※学パロ


 高く抜ける青空に、クロウはストローから口を離し、ひとつ吐息を吐き出した。初夏の風が、ふわりと耳元を掠めていく。白のワイシャツはその風にそよそよと揺れて、降り注ぐ日差しは、クロウをそのまま微睡みへと連れ去ってしまいそうだった。
 穏やかだ、とクロウは思うのだった。天気は上々であるし、屋上であるここには、校舎内に響く喧騒も遠い。昼休み、弁当を置いて一人待機するクロウには、なんともゆったりとした時間が流れていた。

「なんだか眠くなっちまうなー」

思わず、クロウはそう呟いて、そのままぐっと腕を伸ばす。横になれば眠りに落ちそうなほど目蓋は重く、見上げた空は目に痛いほど青かった。
 だが、クロウにそんな情趣が浮かんだのも一時。それを邪魔するかのように、屋上の扉は勢いよく開かれた。

「満足できねぇぇぇ!腹が減ったぁぁ!」

ドアを足で蹴り開けて、彼は爽やかな青空に向かってそう叫んだ。

「クロウ!腹が減った!腹が減ったんだ!腹が減ったらどうするって、そりゃあ弁当食えばいいんだ、学生の昼休みだからな!全国の学生が、昼休みにはどっかで弁当の蓋開けて、おかずの陳列に一喜一憂してるだろうよ!だったら俺だってそうしたらいいんだ!腹の虫の欲求に応えて、弁当広げて両手合わせていただきますしたらいい!だ、が、し、か、し、その当の弁当がないってどういうことだぁぁぁ!」

「うるせぇぇぇ!てか知らねぇぇぇ!」

先ほどの心地よい気分はどこへ消えたのか。クロウは殊更に顔をしかめて、あちこち歩き回りながらうるさく喚く彼に、そう一喝した。
 怒りなのか悲しみなのか、とにかく感情に任せて顔を歪めているのは、一つ上の学年の鬼柳だった。彼とは長く親しい付き合いであり、こうして毎日弁当を並べる仲である。しかしながら、この性格の歪さはどうにかならないかと、クロウは常々思っているのだった。
 鬼柳はクロウに向き直った。そうして彼は、また一息ついて言葉を続けるのである。

「あぁ、クロウ、腹が減って死にそうだ。腹と背中がくっついて地球外生命体が生まれそうな勢いだ。そんなことになったらどうしよう」

「てめぇは今でも地球外生命体みたいなもんだろ。いや、キチガイ生命体か。で、なんだよ鬼柳、弁当忘れたのか?」

「忘れてねぇよ。俺が弁当のことを忘れるわけねぇだろ。家帰ったらまず、明日の弁当のこと考えるからな」

「それはそれでどうなんだ……あー、じゃあもうなんなんだよ」

面倒くさそうに、クロウは手にしたパックを口元に寄せ、ズズズ、と音をたててストローを吸った。鬼柳が恨めしそうに目を細めたが、そんなことはクロウの知ったことではない。書かれたバナナオレの文字がべこべこと潰れていった。

「ルドガーが放棄しやがった」

「弁当作るのを?」

「そう。マジありえねー、ちょっと反抗しただけなんだぜ。そしたらもう、殴り飛ばされたあげくに育児放棄ときたもんだ」

育児?とクロウは思ったが、鬼柳とのやり取りはたいへん面倒くさいので、そのままにしておくことにした。
 ちなみにルドガーとは、下宿している鬼柳の保護者のことである。クロウは一度その人に会っているが、ゴツい体に強面、加えて無愛想ときたもので、なかなか取っつきにくい雰囲気を醸し出した男だった。何かと反抗的な鬼柳が、文句を言いながらもきちんとなついているその理由が、クロウにはいまいち理解できなかった。

「なんつぅんだっけ?ネグレクト?加えてバイオレンスだしよー。マジ訴えるぜあのオッサン。腹いせに餓死してやろうか。やつれた顔晒して、ガリッガリの体で全裸になって死んでやる。ルドガーの家の前で」

