※ファンタジー
※設定いじりました


 私の妻が死んだとき、息子は人前では決して泣かず、微笑む彼女の遺影をじっと黙って見つめていた。きっと自分の部屋では声をあげて泣いていたんだろうが、そんな息子の姿を、私は一度も見たことがなかった。
 息子は、感情を抑えることに、ずいぶんと長けた子どもだった。それは、まだ幼い子どもとしては誉められたことではないかもしれないが、あの子は無茶な我が儘などひとつも言わず、どんなに理不尽な大人の事情でも、こくりと相槌だけ返してそれに耐えた。歯痒いほどに、聞き分けのいい子だった。
 だからあの時もそうだったのだろう。息子は、幼い頭では到底理解できない最愛の人の死を、人一倍無垢なその心で受け止めた。あの子は死なんてものを解してはなくて、ただ母親がいなくなってしまったという事実を、そのように吸収したのだ。だから息子は、母親がいないことを嘆き悲しんでも、彼女の死を弔う席では、一滴の涙も流さなかった。
 妻が死んでから息子は、悲しいという感情を押し殺し、心配をかけまいと苦しそうに笑うようになった。不自然に大人びて、とても痛々しい表情だった。その顔を見るのが、私はたまらなく苦しかった。幼い息子にそんな顔をさせているのだと思うと、胸が押し潰されそうになった。しかし、ある日を境に、息子はまた、楽しそうに瞳を輝かせるようになった。まるで全てを失った者が、新たな生き甲斐を見つけたかのようで、私は、息子が母親の死を理解し乗り越えたのだと安堵し、また息子の成長を心から祝した。しかし、私はまだ、息子に変化をもたらしたものの正体を知らぬままだった。
 その日は、珍しく夕方には仕事にケリがついて、久しぶりに息子と夕飯を共にしようと、急いで自宅への道のりを辿っていた。息子にまた悲しい顔をしてほしくなかったし、何より、私が息子と食事を並べたかった。
 時計を確認すると、ちょうど息子が食事をとっているだろう時間だった。家に着いて玄関を開け、自分の靴を脱ぎかけたところで、私は、息子の靴がないことに気がついた。もしかしたら、アトラスのとこの息子と遊んでいるのかもしれないと思ったが、それにしては時間が遅い。外にいるのだろうかと、脱ぎかけた靴を戻して、そのまま外へと足を向けた。
 息子は案外早くに見つかった。家の裏手にはガレージがあって、そこに静かに鎮座した大きくも小さくもない車の後ろに、息子はぽつりと佇んでいた。小さな背中に声をかければ、息子は驚いたように肩を跳ね上げ、怖々とこちらを振り返る。比較的ポーカーフェイスな息子にはそれは珍しく、あの子はたどたどしい言葉で、何故いつも深夜に帰宅する私がこんなに早く帰ってきているのか、と問いかけた。偶然なのだと説明したのだが、いかんせん私は、釈然としない思いを抱くこととなった。
 息子の驚愕は、どうにも喜びというよりは、困惑に近いように思えた。まるで帰ってきてほしくなかったかのように聞こえるのは、さすがに私の被害妄想かもしれない。息子は戸惑ったように瞳を揺らして私を見上げた。その様子はいつもよりひどく不自然で、息子にそれを指摘すると、やはり息子は、不格好な返事をとつとつと返すのだった。
 息子の様子をただ疑問に思う。しかしその正体がわからず、息子と同様に、私も戸惑うばかりだった。そのとき、息子がちらりと、逃げるように目線を背後に向けた。それを無意識にたどっていって、たどり着いた先に、私は不思議なものを見た。
 輝いているのだ。キラキラと、星の滴がこぼれ落ちるように。息子の背中で、何か得体の知れないものが脈動している。息子はそれを、小さな背中で懸命に隠そうとしていた。
 背中のそれを見せなさい、と私は息子に言った。息子は不本意そうに、不平をその目に携えて、また私を見上げる。拒否を訴えているのはよくわかるが、親として、私は息子のそれに応えてやるわけにはいかなかった。青く大きな瞳の奥をまっすぐに射抜いてやると、根負けしたように息子は小さな歩幅でそこを退いた。途端に、先ほどよりも強い光の粒が、私の視界を反射させる。
 まず、声を出すことが出来なかった。次の瞬間、私は得体の知れないものを目の前にしていたのだ。これは夢か幻かと、私は目に写る光を疑ったが、息子がそれに手を伸ばしたのを見て、これが現実なのだと理解した。
 光の正体は、小さな白銀の竜だった。私は実際の竜など見たことがないので、それを竜と呼ぶべきかを悩んだが、その容姿、長い胴体に黄金の瞳、鋭い嘴のような口と白銀の翼をもったその姿は、不本意だが竜と表記する他なかった。そして、さらさらと視界の端を落ちるそれは、その竜が纏う光だった。
 息子が竜に手を伸ばすと、竜は息子に体を寄せ、甘えるように体を擦り寄せた。その光を手の中におさめながら、息子は嬉しそうに頬を緩める。ずいぶんと打ち解けたその様子から、息子が大分前からこの竜と交友を深めていたこと、そして、息子に笑顔をもたらしたのがこの竜だということを、私はすぐに理解した。
 とある晩に、その竜は降ってきたのだと言う。眩い光を伴いながら、竜は流れ星の如く、空から落ちてきたのだと。まるで星屑のようだったと息子は言った。そして私に隠れながら、息子はこのガレージで、竜を保護していたのだ。
