わず目を細めてしまう。それは、男らしい、けれど安心感を与える、母親のような手のひらだった。この優しい手の持ち主を、オレは知っている。

「おはよう、遊星」

視線を持ち上げると、心配そうにこちらを見下ろす遊星と目が合った。遊星は悲しそうに笑う。遊星が、立ち上がれるまでに回復してくれたのは嬉しい。でも、そんな表情は見たくなかった。それはオレのワガママなんだろうか。

「よく眠っていたな、ラリー。体の方はもう大丈夫か?」

「うん、お陰さまで!……遊星こそ、大丈夫?」

遊星は今上半身裸で、お腹の辺りは、白い包帯で覆われていた。オレの視線は、無意識にそこに行く。それに気づいたのか、労るように、遊星は包帯の上から傷口を撫でた。

「あぁ、もう心配は要らない。だがそのせいで、ラリーたちには迷惑をかけてしまった」

「迷惑なんて思ってないよ!遊星のDホイールを、オレたちは守りたかったんだ!」

Dホイールは、あのバッドエリアに置いていくことだって出来た。けれど、それをわざわざ運んできたのは、オレたちの意思だ。オレたちの希望を棄てたくないとすがったのは、オレたちの勝手にすぎない。その結果、風邪をひいて、熱を出しても、それを遊星が責任を感じる必要なんてないんだ。
 遊星はいつだって優しい。確かに愛想の悪いところはあるけれど、いつも遊星は、仲間のことを一番に考えてくれている。だけど、たまにそれを苦痛に感じることがある。もっと遊星は、自分のことも大切にしてあげるべきだと思うんだ。でないと、遊星自身が可哀想だ。けれど、遊星はそれに気づいていない。周りの泣き声には気づけるのに、遊星は、自分が辛いんだと叫ぶ声には、一切気がつかないんだ。まるで最初から、耳をふさいでしまっているかのように。
 今だってそうだ。遊星は誰より傷ついているのに、こうしてオレの心配をしてくれている。今遊星が気にかけなきゃいけないのは、オレの体ではなく、自分の心だというのに。

「ねぇ遊星」

「どうした」

「……鬼柳って人の、話なんだけど」

サッと遊星の顔色が変わったのがわかった。ずっと、考えないようにしてたのかもしれない。そしてたぶん、オレの口からその名前が出たことに、驚いたんだと思う。
 見てとれる表情の変化は少ないけれど、何故かオレは、遊星の表情を見て、今にも泣き出しそうな顔だと思った。
 ずっと隠していた心の一面が、ずるりと外に這い出してきたような。遊星はそれを再び自分のなかに押し返そうとする。傷だらけのそれを、傷だらけのまま閉じ込めようとする。それで痛みが治まるわけなんてないのに。

「遊星、聞かせてよ。鬼柳って人と、何があったのか」

「鬼柳、は……」

ベットサイドに、遊星はイスを引いて座った。視線を落として項垂れて、組んだ指は小さく震える。
 遊星は何かと葛藤しているように見えた。言葉を続けようと口を開いては、息だけを吐いて、押し黙る。遊星は何と戦っているんだろう。話すことすら、苦痛なんだろうか。でも、だったらそう言えばいいだけの話で、遊星は何かを、話したがっているように感じた。

「鬼柳は、あんな奴じゃなかった。俺の知っている鬼柳は、もっと……」

ようやく遊星から零れたのは、鬼柳を庇う言葉だった。いいや、遊星は庇っているつもりなんてないんだろう。それが、遊星の本音なんだと思う。
 遊星は、ときどき言葉に迷いながら、ポツポツと、自分と鬼柳の話をした。鬼柳と遊星、それから、ジャックとクロウ、みんなが仲良しだったころは、とても幸せな時間だったらしくて、それを再び噛み締めるように、遊星は言葉を紡いだ。こんな無茶をして鬼柳が助けてくれた、だとか、四人で馬鹿をやって痛い目にあった、だとか。遊星の話すチームサティスファクションは、本当に輝いていて、遊星は、チームのみんなが大好きだったんだと思う。遊星の話す鬼柳と、自分が見た鬼柳が、同一人物とは思えなかった。
 けれど、明るい話も長くなかった。それに伴って、遊星の口は重くなる。一言一言が辛そうで、呼吸の数も多くなった。サテライトを統一して、チームが解体してしまったあとの話だ。