「えらく時間のかかる自爆テロだな。安心しろよ、昼飯抜いたくらいじゃ死なねぇから」

「俺はお前みたいにタフで活発でチビじゃねぇんだよ」

「てめぇどさくさに紛れて悪口言ってんじゃねぇよ!よしわかった、表出ろ」

握った紙パックをぐしゃりと潰して、鬼柳に掴みかからんとすれば、鬼柳はひらりとその手から逃れ、そしてクロウの正面に腰を下ろす。そこは彼の定位置であり、普段なら、そこでどでかい弁当を、がつがつとかきこんでいるころだった。
 鬼柳の目線が、火照ったコンクリートに置かれた弁当を捉えた。黄色のバンダナに包まれたそれは、クロウの弁当だ。どうにも、鬼柳がそれを狙ってるような気がして、クロウは急いでそれを抱き抱えた。途端に、鬼柳が不機嫌な顔をする。

「なんだよクロウ、盗らねぇよ」

「嘘つけ!完璧に狙ってだろ!」

「狙ってねぇよ。ただ、ちょっとおかずわけてくれねぇかな、とか思ったりしただけで」

「狙ってんじゃねぇか!」

「だってマジで腹減ってんだよ!弁当無しで乗りきれってか!苦しいなかでも生き続けろと!そういう、生きることが全て正しい、みたいな、そんな世間に蔓延る風潮を俺は認めない!」

「うっせぇ!ぐだぐだぬかしてないで、さっさと購買行ってこい!」

そもそも、どうして鬼柳には、「弁当を」食べる、という選択肢しかないのだろう。そこまで弁当にこだわる理由が、クロウにはよくわからなかった。そんなにルドガーの作る弁当は旨いのだろうか。あのガタイのいい男が弁当箱におかずを積めてる様を想像して、やはりクロウは、まさかそんな、と理解に苦しむのだった。
 クロウの弁当から目を離さぬまま、鬼柳は不満そうな声をあげた。

「購買っつったって、あのショボい購買だろ?パンしかねぇじゃん。パンじゃ腹にたまらねぇじゃん。満足できねぇぇぇぇ!」

「自業自得のクセして贅沢言うんじゃねぇ!」

「そもそもな、机置いてそこにパン並べただけの場所を購買とは言いません。飯は?弁当は?カップラーメンは?肉は?刺身は!?」

「後半おかしいだろ!スーパー行け!」

鬼柳とのやり取りに付き合っていては埒があかない。そう思いクロウは、するりと、弁当を包んでいたバンダナを開いた。

「は、なにお前、そういうことすんの?」

「お前の断食に付き合う義理はねぇ」

昼休みとは本来、午前の酷使で疲れた脳を休め、そして午後に備えてエネルギーを供給する時間だ。ならば、それに従わない理由はない。クロウが食べないことで鬼柳の腹が満たされるわけでもないし、ならば、早々にその弁当を収めてしまおうと、クロウはその蓋を開けた。途端、辺りに美味しそうな匂いが広がる。鬼柳の腹がぐうと鳴った。
 ただ恨めしそうにしていた鬼柳だったが、その切なさに気がついたのか、彼はふらっと立ち上がり、尻のポケットに手を伸ばした。そこには、革の長財布が入っている。どうやら、渋々ながらも購買に行く気になったらしい。たとえそこに彼好みのものがなかったとしても、空きっ腹を抱えたままよりはマシだと判断したのだろう。
 小銭をちゃらちゃらと転がして、鬼柳はその少なさを嘆いた。学生のうちは貧乏であるべきだと、かつて担任の牛尾が言っていたが、実際、金が無くて困るのは、学生も社会人も同じである。
 鬼柳が、屋上から下へ降りようと鉄の扉に手をのばしたとき、タイミングよく、反対側からその扉が開かれた。鬼柳が慌てて手を引っ込めれば、相手も驚いたのか、あ、と言葉を洩らしてその足を止める。しかし、鬼柳の存在を認めたその人は、すぐに強張った表情を、ふわりと元に戻すのだった。

「もう来てたのか、鬼柳」

「あぁ、今さっきな。つか遊星、お前どこいってたんだよ。いつも俺より先に来るのに」

「アキに呼ばれて、そっちに行っていた」

遊星は無表情ながらも穏やかな顔をして、自分が持つ弁当の袋を見下げる。無意識に、鬼柳の視線もそちらを辿った。遊星ならわけてくれるんじゃないだろうか、と邪な算段をたてていた鬼柳だったが、彼は不意に、その視界に違和感を覚えた。

