セキュリティとは即ち、読んで字のごとく、規律や法律、己の良心に則って、平和を守ることを使命とした武装集団である。一般市民を守る彼らは、いわゆる正義と呼ばれる存在なのだろう。では果たして、正義とはなんなのだろう。権力のままに振り下ろされる暴力は、正義と呼んでいいのだろうか。そんなことがあってたまるかと、全身に青アザをつくった鬼柳京介は思うのだ。
 鳩尾に膝を入れられて、鬼柳は苦しげに、詰まったような声をあげた。駆け抜けた痛みは鬼柳の体力を奪い、彼の上体はそのまま地面へと落下しようとする。だが、周囲を取り囲む男たちがそれを許さず、前髪を掴まれたことにより、また鋭い痛みと共に、鬼柳の体は静止した。
 全身が痛みに震えていた。殴打された部位は醜く腫れ上がり、既に彼の思うようには動いてはくれない。足腰には力が入らないし、とにかく、関節を動かすだけでも、体はギシギシと錆びた鉄屑のような音をたてた。
 目をきつく閉じたまま痛みに喘ぐと、周囲からは卑下したような笑いが起こった。暴言と侮蔑。見下した視線は彼のプライドをかき混ぜてゆく。以前の彼ならば、感情のままにそれに立ち向かったかもしれないが、しかし今では抵抗の術などとうに奪われ、その気力すらも失っていた。
 自暴自棄になりかけていた。無限の刑期を言い渡され、ここに収容され幾日が過ぎただろうか。果てしなく続く私刑は、どれほど重なりあって体の奥底まで染み付いているだろう。そこは永劫に続く闇だった。どこまでも続く地獄だった。そんな場所で彼に出来ることなど、たかが知れていた。
 それでも彼が必死に自分を繋ぎ止めたのは、まだ微かに見える未来があったからだ。サテライトという閉鎖空間で自分たちは足掻き続けた。サテライトとここと、そこにどんな差があるだろう。鬼柳はそれを耐えようとしていた。いつかここを出て、敬愛した彼の仲間の元へ、帰るつもりでいた。


 前髪を無理に引かれ、必然的に鬼柳は上を向かなければならなくなった。逃れようともがこうとすれば、容赦ない頭皮への痛みが彼を襲う。そして、再び降り注ぐ拳とつま先は、鬼柳の体を、汚い床の上へと打ち付けた。
 震える鬼柳の背を誰かが笑った。否、そこにいる誰もが笑っていた。腹の底から込み上げる悔しさの念に、鬼柳が彼らを鋭く睨み上げれば、そのうちの一人が、床についた鬼柳の左手を踏みつけた。

「ぐぁ……!」

「ははは!どうだ痛いか?いい様だなぁ、鬼柳京介!」

「お前、自分の立場わかってんのか?本来なら、お前殺されてもおかしくないんだぜ?」

「優しい俺たちに感謝しなくちゃなぁ?」

「あ、ぐ……!っ、うあ」

靴の裏で、手の甲をギリギリと捻られる。皮は破れ、骨が歪み、肉は千切れてしまいそうだ。自分であるはずの指先の感覚は遠いのに、激しく突き刺さる痛みは、まるで彼から離れようとはしない。
 鬼柳の視線のすぐ先に、自分が踏まれているのとは別の靴が差し出された。そのつま先は鬼柳の口元を指し、よく見なくとも、それが泥や砂で薄汚れているのが容易に見てとれる。そんなものを寄せられるのは不快であり、靴の持ち主を鬼柳は射抜くように見上げた。そいつは薄い笑みを浮かべたまま、煽るように靴を鬼柳に近づけ言うのだ。

「舐めろよ」

「……」

冗談じゃない。口に出さず、鬼柳は視線でそう吐き捨てる。例え体をボロボロにされようと、鬼柳の自尊心は決して折れたわけではない。
 それはまるで、プライドを上から踏みつけられているかのようだった。心臓がばくばくと脈打って、沸々と自分の中の衝動が燃えたぎるのを感じる。
 鬼柳は自ら体を動かして、その靴の先に口元を寄せた。それを見たその男は、なんとも愉快そうな顔をする。その表情を鬼柳は心の中で嘲笑してやると、目の前の男の靴に、勢いよく唾を吐き出してやった。

「うわっ!きったね!」

「ーーっ、この屑が!」

唾液がついたままのその靴で、鬼柳は思いきり顔を蹴られた。手が塞がれているので、彼はその足を真正面から受けることとなる。彼の頬はじんじんと熱を持ち、異常を訴えたが、顔を歪ませ、血を流した鬼柳は、なんとも満足そうに笑うのだった。ざまぁみろと、動かない口が言っている。
 しかし、男たちはその様子がまるで気に入らなかったらしい。からかう余裕もなく、鬼柳の腕を背中に回して拘束すると、無理に体を起こさせて、立て膝の体勢をとらせた。その格好はまさに、断頭台にたどり着いた死刑囚だ。
 無防備なその体勢に、鬼柳は腹を蹴られることを覚悟したが、どうやらそうではないらしい。背後に回って鬼柳を拘束する男らとは別に、正面に立ったリーダー格の男が、ちらりと、どこからかカードの束を取り出した。男はそれを、鬼柳に見せつけるように提示する。