「俺たちは目標を失い、生きる意味までも無くしてしまいそうだった。けれど鬼柳は……鬼柳、だけは……」

遊星の言葉はそこで止まった。目に見えて、体の震えが大きくなる。耐えきれなくなったように、遊星は体を屈めて、組んだ指を額に当てた。

「……っ、違うんだ」

「……どうしたの、遊星。大丈夫?」

「違うんだ、ラリー。俺は、俺はこんな風に鬼柳のことを言いたいんじゃない」

遊星が首を振る。鬼柳を庇って言っているんじゃない。それは、もどかしいまでの自己嫌悪だった。

「俺は、明るく笑う鬼柳を知っている。何よりも仲間を大切にする鬼柳を知っている。そんな鬼柳が俺は好きだった」

まるで何か、堤防が決壊してしまったかのように、遊星は言葉を続けた。感情を抑えていた壁が崩れて、その反動で一気に流れ出たような。
 零れた感情は、溢れ出るだけ。器に戻る術などありはしない。

「本当の鬼柳はいい奴なんだ。本当は、誰よりも俺たちのことを思って……。でも、俺が鬼柳を変えてしまった。俺が鬼柳に酷いことをしてしまったから、鬼柳の人生はめちゃくちゃになってしまったんだ。鬼柳が俺を憎むのも当然だ。俺が、悪かったんだ」

ありのままを話せば、どうやったって鬼柳のことを悪く言うことになってしまう。遊星にはそれが耐えられなかったんだと、そのとき気がついた。
 遊星は誰かを責めることはしない。その代わり、いつも自分を責めている。こっちがもどかしくなってしまうほど、遊星は自分を責めるんだ。自分の心なら、どれだけ傷ついても構わない、といった風に。

「悪いのは俺なんだ。鬼柳を悪く言いたいんじゃない。鬼柳は悪くない。あぁなってしまったのは、俺のせいなんだ。わかってくれ、ラリー」

「わかった、わかったよ遊星。だからもう、そんなに自分を責めないでよ」

「……俺は鬼柳が好きなんだ。こんな俺が言うのもおかしな話だが、俺はあの頃に戻りたい。また鬼柳と仲良く話がしたい。肩を組みたい。デュエルがしたい。だが、アイツは俺を憎んでいる。死んでしまえと、アイツは俺に言ったんだ。
 俺が悪いとわかっている。でも、俺は鬼柳が好きだ。また仲間に戻りたい。そんな虫のいい話があるかと思うかもしれないが、でも、俺はただ、もう一度鬼柳とやり直したいだけなんだ」

聞いていたくなかった。耳を塞ぎたかった。心が痛みを訴える。
 切り裂かれた心を、遊星は自分の中にずっと閉まっていたんだ。そして、自分で自分の心を傷つけ続けた。ただ、もう一度やり直したいという思い故に。

「どうしたら鬼柳は許してくれるだろう。どうしたら鬼柳は、あのときのように笑いかけてくれるだろう。……俺は、どうすればいい」

悲痛な声で遊星は言った。今にも泣き出しそうな声だと思った。でもきっと、遊星は泣かないだろう。泣いて楽になる資格さえ無いと、そう思っているかもしれない。
 ずたずたになった遊星の心を癒してあげるだけの言葉を、オレは知らなかった。そして、ここまで遊星を追いつめた鬼柳を、オレは憎んだ。
 遊星は、きっと鬼柳を憎まないだろう。遊星は鬼柳を許すだろうし、また、許しを請うのだと思う。だからその分、オレが鬼柳を憎んでやるのだと決めた。


遊星の言う「好き」が、愛情なのか友情なのかはお好みでどうぞ
※百日草の花言葉「別れた友を思う」

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