「……お前、弁当の袋それだっけ?」

遊星が携えていたのは、シンプルな柄がプリントされた赤い小さな袋だった。普段彼が持つのは、無地の青い袋である。
 すると遊星は、あぁこれかと、その袋を小さく上下させた。

「アキに作ってもらったんだ。料理を覚えたいらしい」

「は、つまりアレか、十六夜に手作り弁当作ってもらったのか!?」

「……そんな大層なものじゃないだろう。アキはお父さんに食べさせたいらしいからな。俺はそれまでの練習台だ」

鬼柳は、そしてクロウも、その言葉にはただただ絶句した。遊星が鈍いのは知っている。だがここまで鈍いと、わざとなんじゃないかと、余計な疑いを持ってしまいそうだった。お父さん云々は建前で、きっと本命はお前なんだぞ遊星、と彼らは説明してやりたかったが、それはあまりにも無粋な気がして、静かに、彼に思いを寄せる中等部の十六夜アキに同情した。きっと彼女はこれから、他の人に恋するよりもずっと多くの苦労を経験することだろう。

「ところで鬼柳、お前はどこに行こうとしてたんだ。弁当は食い終わったのか?」

「え、あ、いや、今日は購買に行こうと思ってよ」

「購買か。なら、急いだ方がいい」

不穏な言葉を洩らしながら横をすり抜ける遊星に、鬼柳は怪訝そうな視線を向ける。すると遊星は、クロウの左隣に腰を下ろしながら、何でもないことのように言った。

「たった今、ジャックがパンの買い占めに走っていったところだ」


***


「キングはチャンスを逃さないものだ!」

「何がチャンスだ!庶民のパンをぶん取る矮小なキングがどこにいる!一個残らず買い占めやがって!てめぇパンに恨みでもあんのか!とりあえずそいつを寄越せぇぇ!」

「ええい、貴様なぞにやるパンはない!さっさと離れろ鬼柳!」

うるさい奴らが帰ってきた、とクロウは思った。扉の向こうから聞こえるのは、同じく昼食を共にしている面子の一人であるジャックと、彼を追いかけていった鬼柳だ。二人は騒がしく口論を繰り返し、これで二人とも歳上の先輩なのだから、世も末だとクロウは辟易する。
 ダンッといつになく乱暴に屋上の扉が開かれた。そこに何があるかはわかっているが、一応確認のために、彼らはそちらに顔を上げる。予想通り、そこにいたのは大きな袋を持ったジャックと、それにしがみつく鬼柳だった。
 はぁ、とクロウからため息が洩れる。隣に座る遊星は、ジャックが携えた白い袋を見て、どこか感動したかのように言った。

「今日はまた一段と多いな」

「キングの腹はこんなものでは満たされないがな」

「だが、毎回買い占めるほどにパンを買うのは何故だ。キングだからか」

「そうだキングだからだ!」

「質疑応答になってるようでなってねぇぇ!」

相変わらず空きっ腹を抱えたままの鬼柳は、二人のやり取りに耐えかねたように絶叫する。そんな鬼柳に侮蔑の視線を送りながら、ジャックは袋から焼きそばパンを取り出して、それでぺちぺちと遊星の頬を叩いた。

「遊星、お前にこれをくれてやる」

「ジャックてめぇ!俺には寄越さねぇくせに遊星にはやるのか!差別だ!えこひいきだ!」

「なんのつもりだジャック」

「どうせ今晩も食事を抜くつもりだろう。鬼柳は構わないが、お前に倒れられては色々と困る」

「おい、俺は構わないってどういうことだ。むしろ今にも倒れそうだぞ」

「さぁ受けとれ遊星。パンなら作業しながらでも食えるだろう」

「……もらっておこう」

「こんの裏切り者おおおおお!」

腹の底から声を出して、鬼柳は溜まりに溜まった鬱憤を空へ吐き出した。こんなことは日常茶飯事で、その度に、あぁ飯を食ってるのが屋上で良かったなどと思うクロウは、今日もまた似たようなことを思い、鬼柳にわけてやるおかずを、仕方なく選別してやるのだった。
 しかしながら、クロウはこんな日常が、案外嫌いではなかった。
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