 大事そうに、小型犬ほどの大きさの竜を胸に抱きながら、息子は私に、この竜を家族にしてもいいかと問いかけた。無垢な輝きが私を見上げている。しかし当然のことながら、私はそれをすぐに了承することができなかった。確かに、甲高い声をあげて人懐っこく擦り寄ってくるその姿は大変に愛らしい。だがそれが、犬や猫同様にペットとして飼うとなると話は別だ。あまりにもリスクが大きすぎた。
 それは出来ないと答えると、息子はやはりと言った様子で眉を下げた。不安そうに見上げた竜を、息子の小さな手が撫でる。息子の元気を取り戻してくれた竜を無下に扱うのは心苦しかったが、私には他にどうしようもなかったのだ。
 この竜をどうしようかと考える。私は生物学には精通していないが、所属する研究所に持っていけば、どうにかしてくれるかもしれない。実質、実験動物として扱うことになるので、それはそれで気が引けたが、このまま息子に任せておくよりは、十分マシな選択だと思った。
 息子は、もどかしいほどに聞き分けがいい子だった。反抗らしい反抗などしたことはないし、近頃はアトラスの息子に色々と教わるのか生意気な一面も増えたが、それでも同世代の子たちと比べれば、ずいぶんと大人しい子だった。だから、息子がもう一度、竜と共にいることをせがんだとき、私はとても驚いた。息子は私を説得しようと、舌ったらずな口で何度も言葉を繰り返し、竜と離れたくないのだと切望した。かつて、こんなに息子が懇願したことがあっただろうか。とうさん、とうさんと何度も訴える息子の姿は、凄まじい痛みを私の胸に与えた。
 結局、根負けしたのは私の方だった。他人には散々言われたことだが、実際私は親馬鹿なのかもしれない。私は息子の頭に手を置いて、危険だと判断したらすぐに手離すことを約束させた。そのときの息子の顔を、私は一生忘れないだろう。
 楽しい日々だった。思いの外竜はイタズラ好きで、私の靴下やネクタイは、何度も家の隅へと隠されてしまった。困り果てる私の周りを、竜はからかうように飛び、隠されたものを探してくるのは息子の役割だった。私はそれを呆れた思いで眺めていたのだが、案外、息子や竜は、それを楽しんでいたようだった。
 息子と竜の戯れは、疲れた私の体を存分に癒してくれているように感じた。息子と一匹は、微笑ましいほどに仲が良く、本当にこれは運命なのではないかと、らしくないことを思うほどだった。
 息子が手を伸ばすと、それに応えるように、竜は手のひらに頬を寄せる。竜の表情を私は読み取れないが、息子に抱えられたその竜は、心底幸福に包まれているかのようだった。そしてまた息子も、嬉しそうに、穏やかに微笑むのだった。
 彼らは本当に仲が良かった。本物の家族のようだった。
 しかしながら、運命とは残酷なものであって、一度は息子から母を奪ったそれは、今度は大切な友達を奪った。雨が降り続き、何日ぶりかに晴れた日の朝、私は息子と共に竜の墓を作った。
 突然死だった。竜はまるで眠るかのように命を燃やし尽くし、息子が私のもとへ竜を連れてくる頃には、竜の体は、すっかり冷たくなってしまっていた。原因はわからない。本当に突然、竜は亡くなったのだ。
 竜の墓の前で息子は言った。竜は死んでしまったのかと。私はそうだと答えた。お前の母と同じところへいったのだと。
 あの竜は星の子だった、と息子は言った。だからきっと空へ帰ってしまったのだ。かあさんと共に星空の彼方へ消えてしまったのだ。もう決して、自分たちの手の届かないところへと。
 地面の上に生きる私たちは、地平線の向こうまで行けるかもしれない。しかし、空の果てまでは、どう頑張っても行けはしない。人は地面を駈け、海に潜ることはできるが、空を翔ぶことは出来ないのだ。
 星屑の竜が現れたとき、その姿を母だと思ったそうだ。星になった彼女が、自分に会いに来てくれたのだと。しかし彼女は、こうしてまた見果てぬ先へと飛び去ってしまった。息子は胸が苦しいと言った。どうしようもなく辛くて辛くて、今にも壊れてしまいそうだと言った。母は一体どこへ消えてしまったのだろう。それがわからない。わからなくて、ひどく辛い。そんな息子の頭に手を乗せて、それが死というものだと説いてやった。私も、彼女がどこにいるかなど知らない。きっと誰も知らない。それが、人が死ぬということだ。
 体を震わせて俯いた息子は、ぽたぽたと綺麗な滴を落として泣いた。嗚咽を洩らして泣く息子の背を、私はなだめるように撫でてやる。ようやく死を理解した息子は、星屑の墓の前で、母の死を悼んで泣いた。
 人一倍無垢で、純真な心を持った息子を、私は誇りに思う。あの子ならきっと、その名に負けない、周囲を惹き付ける人間になるだろう。ただ、私が残念でならないのは、そんな息子の成長を見届けることが出来ないことだ。私は妻の分まであの子の成長を記憶したいと思っていたが、どうやらそれすら許されないらしい。私もまた、息子の隣から去らなければならなくなった。
 息子には、途方もない運命を背負わせてしまうことになるかもしれない。私は自分の選択が間違いであったとは思わないが、どうしようもないほどにその選択を悔いている。私は私自身の運命を呪う。
 どうか息子には幸せになってもらいたい。地位や名誉を得ろなどとは言わない。ただ平凡に、息子には幸福な人生を歩んでほしい。あの子には罪はないのだ。不幸になる理由など、どこにも。あの子は幸せを願われて生まれてきたのだ。息子は、幸福に包まれ、幸福を与え、生きていくべきだ。