「これが何なのか、わかるよなぁ?鬼柳。まさか自分の僕(しもべ)たちを忘れたわけじゃないだろう?」

訝しげにしていた鬼柳だったが、途端、その金の瞳をこれでもかと大きく見開いた。黄金の太陽が、そのなかでわなわなと震えている。
 それは、少し前まで愛用していた、鬼柳のデッキだった。

「触んじゃねぇ!返せよクソが!」

激情のままに飛びかかろうとするが、鬼柳を押さえる取り巻きたちがそれを許さなかった。彼らは手加減なしに鬼柳の腕を締め上げるが、しかし今の鬼柳は、そんな程度の痛みなど、全く感じていなかった。
 かまわず暴れる鬼柳を、デッキを持った男が見下ろす。口元は意地悪くつり上がり、しかしその目はまったくと言っていいほど笑っていない。その顔はたまらなく不気味だったが、鬼柳の中では、恐怖よりも激怒の感情の方がはるかに勝っていた。

「返す?なに言ってんだ」

すると男は鬼柳の目の前にまで距離を縮め、目と鼻の先に、デッキの一番上にあったカードを突きつけた。手が届く距離なのに、拘束されているためそれも叶わない。それがひどくもどかしい。
 そうしてまた男は、今度は胸ポケットからライターを取り出した。その噴射口を、ゆっくりとカードの端に近づけてゆく。

「お、おい、てめぇ、なにやって……」

鬼柳と目を合わせた男は、ニヤリと頬をつり上げて冷たく笑った。
 鬼柳にはわかっていた。この男がなにをしようとしているのか。その結末を想像するだけで、震える体からは力が抜け、首筋には妙な汗が滴った。問いかける声は、カラカラに渇いている。
 鬼柳のカードに、ライターはゆっくりゆっくり近づいて。

「お前にはもう、必要ないだろう」

カチリ、と無情な音がした。

「あ、あ、ああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!」

次の瞬間、噴射された炎は、じりじりとした熱で鬼柳の大切な仲間を焼いた。

「畜生!ふざけるなああああ!放せクソがああああ!!あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!放せえええええ!!」

燃え盛るカードが、目の前で灰へと変わる。
 鬼柳は獣染みた声をあげて暴れた。自分でも聞いたことがないような声だった。喉が張り裂けそうなくらいに叫んで、痛みなど忘れたように全身を揺らす。
 二人がかりで鬼柳を押さえていたのだが、暴れる彼の力は凄まじく、結局、総出で彼の体を押さえることになった。しかしそれでもまだ、鬼柳は無茶苦茶に暴れ続けている。
 面白がるように男は、繰り返し一枚ずつ、鬼柳の前でカードを焼いた。その度鬼柳は絶叫し、のたうちまわるように、拘束の手から逃れようとするのだ。

「う、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!止めろおおおっ!それはてめぇらなんかが、そんな風に扱っていいもんじゃねぇんだよクソおおおおお!」

様々な液体でぐちゃぐちゃになった顔で、逃れるように頭を降りながら、壊れかけた喉で鬼柳は叫ぶ。ただひたすら、腹底にあるものを吐き出すように、鬼柳は絶叫した。
 カードが燃えてゆく。仲間として戦ったカード。仲間と共に戦ったカード。命よりも大切な。言うならばそれは、デュエリストの魂だ。

「てめぇら覚えてろよおおお!!いつか全員ぶっ殺してやる!必ずぶっ殺してやるからなああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」

泣き叫ぶ鬼柳の悲痛な声は、薄暗い廊下で反響し、笑い声と同化する。焼けるように喉が痛んだが、そんな事実は既に、彼にはどうでもいいことだった。
 彼を巣食う感情は、紛れもない殺意だ。苦しい、辛い、悲しい、腹がたつ、殺してしまいたい、あぁ殺してしまいそうだ。様々な負の感情が螺旋を築いて、鎖のように、鬼柳の精神を縛りつけた。
 怒りに呑み込まれていく。自分の理性では抗えない、途方もない怒りに。


誰もいなくなったその場所で、死人のようなその男は、虚ろな瞳で床を眺めていた。彼の前には、小さく積もった灰の山。彼はそれを小さく手に取って、しかしすぐに、形を崩してそれはさらさらと流れてゆく

「……何故だ。何故。どうして。……俺のせいなのか」

酷い声だった。散々叫んだせいで喉は腫れ上がり、ひゅーひゅーと空気の抜ける音がする。

「……いや、違う。あいつのせいだ。あいつが俺を裏切ったから……!あいつが俺を売ったりなんかするから!」

刹那、ぼたぼたと堰を切ったように、再び鬼柳の太陽の瞳から涙が溢れ落ちた。汚れた大地にぶつかって、いくつもの水滴が床を弾く。
 そして彼は、つんざくような笑い声をあげた。目を見開き、いくつもの涙を流しながら、大きく口を開けて笑うのだ。

「あいつが悪ぃんだ!なにもかもなぁ!俺はあいつを絶対に許さねぇ!これも全部……、あいつの……っ、遊星の……!」

何もない、閉ざされた天井を見上げながら、鬼柳はかつての親友の名を何度も呼んだ。恨みを晴らすように。助けを請うように。そして、絶対に許しはしないと、痛々しい声で叫ぶのだ。
 高い声が響いていた。笑いと悲鳴が混じり合ったような、そんな高い声だった。
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