***


 あいつがデュエルディスクを完成させたのは、つい先日のことだ。
 俺と共にサテライト送りとなってから早十数年。堕落的な生活を送り、口数の少なさと表情の乏しさに拍車のかかったあいつは、なんとも無気力で、つまらない男に成り下がっていた。あいつは、皆が白熱するカードにも興味を示さず、のしあがってやろうと上を目指す俺と、今の生活を甘んじて受け入れているあいつは、自然と疎遠になっていた。
 物心ついたときから、俺とあいつは共にいた。淡々とした語り口のあいつが、俺の一言で笑ったり、興味深げに目を瞬かせるのが嬉しくて、俺はあいつに、多くの悪知恵を教えてやった。あいつは、無知で世間知らずなやつだったが、決して今のような、つまらない男ではなかった。
 しかしある日、一枚のカードを持って、あいつは、デュエルを教えてほしいと俺のもとを訪れたのだ。俺はそれに大層驚いた。虚ろだった藍の瞳には火が灯り、いつかのように輝いてみえた。
 いくら疎遠になったと言っても、やつが、どうにも放っておけない幼なじみであることには変わりない。その申し出を断る理由はどこにもなかった。
 あいつにルールを教えながら、何故急にデュエルをする気になったのかと聞いた。するとあいつは、持っていた一枚のカードをちらりと俺の方に向けた。白い台紙に竜が描かれた、スターダストドラゴンのカードだった。あいつはこれを、サテライトの海岸で拾ったのだと言う。あいつはいとおしそうにそれを眺めて、自分はこいつと共にいたいのだと言った。
 あいつののみ込みの早さにも驚いたが、更に驚嘆したのは、あいつが、ソリッドビジョンでデュエルを行いたいからデュエルディスクを自作する、と言ったことだった。本当にそんなことが出来るのかと聞けば、あいつはなんてことないように、仕組みはわかったから大丈夫だと言った。そして数日後、あいつは本当に、デュエルディスクを作り上げた。シティで市販されているのと変わらない、完璧なディスクだった。
 完成したディスクを腕にはめたまま、あいつは海岸の防波堤に腰かけて、ぶらぶらと宙に足を泳がせていた。見ると、デュエルを行っていないのにも関わらずディスクは稼動しており、そこには一枚のカードがセットされている。更によく眺めてみれば、あいつの周囲には星屑が舞い、そこには、ソリッドビジョンで実体化された、スターダストドラゴンがいた。
 あいつは宙に手のひらを差し出した。それに反応して、スターダストはその手に口先を擦り寄せる。まるで、長い間離れていた友人たちの再会の様子を眺めているかのようだった。あいつの手は、決して触れられない輪郭を、愛しそうになぞる。

「おかえり」

そう言った不動遊星の微笑みは、まだ幼かったあの頃と、なに一つ変わっていなかった。

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